発表・掲載日:2019/01/24

シリコン量子ビットの高温動作に成功

-大型冷却装置が不要に、センサーなど幅広い量子ビット応用へ-


理化学研究所(理研)開拓研究本部石橋極微デバイス工学研究室の大野圭司専任研究員(創発物性科学研究センター量子効果デバイス研究チーム 専任研究員)、産業技術総合研究所(産総研)ナノエレクトロニクス研究部門ナノCMOS集積グループの森貴洋主任研究員らの共同研究グループは、シリコン量子ビット[1]を10K(約-263℃)の高温で動作させることに成功しました。

本研究成果は、小型の冷却装置でも動作可能な量子ビットが実現したことから、センサーなど幅広い量子ビットの応用につながると期待できます。

シリコン中の電子スピン[2]を用いたシリコン量子ビットは、既存のシリコントランジスタ作製技術で製造でき、従来型シリコン集積回路との接続性の良さなどから注目を集めています。しかし、これまでのシリコン量子ビットは0.1K(約-273℃)以下の極低温環境でしか動作せず、その冷却には大型装置が必要でした。

今回、共同研究グループは、シリコン中の「深い不純物[3](アルミ-窒素不純物ペア)」の電子スピンを用いることで、従来よりも100倍以上高い温度(10K)での量子ビット動作を実現しました。具体的には、トンネル電界効果トランジスタ[4]構造に深い不純物を導入し、深い不純物の電子をトランジスタ電極に取り出し「スピン閉鎖現象[5]」を利用することで、量子ビットの状態をトランジスタの電気特性として読み出しました。

本研究は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』オンライン版(1月24日付け:日本時間1月24日)に掲載されます。

図
図 トンネル電界効果トランジスタ(透過電子顕微鏡像)と導入された”深い不純物”(模式図)

※共同研究グループ
理化学研究所 開拓研究本部 石橋極微デバイス研究室
  専任研究員      大野 圭司(おおの けいじ)
  (創発物性科学研究センター 量子効果デバイス研究チーム 専任研究員)
産業技術総合研究所 ナノエレクトロニクス研究部門 ナノCMOS集積グループ
  主任研究員      森 貴洋(もり たかひろ)
物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点
  量子デバイス工学グループ
   主任研究員     森山 悟士(もりやま さとし)

※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究B「シリコンMOS技術と整合性をもつスピン量子ビットとその大規模集積化(研究代表者:大野圭司)」、同基盤研究B「シリコントンネルトランジスタの量子ドットデバイス応用に関する研究(研究代表者:森山悟士)」、同若手研究A「トンネルトランジスタのトラップエンジニアリングによる新機能素子の創製(研究代表者:森貴洋)」、同基盤研究A「シリコン量子ビット集積化に向けたスピン結合基本技術の創製(研究代表者:安田哲二)」、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)「グリーン・ナノエレクトロニクスのコア技術開発(中心研究者:横山直樹)」による支援を受けて行われました。またこの研究課題は現在、理研と産総研の基本協定のもと、世界初/世界一技術の実現に向けた共同研究(理研-産総研「チャレンジ研究」)に採択され支援を受けています。



1.背景

量子ビットは0と1、およびそれらの量子力学的重ね合わせ状態を取れるビットです。多数の量子ビットを結合することで、量子コンピュータ[6]を構築できるだけでなく、量子ビット単体であってもセンサーなどへの応用が期待されています。

なかでも、シリコン中の電子スピンを用いたシリコン量子ビットは、既存のシリコン技術でも作製可能であり、従来型シリコン集積回路との接続性の良さなどから注目を集めています。しかし、従来のシリコン量子ビットは、超伝導回路を用いる超伝導量子ビットと同様に、その動作には0.1K(約-273℃)以下という極低温環境が必要でした。この温度を作り出す冷却装置は、1台あたり1億円程度と高価で、かつ10m2程度の広い設置スペースが必要であり、装置への試料の導入・取り出しにはその都度数時間もかかるという問題があります。

そこで共同研究グループは、従来よりも高い温度で動作するシリコン量子ビットの開発を試みました。高温で動作する量子ビットであれば、その評価には小型・安価で試料交換も容易な冷却装置があればよく、研究開発にかかる費用、スペースおよび時間を節約することで、今後の研究開発を加速できます。

2.研究手法と成果

シリコン量子ビットに使われるのは、シリコン中の局在した電子のスピンの状態(上向き、下向き、あるいはその量子的重ね合わせ状態)です。高温で動作する量子ビットには熱エネルギーによる撹乱[7]に負けない、より強く局在した電子が必要です。局在した電子を実現するためには、電子を狭い領域に3次元的に閉じ込める量子ドット構造を用いることが1つの方法です。しかし、この方法で強い局在を実現するためには、極めて微小な領域に電子を閉じ込める必要があり、現代の加工技術では実現が困難となっています。また2つ目の方法としては、不純物を利用する方法があります。これは不純物が形成するエネルギー準位を利用するもので、不純物1個、即ち原子サイズの量子ドット閉じ込めを実現することに相当します。これまではリンをはじめとする一般的な不純物(浅い不純物)が利用されてきましたが、浅い不純物には電子は強く局在しないという問題がありました。そのため、共同研究グループはシリコンの「深い不純物」を用いました。シリコンには、リンやホウ素などの浅い不純物以外に、多くの深い不純物が知られています。深い不純物は浅い不純物と同様に、既存の技術でシリコンへ導入することができ、単一元素からなる不純物以外に、アルミ不純物と窒素不純物が近接して作る不純物ペアも深い準位を形成します。そこで、本研究の量子ビットにはアルミ-窒素不純物ペアを用いました。

量子ビットの状態を電気信号として読み出すには、深い不純物の電子をトランジスタの電極に取り出す必要があります。不純物電子の電極への移動はトンネル効果[8]で起こります。しかし、従来のトランジスタ構造ではこのトンネル障壁[8]が厚くなりすぎて、うまく電子を取り出すことができません。そこで、トンネル電界効果トランジスタ素子を採用することで、このトンネル障壁を薄くし、電子を電極へ取り出すことに成功しました(図1、2)。

図1
図1 トンネル電界効果トランジスタ(透過電子顕微鏡像)と導入された”深い不純物” (模式図)
今回作製したシリコン量子ビットを実現するトンネル電界効果トランジスタの透過電子顕微鏡像に、導入した深い不純物を赤点で示した。ソース電極からドレイン電極に向かって流れる電子は、ゲート電極の電圧で制御される。1nmは10億分の1メートル。

図2
図2 従来のトランジスタ(左図)とトンネル電界効果トランジスタ(右図)
従来型のトランジスタは、ソース、ドレイン電極ともにN型でできている(左上図)のに対して、今回採用したトンネル電界効果トランジスタは、N型のソース電極とP型のドレイン電極からなる(右上図)。下図は、それぞれのトランジスタに対応した伝導電子からみたエネルギーの模式図。トンネル電界効果トランジスタは、従来型のトランジスタと異なり、比較的薄いトンネル障壁により深い準位を介したトンネル伝導が可能となる。

電極へ取り出す電子のスピン状態を読み出す方法としては、スピン閉鎖現象を用いました(図3)。この手法では、スピンを読み出したい不純物(ターゲット不純物)の電子を電極へ取り出す際に、もう一つ別の不純物(遮断機不純物)を経由してからでないと取り出せないようにします。すると、パウリの排他律[9]として知られる量子力学的効果により、ニつの不純物のスピン状態が同じ場合には、電子は互いに近寄ることができず、電極に取り出せなくなります。

一方、スピン状態が異なる場合には、電子は互いに近寄って同じ位置にくるため、遮断機不純物を経由して電極に取り出すことができます。その結果、ターゲット不純物の電子スピン状態を電気信号として読み出すことができます。この読み出し手法に加え、磁気共鳴[10]技術で電子スピン状態の操作を行うことで、量子ビットの動作確認をしました。

図3
図3 スピン閉鎖によるスピン状態の読み出し
トランジスタのソース、ドレイン電極、2つの不純物(ターゲットおよび遮断機)の模式図。左図はターゲット不純物の電子スピンが遮断機不純物の電子スピンと同じ状態(両者ともに上向き矢印として表示)の場合。パウリ排他律によりターゲット不純物の電子は遮断機不純物へ移動できない。右図は電子スピンが異なる状態(それぞれを上向き、下向き矢印として表示)で、ターゲット不純物の電子スピンは遮断機不純物を経由してドレイン電極へ移動できる。

今回、ターゲット不純物としてアルミ-窒素不純物ペアを、遮断機不純物として素子にもともと入っている浅い不純物を用いました。その結果、最高温度10K(-263℃)までの量子ビット動作に成功しました。この温度は、従来のシリコン量子ビットの動作温度(0.1K以下)よりも100倍以上も高温です。

また今回の論文において共同研究グループは、単一電子伝導[11]による深い不純物単体の評価を行い、深い不純物の電子が室温においても強く局在していることを確認しています。

3.今後の期待

本研究の動作温度の上限が10Kに限られているのは、遮断機不純物が浅い不純物であったため、そのスピン状態が熱エネルギーにより撹乱されたことに起因します。今後、遮断機不純物にも別途深い不純物を用いることで、さらなる高温動作が期待できます。

今回実現した高温動作シリコン量子ビットは、量子ビット単体がトランジスタに埋め込まれた構造になっており、センサーなどの量子ビット単体の応用に向いています。量子コンピュータの構築に必要とされるビット間結合技術や、より信頼性の高い制御技術の実現は今後の課題となります。

4.論文情報

<タイトル>
High-temperature operation of a silicon qubit
<著者名>
Keiji Ono, Takahiro Mori, and Satoshi Moriyama
<雑誌>
Scientific Reports
<DOI>
10.1038/s41598-018-36476-z



5.補足説明

[1] 量子ビット
電子スピンの向きなどに符号化された情報の最小単位のこと。通常のデジタル回路では「0か1か」の2状態に情報が保持されるのに対し、量子ビットでは「0でありかつ1でもある」状態(重ね合わせの状態)を任意の割合で組み合わせて表現することができる。[参照元へ戻る]
[2] 電子スピン
電子が右回りまたは左回りに自転する回転の内部自由度のこと。この回転の向きに応じて、上向きまたは下向きの矢印で表される。[参照元へ戻る]
[3] 深い不純物
リン、ホウ素といったN型およびP型の極性を決める不純物は、一般的に価電子帯もしくは伝導帯のバンド端に近いエネルギー位置に不純物準位を作る。これらはバンド端とのエネルギー差が小さいため、浅い不純物と呼称される。一般的な浅い不純物以外に、バンド端とのエネルギー差が大きい位置に準位を作る、即ちシリコンバンドギャップ中央に近いエネルギー位置に準位を持つ多くの不純物が知られており、これらは深い不純物と呼ばれる。深い不純物も、イオン注入技術など、既存のシリコン技術によってシリコンへ導入可能である。単一元素からなる不純物以外に、アルミ不純物と窒素不純物が近接して作る不純物ペアも深い準位を形成する。本研究ではこのアルミ-窒素不純物ペアが用いられた。これら深い不純物の電子には室温でも強く局在しているものもあり、シリコンバンドギャップ深くに不純物準位を作る。[参照元へ戻る]
図
浅い不純物と深い不純物
[4] トンネル電界効果トランジスタ
N型のソース電極とP型のドレイン電極からなり、ゲート電圧によりP型(あるいはN型)に駆動されたチャネルとN電極(P電極)との間に流れるバンド間トンネル(ツェナートンネル)がオン電流を担う。従来型MOSFETの理論限界を破る急峻なスイッチングが可能であることから、超低消費電力素子として注目されている。チャネル長が短いトンネル電界効果トランジスタは、ゲート変調可能なPIN構造と見なすことができ、チャネル中に深い不純物が導入された場合、不純物準位を介したトンネル電流がトランジスタのソース・ドレイン電極間に流れる(ソース電極→深い不純物準位→ドレイン電極)。 [参照元へ戻る]
[5] スピン閉鎖現象
ニつの不純物準位を介したトンネル電流がトランジスタのソース・ドレイン電極間を流れる場合(ソース電極→不純物準位1→不純物準位2→ドレイン電極)、ある一定の条件を満たすとスピン状態に依存したトンネル効果が現れる。スピン依存性はパウリの排他律によるもので、各不純物のスピン状態が同じ場合には不純物間のトンネルが阻止され、ソース・ドレイン電極間の電流が抑制される。どちらかの電子スピンの状態を変化させる(量子ビットを反転させる)ことで、この閉鎖が解除され電流が流れる。比較的簡易な素子構造で実現できるため、スピン量子ビット読み出しの標準手法の一つとなっている。量子ビットを形成する2準位系のエネルギー差よりもはるかに大きな熱エネルギーの下でも機能するため、高温での量子ビット読み出しに適する。[参照元へ戻る]
[6] 量子コンピュータ
量子力学における重ね合わせを利用して、超並列計算を実現するコンピュータ。従来のコンピュータでは天文学的な時間のかかる因数分解の問題などを、数時間で解くことができる量子アルゴリズムが開発されており、超高速計算が可能になると考えられている。[参照元へ戻る]
[7] 熱エネルギーによる撹乱
原子と同様に、シリコン中の局在した電子は離散的なエネルギー状態をとる。電子がより強く局在しているほどこの離散性は大きい。ある温度にあるシリコンはその温度に比例したエネルギー(熱エネルギー)を持っており、局在電子の離散的エネルギー間隔が熱エネルギーよりも小さい場合、電子は高いエネルギー状態へ頻繁に、かつ無秩序に移ってしまう。こうなると、その量子状態は壊れてしまうため量子ビットとしては機能しない。[参照元へ戻る]
[8] トンネル効果、トンネル障壁
粒子があるポテンシャル障壁と呼ばれる高い壁のようなものに遭遇した際、古典力学では粒子がそのポテンシャル障壁を乗り超えるような運動エネルギーを獲得しない限り、障壁の向こう側に到達することはできないとされる。しかし、その運動の理解に量子力学が必要となるような、電子などの微小粒子の場合、高い運動エネルギーを獲得しなくとも、ある一定の確率でポテンシャル障壁の向こう側にすり抜けることができる。このような現象をトンネル効果、またはトンネル現象と呼ぶ。[参照元へ戻る]
[9] パウリの排他律
二つ以上のフェルミ粒子は同一の量子状態を占めることはできない、という量子力学の原理で、ここではニつの電子スピンは同じ場所では同じ状態を取れないことに対応する。[参照元へ戻る]
[10] 磁気共鳴
電子スピンなどの磁気モーメントは、静磁場中(本研究では0.5テスラ程度)において一定の角周波数(10GHz程度)で静磁場方向(歳差軸)の回りを歳差運動する。この角周波数と同じ周波数の交流磁場を静磁場に直交方向に加えると、磁気モーメントは常に一定方向の新たな静磁場を感じることになり、歳差軸が変化する。[参照元へ戻る]
[11] 単一電子伝導
不純物などの局在準位を介したソース・ドレイン間のトンネル伝導(ソース電極→局在準位→ドレイン電極)において特徴的に現れる。不純物準位が強く局在していることから、そこを経由する二つ以上の電子の間に強いクーロン斥力が働き、電気伝導が抑制される。ゲート電圧を調整することで、このクーロン斥力を補償することができるが、その場合にも二つ以上の電子が不純物に収まることはできないため、電子は1個ずつ、規則的に局在準位を経由してソース・ドレイン間を流れる。この現象はクーロン斥力エネルギーよりも小さな温度の下でのみ起こる。[参照元へ戻る]



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