理化学研究所(理研)開拓研究本部石橋極微デバイス工学研究室の大野圭司専任研究員(創発物性科学研究センター量子効果デバイス研究チーム 専任研究員)、産業技術総合研究所(産総研)ナノエレクトロニクス研究部門ナノCMOS集積グループの森貴洋主任研究員らの共同研究グループ※は、シリコン量子ビット[1]を10K(約-263℃)の高温で動作させることに成功しました。
本研究成果は、小型の冷却装置でも動作可能な量子ビットが実現したことから、センサーなど幅広い量子ビットの応用につながると期待できます。
シリコン中の電子スピン[2]を用いたシリコン量子ビットは、既存のシリコントランジスタ作製技術で製造でき、従来型シリコン集積回路との接続性の良さなどから注目を集めています。しかし、これまでのシリコン量子ビットは0.1K(約-273℃)以下の極低温環境でしか動作せず、その冷却には大型装置が必要でした。
今回、共同研究グループは、シリコン中の「深い不純物[3](アルミ-窒素不純物ペア)」の電子スピンを用いることで、従来よりも100倍以上高い温度(10K)での量子ビット動作を実現しました。具体的には、トンネル電界効果トランジスタ[4]構造に深い不純物を導入し、深い不純物の電子をトランジスタ電極に取り出し「スピン閉鎖現象[5]」を利用することで、量子ビットの状態をトランジスタの電気特性として読み出しました。
本研究は、英国の科学雑誌『Scientific Reports』オンライン版(1月24日付け:日本時間1月24日)に掲載されます。
|
図 トンネル電界効果トランジスタ(透過電子顕微鏡像)と導入された”深い不純物”(模式図) |
※共同研究グループ
理化学研究所 開拓研究本部 石橋極微デバイス研究室
専任研究員 大野 圭司(おおの けいじ)
(創発物性科学研究センター 量子効果デバイス研究チーム 専任研究員)
産業技術総合研究所 ナノエレクトロニクス研究部門 ナノCMOS集積グループ
主任研究員 森 貴洋(もり たかひろ)
物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点
量子デバイス工学グループ
主任研究員 森山 悟士(もりやま さとし)
※研究支援
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金基盤研究B「シリコンMOS技術と整合性をもつスピン量子ビットとその大規模集積化(研究代表者:大野圭司)」、同基盤研究B「シリコントンネルトランジスタの量子ドットデバイス応用に関する研究(研究代表者:森山悟士)」、同若手研究A「トンネルトランジスタのトラップエンジニアリングによる新機能素子の創製(研究代表者:森貴洋)」、同基盤研究A「シリコン量子ビット集積化に向けたスピン結合基本技術の創製(研究代表者:安田哲二)」、最先端研究開発支援プログラム(FIRST)「グリーン・ナノエレクトロニクスのコア技術開発(中心研究者:横山直樹)」による支援を受けて行われました。またこの研究課題は現在、理研と産総研の基本協定のもと、世界初/世界一技術の実現に向けた共同研究(理研-産総研「チャレンジ研究」)に採択され支援を受けています。
量子ビットは0と1、およびそれらの量子力学的重ね合わせ状態を取れるビットです。多数の量子ビットを結合することで、量子コンピュータ[6]を構築できるだけでなく、量子ビット単体であってもセンサーなどへの応用が期待されています。
なかでも、シリコン中の電子スピンを用いたシリコン量子ビットは、既存のシリコン技術でも作製可能であり、従来型シリコン集積回路との接続性の良さなどから注目を集めています。しかし、従来のシリコン量子ビットは、超伝導回路を用いる超伝導量子ビットと同様に、その動作には0.1K(約-273℃)以下という極低温環境が必要でした。この温度を作り出す冷却装置は、1台あたり1億円程度と高価で、かつ10m2程度の広い設置スペースが必要であり、装置への試料の導入・取り出しにはその都度数時間もかかるという問題があります。
そこで共同研究グループは、従来よりも高い温度で動作するシリコン量子ビットの開発を試みました。高温で動作する量子ビットであれば、その評価には小型・安価で試料交換も容易な冷却装置があればよく、研究開発にかかる費用、スペースおよび時間を節約することで、今後の研究開発を加速できます。
シリコン量子ビットに使われるのは、シリコン中の局在した電子のスピンの状態(上向き、下向き、あるいはその量子的重ね合わせ状態)です。高温で動作する量子ビットには熱エネルギーによる撹乱[7]に負けない、より強く局在した電子が必要です。局在した電子を実現するためには、電子を狭い領域に3次元的に閉じ込める量子ドット構造を用いることが1つの方法です。しかし、この方法で強い局在を実現するためには、極めて微小な領域に電子を閉じ込める必要があり、現代の加工技術では実現が困難となっています。また2つ目の方法としては、不純物を利用する方法があります。これは不純物が形成するエネルギー準位を利用するもので、不純物1個、即ち原子サイズの量子ドット閉じ込めを実現することに相当します。これまではリンをはじめとする一般的な不純物(浅い不純物)が利用されてきましたが、浅い不純物には電子は強く局在しないという問題がありました。そのため、共同研究グループはシリコンの「深い不純物」を用いました。シリコンには、リンやホウ素などの浅い不純物以外に、多くの深い不純物が知られています。深い不純物は浅い不純物と同様に、既存の技術でシリコンへ導入することができ、単一元素からなる不純物以外に、アルミ不純物と窒素不純物が近接して作る不純物ペアも深い準位を形成します。そこで、本研究の量子ビットにはアルミ-窒素不純物ペアを用いました。
量子ビットの状態を電気信号として読み出すには、深い不純物の電子をトランジスタの電極に取り出す必要があります。不純物電子の電極への移動はトンネル効果[8]で起こります。しかし、従来のトランジスタ構造ではこのトンネル障壁[8]が厚くなりすぎて、うまく電子を取り出すことができません。そこで、トンネル電界効果トランジスタ素子を採用することで、このトンネル障壁を薄くし、電子を電極へ取り出すことに成功しました(図1、2)。
|
図1 トンネル電界効果トランジスタ(透過電子顕微鏡像)と導入された”深い不純物” (模式図)
今回作製したシリコン量子ビットを実現するトンネル電界効果トランジスタの透過電子顕微鏡像に、導入した深い不純物を赤点で示した。ソース電極からドレイン電極に向かって流れる電子は、ゲート電極の電圧で制御される。1nmは10億分の1メートル。 |
|
図2 従来のトランジスタ(左図)とトンネル電界効果トランジスタ(右図)
従来型のトランジスタは、ソース、ドレイン電極ともにN型でできている(左上図)のに対して、今回採用したトンネル電界効果トランジスタは、N型のソース電極とP型のドレイン電極からなる(右上図)。下図は、それぞれのトランジスタに対応した伝導電子からみたエネルギーの模式図。トンネル電界効果トランジスタは、従来型のトランジスタと異なり、比較的薄いトンネル障壁により深い準位を介したトンネル伝導が可能となる。 |
電極へ取り出す電子のスピン状態を読み出す方法としては、スピン閉鎖現象を用いました(図3)。この手法では、スピンを読み出したい不純物(ターゲット不純物)の電子を電極へ取り出す際に、もう一つ別の不純物(遮断機不純物)を経由してからでないと取り出せないようにします。すると、パウリの排他律[9]として知られる量子力学的効果により、ニつの不純物のスピン状態が同じ場合には、電子は互いに近寄ることができず、電極に取り出せなくなります。
一方、スピン状態が異なる場合には、電子は互いに近寄って同じ位置にくるため、遮断機不純物を経由して電極に取り出すことができます。その結果、ターゲット不純物の電子スピン状態を電気信号として読み出すことができます。この読み出し手法に加え、磁気共鳴[10]技術で電子スピン状態の操作を行うことで、量子ビットの動作確認をしました。
|
図3 スピン閉鎖によるスピン状態の読み出し
トランジスタのソース、ドレイン電極、2つの不純物(ターゲットおよび遮断機)の模式図。左図はターゲット不純物の電子スピンが遮断機不純物の電子スピンと同じ状態(両者ともに上向き矢印として表示)の場合。パウリ排他律によりターゲット不純物の電子は遮断機不純物へ移動できない。右図は電子スピンが異なる状態(それぞれを上向き、下向き矢印として表示)で、ターゲット不純物の電子スピンは遮断機不純物を経由してドレイン電極へ移動できる。 |
今回、ターゲット不純物としてアルミ-窒素不純物ペアを、遮断機不純物として素子にもともと入っている浅い不純物を用いました。その結果、最高温度10K(-263℃)までの量子ビット動作に成功しました。この温度は、従来のシリコン量子ビットの動作温度(0.1K以下)よりも100倍以上も高温です。
また今回の論文において共同研究グループは、単一電子伝導[11]による深い不純物単体の評価を行い、深い不純物の電子が室温においても強く局在していることを確認しています。
本研究の動作温度の上限が10Kに限られているのは、遮断機不純物が浅い不純物であったため、そのスピン状態が熱エネルギーにより撹乱されたことに起因します。今後、遮断機不純物にも別途深い不純物を用いることで、さらなる高温動作が期待できます。
今回実現した高温動作シリコン量子ビットは、量子ビット単体がトランジスタに埋め込まれた構造になっており、センサーなどの量子ビット単体の応用に向いています。量子コンピュータの構築に必要とされるビット間結合技術や、より信頼性の高い制御技術の実現は今後の課題となります。
<タイトル>
High-temperature operation of a silicon qubit
<著者名>
Keiji Ono, Takahiro Mori, and Satoshi Moriyama
<雑誌>
Scientific Reports
<DOI>
10.1038/s41598-018-36476-z