国立大学法人 大阪大学大学院基礎工学研究科(附属スピントロニクス学術連携研究教育センター)の後藤穣助教、若竹陽介(当時博士前期課程二年)、Ugwumsinachi Kalu Oji(当時学部三年)、三輪真嗣准教授(現東京大学)、鈴木義茂教授は国立研究開発法人 産業技術総合研究所スピントロニクス研究センターの久保田均総括研究主幹、薬師寺啓研究チーム長、福島章雄副研究センター長、湯浅新治研究センター長とGrenoble Alpes UniversityのNikita Strelkov研究員、Bernard Dieny教授と共同で、ナノサイズの磁石の磁極の向きを熱によって高速・高効率に制御することに成功しました。
Society 5.0では必要な時に必要な情報がAIなどを介して提供されることが求められており、その実現のためには情報の記憶とAIに関わるエネルギー消費を大幅に下げる必要があります。本研究はナノサイズの磁石の利用により上記課題の解決を狙ったものであり、その一歩として、熱による磁極の効率的な制御を実現しました。その結果、ナノサイズの磁石が高周波電気信号を増幅するという新たな現象を発見しました。この技術は不揮発性固体磁気メモリーであるMRAMやAIハードウエアの低消費電力化に寄与するものと期待されます。
本研究は内閣府革新的研究開発推進プログラム「無充電で長期間使用できる究極のエコIT機器の実現」(プログラム・マネージャー:佐橋政司)及び総務省「次世代人工知能技術の研究開発、課題Ⅱ 脳型演算処理技術の研究開発」の委託の一環として行われました。
本研究成果は、2019年1月4日発行の英国科学雑誌「Nature Nanotechnology」で出版されます(2018年11月26日午後4時(英国時間)発行のオンライン速報版で公開)。
近年のIoT注1)やAI注2)の急速な発展に伴い、情報通信機器の低消費電力化が急務となっています。さらに、度重なる災害時にも長時間動作する低消費電力情報通信端末の実現が最重要課題とされています。これらの課題を解決する手段として、スピントロニクス注3)が注目されています。スピントロニクス分野では磁石の磁極を利用した不揮発性メモリーである磁気ランダムアクセスメモリー(Magnetoresistive Random Access Memory:MRAM)注4)の開発が精力的に進められています。MRAMは情報の記憶として磁石の磁極の方向を利用しているため、待機電力ゼロの低消費電力メモリーとして期待されています。また、近年これらの技術をAIハードウエアに適用し、AIの低消費電力化を試みる研究も始められています。この情報を記憶する素子を磁気トンネル接合(Magnetic Tunnel Junction:MTJ)注5)とよび、MTJの磁極の向きを小さな電流・電圧で制御することで、素子の消費電力を抑えることができます。これまでは素子にスピン注入注6)を行うことで情報を書き込む方式のMRAMの開発が進められてきました。しかし、この方式では書き込みを高速にすると書き込み電流が急激に増大するという問題があり、近年我々は素子に電圧を印加して磁石の磁気異方性注7)を変えることでスピン注入書き込みよりも小さなエネルギーで情報の書き込みができることを報告してきました。この磁気異方性を制御する方式を実用化させるためには、磁気異方性変化の大きさの増大が求められています。これまでは材料探索によって磁気異方性変化の改善が報告されてきましたが、実用化に求められる特性は実現していません。そこで、材料探索だけでなく、別の原理による磁気異方性変化の探求も求められています。
本研究では絶縁体を二層用いたMTJ構造を用いて、ジュール熱による巨大な磁気異方性変化を得ることに成功しました(図1)。通常のMTJ構造では、金属磁石(固定層注8))|絶縁体|金属磁石(自由層注9))の三層構造ですが、我々の構造では金属磁石(自由層)の両面を絶縁体で囲いました。このことによって、金属磁石(自由層)と絶縁体の間に生じる巨大な界面熱抵抗が熱の拡散を抑制し、MTJに電流が流れた時のジュール熱による金属磁石(自由層)の温度上昇が促進されます。金属磁石(自由層)の温度が上昇すると、磁気異方性が変化するため磁極の方向を変えることができます。MTJに印加した電圧に対する金属磁石(自由層)の磁気異方性を測定すると、電圧に対して二次関数型の依存性を示すことが分かりました(図2)。ジュール熱の大きさは電圧の二乗に比例するため、この結果はジュール熱による温度上昇が磁気異方性を変化させていることを示しています。この曲線の傾きが、我々が求めている磁気異方性変化の大きさに相当します。この時得られた熱による磁気異方性変化の最大値は300 fJ/Vmであることが分かりました。この大きさは既報で高速性が確かめられている電圧による磁気異方性変化の最大値注10)に匹敵し、今後さらなる熱拡散の抑制により一層大きくなることが期待されます。この方法では高速に磁化反転しても必要な電圧・電流の増大は無く、高速磁化反転においても省エネルギーな技術となる可能性があります。また、熱による磁気異方性の変化は金属磁石(自由層)全体で生じるため、従来の磁気異方性変化の手法と比べてより大きな膜厚の素子への適応が可能となります。大きな膜厚の磁石は人工知能計算を行う際に必要な技術であり、応用の範囲が人工知能ハードウエアなどに広がることが期待されます。
さらに我々は、このような大きな磁気異方性変化を利用することで、MTJを用いてマイクロ波が増幅される新たな現象を発見しました。図3(左図)にこの現象の概念図を示します。直流電流を印加したMTJにマイクロ波を印加します。入力マイクロ波は金属磁石(自由層)(赤矢印)の温度をわずかに振動させます。その結果、磁極の方向も振動します。磁極の方向の振動はトンネル磁気抵抗効果注11)を通じてMTJの抵抗の振動となります。抵抗の振動と直流電流によって電圧が振動し、その電圧の振動がマイクロ波を発生させます。結果として、入力マイクロ波よりも大きな反射マイクロ波が得られます。マイクロ波の増幅に関する従来研究注12)では、振動磁場を利用した実験が報告されていますが、得られたマイクロ波パワー増幅率は0.005であり、増幅現象は確認されませんでした。図3(右図)にマイクロ波パワー反射率の周波数と外部磁場に対する依存性を示します。外部磁場50 mTおよびマイクロ波周波数0.4 GHzにおいてマイクロ波パワー反射率1.6程度が得られることが分かりました。この結果はマイクロ波電力が入力マイクロ波に対して60 %程度増幅されたことに相当します。本研究はスピントロニクス素子を用いて初めてマイクロ波が増幅される現象を実証した実験であり、今後半導体を超えるような新しい特性の発見や高感度・高出力な新規マイクロ波素子への応用が期待されます。
今後はジュール熱による磁気異方性変化を利用して、磁性体を用いた低消費電力人工知能の実現や、磁性体を用いた検波素子や発振素子などのマイクロ波素子の高性能化を図っていきます。
本研究成果は、2019年1月4日発行の英国科学雑誌「Nature Nanotechnology」で出版されます(2018年11月26日午後4時(英国時間)発行のオンライン速報版で公開)。
論文雑誌名:Nature Nanotechnology
論文題目 :“Microwave amplification in a magnetic tunnel junction induced by heat-to-spin conversion at the nano-scale”
「ナノスケールで熱―スピン変換により駆動される磁気トンネル接合を用いたマイクロ波増幅」
著者名 :Minori Goto, Yosuke Wakatake, Ugwumsinachi Kalu Oji, Shinji Miwa, Nikita Strelkov, Bernard Dieny, Hitoshi Kubota, Kay Yakushiji, Akio Fukushima, Shinji Yuasa, and Yoshishige Suzuki
DOI :10.1038/s41565-018-0306-9
また、本成果は以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
●内閣府 革新的研究開発推進プログラム (ImPACT)
"プログラム・マネージャー: 佐橋 政司
研究開発プログラム: 無充電で長期間使用できる究極のエコIT機器の実現
研究開発課題: 電圧効果の物理機構解明と高効率化のための指針確立
研究開発責任者: 鈴木 義茂
(大阪大学 大学院基礎工学研究科 附属スピントロニクス学術連携研究教育センター 教授)
研究期間: 平成26年度~平成30年度
本研究開発課題では、電圧駆動型MRAM実現のため磁気異方性の電圧効果の研究に取り組んでいます。
■佐橋政司 プログラム・マネージャーのコメント■
ImPACT佐橋プログラムでは、究極のエコIT機器の実現を目指して、電圧駆動MRAMの開発[プロジェクトリーダー:湯浅新治(産業技術総合研究所)]に取り組んでいます。今回大阪大学と産業技術総合研究所によってなされた「閉じ込められた熱による記憶層磁化(磁石の磁極)の高速でかつ高効率な磁極制御」は、電圧駆動MRAMの高性能化に有益となります。電圧駆動MRAMの開発において最も重要な電圧による磁気異方性変化の大きさを決める電圧効果を記憶層に閉じ込められた熱を使って高めることができるとの新たな知見を提供するものです。また、今回の研究成果は、AIハードウエアの低消費電力化やマイクロ波発振素子の高効率化への波及効果も見込めます。今後は磁性体を用いた低消費電力人工知能の実現や、磁性体を用いた検波素子や発振素子などのマイクロ波素子の高性能化を図っていただくことを期待します。