近年、タンパク質1分子の観察は驚異的な発展を遂げており、生体内における分子ダイナミクスを高速・高精度に観察することが可能となってきた。従来のX線1分子追跡法(Diffracted X‒ray Tracking: DXT、注3)では、目的のタンパク質分子の特定部位に金ナノ結晶を標識し、そのナノ結晶からの回折X線スポットの位置変化を観測することで、マイクロ秒以下の高時間分解能、かつ、ピコメートルの精度で、タンパク質1分子の内部運動を捉えることができるため、DXTを用いたDNAや巨大膜タンパク質の1分子内部運動の計測に成功している。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の佐々木裕次教授(産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ兼務)、及び公益財団法人高輝度光科学研究センターの研究グループは、大型放射光施設で単色X線を用いた回折実験において、回折X線強度が標識した金ナノ結晶の運動のために明滅する現象(Blinking X-ray: X線ブリンキングと命名、注4)を世界で初めて確認し、その自己相関(注5)解析をすることで、回折X線スポットの運動速度を定量的に評価できることを示した。また、この単色X線を用いた新しい計測手法は、世界で唯一1分子内部運動の測定が可能であったDXTに比べ、回折X線ブリンキング観察に必要なX線露光量が1/1,700であることを明らかにした。したがって、回折X線ブリンキング観察を用いれば、非常に低露光量での単一分子動態計測が可能となる。さらに、この低露光量という特長を生かすことで、実験室X線光源で1分子動態計測がミリ秒レベルで可能であることも実証した。
1990年代から飛躍的に発展したバイオ計測において、特に、可視光を用いた超解像顕微鏡(2014年ノーベル化学賞受賞、注6)と電子顕微鏡を用いた単粒子解析法(2017年ノーベル化学賞受賞、注7)は、バイオ分子の平均値を議論してきた従来の分子生物学を、1分子レベルで議論できる1分子生命科学へと一変させた。これらの進展後、研究者たちは、分子内部運動の測定に挑戦し始めた。しかし、可視光では波長由来の精度的困難さで、また、電子顕微鏡は低温測定が基本であったため、連続的実時間測定による運動計測は原理的に不可能だった。1998年に、佐々木教授は、高精度でかつ高速性を持つ量子プローブ1分子追跡法を世界で初めて提案し実現した。この方法では、タンパク質分子の観察目的部位を金ナノ結晶(直径数十ナノメートル)で化学標識し、標識ナノ結晶からの回折X線スポットの運動を時分割追跡する。このX線1分子追跡法DXTは、分子内部の回転運動を計測できるが、並進運動に換算するとピコメートル精度の位置決定が可能で、測定最高速度は数百ナノ秒の時分割観察が可能であった。現在まで多くの分子内運動計測に成功し、特に巨大膜タンパク質分子のイオンチャンネル開閉運動の1分子計測は他の方法では実現できない成果であった。
しかし、DXTは白色X線(注8)を用いているため、その活用例は限られていた。最近の大型放射光施設は、ほとんど単色X線しか利用しないので、ビームライン設計段階で白色X線の利用が検討されることはない。そこで今回、単色X線を用いて実験したところ、回折X線強度の明確な点滅(Blinking X-ray: X線ブリンキング)を世界で初めて検出した。そして、このX線ブリンキングからの単一分子動態に関する情報の抽出を試み、回折X線スポット強度の自己相関が、1分子の運動速度と高い相関があることを見いだした。次に、X線光源を大型放射光施設SPring-8(注9)よりもX線強度で5桁弱い実験室用X線光源(Rigaku FR-D)へ変更し、アセチルコリン結合タンパク質(AChBP)を観察したところ、明確なX線ブリンキングが観察された。また、放射光利用の際と同様の解析を通じて、AChBPにアセチルコリン(ACh)が結合するとAChBPの上部構造が大きく左右に揺らぐことを100ミリ秒オーダーの時分割性で評価することに成功した。この結果は、本計測技術が、大幅に小型化して実験室レベルで利用できることを示しており、この露光量が極めて小さいことから、今後、ダメージレス測定・長時間観察・いろいろな格子定数の標識ナノ結晶の運動を同時計測できるマルチ(カラー)標識等を強みにさまざまな展開が期待できる。
本研究成果は、ネイチャー・パブリッシング・グループ(Nature Publishing Group)電子ジャーナル「Scientific Reports」のオンライン速報版で11月30日に公開される。
なお、本研究は、東京大学、産業技術総合研究所、及び(公財)高輝度光科学研究センター(SPring-8/JASRI)との共同で行われた。また本研究は、平成26年度(2014年度) 採択の科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型)「3D活性サイト科学」(領域代表 奈良先端科学技術大学院大学 大門寛 教授)の研究課題名「バイオロジーにおける3D活性サイト科学 」(研究代表 佐々木裕次 教授)、平成27年度(2015年度) 採択の科学研究費助成事業 基盤研究(A) (研究代表 佐々木裕次 教授)の研究課題名「実験室における天然変性タンパク質のX線1分子動態計測装置開発」及び、国立研究開発法人日本医療研究開発機構 革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)の「生体恒常性維持・変容・破綻機構のネットワーク的理解に基づく最適医療実現のための技術創出」研究開発領域における研究開発課題「リン恒常性を維持する臓器間ネットワークとその破綻がもたらす病態の解明」(研究開発代表者:黒尾誠)の支援を受けて実施された。
雑誌名: Scientific Reports (オンライン版11月30日掲載)
論文タイトル: Diffracted X-ray blinking tracks single protein motions
著者:H. Sekiguchi2, M. Kuramochi1, K. Ikezaki1, Y. Okamura1, K. Yoshimura1, K. Matsubara1, J. W. Chang1, N. Ohta2, Tai Kubo3, Kazuhiro Mio3, Yoshio Suzuki1, Leonard M. G. Chavas4, and Yuji C. Sasaki1, 2, 3, (Corresponding author: H. Sekiguchi, Y. C. Sasaki)
1 東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻, 2公益財団法人 高輝度光科学研究センター(JASRI/SPring-8), 3産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ, 4 Proxima-I, Synchrotron SOLEIL(フランス・パリ大型光施設)