国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)環境管理研究部門【研究部門長 田中 幹也】環境微生物研究グループ 金 誠培 主任研究員と慶應義塾大学【塾長 長谷山 彰】理工学部応用化学科 鈴木 孝治 名誉教授、チッテリオ ダニエル 教授、大学院理工学研究科博士課程 西原 諒(2017年9月修了)は、共同で蛍光色素付き発光基質類を開発し、生物発光の多色化を実現した。天然の生物発光基質(セレンテラジン、nCZT)にさまざまな蛍光色素を導入して一連の蛍光色素付き発光基質をシステム的に開発した。これらを産総研独自の人工生物発光酵素群(ALuc®;産総研商標)やウミシイタケ生物発光酵素(RLuc)と反応させて、青色から赤色まで多彩な発光色を得た。この色の変化は、発光基質のエネルギーが蛍光色素に移動する現象(化学発光/生物発光共鳴エネルギー移動現象(CRET/BRET))によるものである。開発した発光基質の一部は、発光酵素と選択的に発光するので、複雑な化学物質が共存する系でも特定の発光酵素だけを発光させることができる。また、蛍光色素導入の合成中間体であるアジド基付き発光基質は、極めて高輝度の緑色発光を酵素選択的に放つことも見出した。これらの成果は、高感度診断試薬の開発、癌の早期診断、各種バイオアッセイ、生体イメージングなどに広く利用できると期待される。
この研究成果は、アメリカ化学会の学術誌Bioconjugate Chemistryに2018年5月16日版(米国東部夏時間)でオンライン掲載される。
蛍光色素付きの発光基質を用いた酵素選択性・多色発光性を示す生物発光システム
生物発光とは、ホタルやウミシイタケ(海洋性生物)などの生体内の生物発光酵素(光を放つ化学反応を触媒する生物由来の酵素)が、生物発光基質と特異的な触媒反応をし、基質が貯めている化学エネルギーを光として放つ現象である。生物発光は、一般に生体に無害であり、複雑な検出器が必要でないので、さまざまなバイオアッセイでの発光標識として用いられている。
生物発光は蛍光に比べてバックグランド信号が低く、高感度な発光標識であるが、発光そのものは弱く、発光色も限られている。これらを克服した発光技術ができれば、より高性能なバイオアッセイ系の開発にも繋がり、基礎医学から産業応用まで波及効果が大きい。
慶應義塾大学は、多様な化学構造の発光基質を世界に先駆けて開発してきた。また、産総研は人工生物発光酵素(ALuc®)群に関する独自の研究分野を開拓してきた。生物発光は、「発光基質」と「発光酵素」間の触媒反応により生じるので、慶應義塾大学の発光基質技術と産総研の発光酵素技術を組み合わせて、新たな生物発光技術を開発することとした
なお、この開発は、日本学術振興会科学研究費助成事業基盤研究A(平成29年度~32年度)、基盤研究B(平成28年度~29年度)、挑戦的萌芽研究(平成28年度~29年度)による支援を受けて行った。
今回、結晶構造が既知のウミシイタケ発光酵素(RLuc)と産総研独自の人工生物発光酵素(ALuc®)の酵素活性部位に結合できる天然の発光基質であるセレンテラジン(CTZ)の構造の計算科学シミュレーションを行った(図1)。その結果、発光酵素ALuc®に対しては発光基質のC-2位、発光酵素RLucに対してはC-6位を化学修飾すると、基質と酵素との結合に大きく影響する、との予想が得られた。
図1 生物発光酵素の典型的な基質―発光酵素結合モデル
そこで、発光基質のC-6位やC-2位にアジド基(N3)を導入し、さらにアジド基の反応性を利用してフルオレセイン(FITC)、ナイルレッド(Nile-R)、フルオレセインスクシンイミジルエステル(SFX)、2,6-ジメトキシ-1,3,5トリアジン(DMT)、クロリン(Chlorin)などの小さな蛍光色素分子を導入し、一連の新たな蛍光色素付き発光基質を合成した(図2、図3、図4、図中、nCZTは天然のセレンテラジンを示し、略称の数字は蛍光色素やアジド基を導入した炭素位置を示す)。なお、蛍光色素を発光基質に導入した事例は、今までに1つの基質のみを作った1例だけであった(Chem. Asian J. 2011, 6, 1800)。
図2 天然の生物発光基質(セレンテラジン)のC-6位の蛍光色素修飾の模式図
図3 蛍光色素付き発光基質の概念(左)とその例(右)
また、新たに合成した発光基質に対して最適に発光する新たな人工生物発光酵素(ALuc®)群も開発した。産総研では、開発したALuc®の名前に固有の番号を付けてきたので、今回も新たなALuc®類にALuc17、ALuc18などの名前を付与した。これらは、既存のALuc®のアミノ酸配列を参考にしつつ、発光プランクトン由来の発光酵素のデータベースから頻度の高いアミノ酸を抽出し、各配列間のアミノ酸相同性を高める方向で配列を改変して作製した。
図4 今回合成した蛍光色素付き発光基質の化学構造
黄色影は、導入した官能基を表す。
今回の開発は、蛍光色素付き発光基質が発光酵素と反応してエネルギーを産生し、そのエネルギーは蛍光色素に伝わって蛍光色素がない場合とは異なる色の蛍光を発光するという作業仮説に基づいて行った。実際に、今回開発した蛍光色素付き発光基質を酸化させることにより化学発光を誘発したところ、青から赤まで多様な化学発光色を示した(図5(A))。これらは、化学発光共鳴エネルギー移動(CRET)によって発光基質が産生した共鳴エネルギーが、蛍光色素に移動して、多様な色の光を発光したと考えられる。これらの蛍光色素付き発光基質を今回開発した人工生物発光酵素のひとつであるALuc16と混ぜると、生物発光エネルギー移動(BRET)による発光とみられるスペクトルが観察できた(図5(B))。一方、蛍光色素付き発光基質の合成過程の中間体であるアジド基付き発光物質6-N3-CTZを生物発光酵素RLuc8.6-535と混ぜると、発光は青色(400 nm付近)になるが、このアジド基に蛍光色素をつけた発光基質6-FITC-CTZと混ぜると緑色の発光(522 nm付近)を示した(図5(D))。別の生物発酵酵素RLuc8を用いても同様の発色現象がみられた(図5(C))。
このように、発光基質に蛍光色素などを導入することによって、さまざまな発光色が得られた。導入する蛍光色素を変えることにより、さらに多彩な発光色の創出が期待される。
図5 (A) 蛍光色素付き発光基質の化学発光共鳴エネルギー移動(CRET)による発光スペクトル
(B)人工生物発光酵素(ALuc16)共存下での蛍光色素付き発光基質の生物発光共鳴エネルギー移動(BRET)による発光スペクトル
(C)ウミシイタケ生物発光酵素(RLuc8)共存下での蛍光色素付き発光基質のBRETによる発光スペクトル
(D)ウミシイタケ生物発光酵素(RLuc8.6-535)共存下での蛍光色素付き発光基質のBRETによる発光スペクトル
今回の蛍光色素付き発光基質の合成中間体であるアジド基を付けた発光基質(6-N3-CTZ、2-N3-CTZ)についても、ALuc®群と混合して、その発光輝度と発光色を調べた(図6)。その結果、アジド基を導入していない天然の発光基質(nCTZ)に比べて、かなり強い発光輝度を示し(図6(A))、発光色も変化していた(図6(B))。強い発光が求められる用途への応用が考えられる。
特定の発光基質と発光酵素の組み合わせの場合だけ、特異的に発光する現象もみられた。例えば、生きた動物細胞のイメージングでも、同様に特異的な発光現象が確認できた。従って2つ以上の特異的な発光基質と発光酵素の組み合わせを共存させた状態でバイオアッセイ(マルチプレックスアッセイ)を行うことも考えられる。
今回、蛍光と生物発光が持つ限界を克服するための新たなアプローチとして、天然の生物発光基質に蛍光色素を導入した独自の発光システムが作製でき、従来になかった発光特性(多彩な発光色、酵素選択的な発光、高い発光輝度など)が実現できたといえる。
図6 (A) 新規人工発光基質と発光酵素の組み合わせによる相対的な発光輝度の比較
(RLU: 相対的発光ユニット)
(B)ALuc16共存下での各発光基質の発光スペクトル
動画1:人工生物発光酵素(ALuc16)に新たな発光基質(6-N3-CTZ)を添加したことによる生物発光現象
今回の成果をベースに、更なる高輝度・高安定性・近赤外線発光特性を示す生物発光基質の開発に取り組む。また、今回開発した発光システムを実際の生体イメージングやバイオアッセイに応用する研究を並行して進め、革新的な分子イメージングモデルの創製を目指す。