国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)電子光技術研究部門【研究部門長 森 雅彦】超伝導エレクトロニクス研究グループ 長谷 泉 主任研究員、柳澤 孝 上級主任研究員、酸化物デバイスグループ 相浦 義弘 研究グループ長らは、磁性元素を含まないパイロクロア型酸化物であるSn2Nb2O7やSn2Ta2O7 (Sn:スズ、Nb:ニオブ、Ta:タンタル、O:酸素)に正孔を導入できれば、磁石としての性質を示す強磁性が出現することを理論的に予測した。
フラットバンド模型は完全強磁性、超伝導、分数量子ホール効果などの特異な物性を生み出す「奇跡の模型」として注目されて来た。通常、磁性元素を含まない物質は強磁性を示さないが、フラットバンド模型では磁性元素を含まなくても強磁性を示すと予測されていた。このいわば「無から有」を生む鍵は二つあり、一つは結晶構造で、もう一つは適切な化学組成である。しかし、この模型を実現する現実の物質はこれまで示されていなかった。
今回対象とした酸化物の結晶は内部にパイロクロア格子と呼ばれる特徴的な格子を含む。また、今回の化学組成を選び、さらに正孔を導入すると、実在する物質でフラットバンド模型が近似的に実現すること(擬フラットバンド)や、強磁性が出現することを第一原理計算によって理論的に予測できた。この発見によりフラットバンド模型の性質の実験的検証が進むと同時に、磁性元素を含まない磁性材料などへの応用が期待される。
なお、この研究の詳細は、2018年5月7日(米国時間)に米国物理学会が発行する学術誌Physical Review Lettersのオンライン版に掲載された。
|
従来の磁性体とフラットバンド磁性体の比較 |
従来の磁性体は単独で磁性を示す磁性元素が集合して磁性体となるが、フラットバンド磁性体では単独では磁性を持たない非磁性元素が、図のような特徴的な結晶構造を形成して磁性体となる。 |
高度情報化社会と低エネルギー消費社会を実現するために、これまで多くの磁性材料が開発されて来た。ただ、実用化されている強い磁石はいずれも希少元素を含み、わが国ではほとんど産出しない元素を含むものも多い。また車両や旅客機などでの利用も考慮して、環境負荷が少なく、軽量で、希少元素を含まない磁石の開発が求められている。さらにIoT(モノに通信機能やセンサーをつけ、インターネットにつなぐこと)時代となった現在、センサーやメモリーなどの磁気デバイスを半導体デバイスと同時に集積、実装するニーズも高まっている。
産総研では、希少な磁性元素を含まず、軽量で、大気中でも安定な磁性体や超伝導体の開発を進めて来た。しかし、これまでの磁性体はいずれも磁性元素がもともと持つ「磁石」を利用していたため、選択できる元素が重元素である磁性元素に限られていた。一方で、高性能太陽電池などの開発も進めており、その材料の有力候補であるSn2Nb2O7、Sn2Ta2O7を調べて行くうちに、電子のバンド構造が「フラットバンド模型」のバンド構造に似ていることが分かった。これまで、この理論模型で表される現実の物質は発見されていなかったため、第一原理計算によって今回対象とした物質がフラットバンド模型で表されるかどうかを検証することとした。フラットバンド模型からは完全強磁性をはじめとして、多くの魅力的な物性が発現することが予測されていたからである。
なお、本研究は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業(基盤研究C、課題番号26400379)による支援を受けて行った。
パイロクロア型酸化物半導体であるSn2Nb2O7とSn2Ta2O7の第一原理計算の結果、半導体としては極めてエネルギー幅の狭い価電子帯のエネルギーバンド(擬フラットバンド)が現れることがわかった。またこれらの物質に正孔を導入した場合についても計算を行った結果、かなり広い正孔濃度範囲で安定な強磁性をもつことが示された(図1)。正孔を導入する前(δ=0)は、上向きスピンのバンドと下向きスピンのバンドは分裂せず同エネルギーであるため、上向きのスピンと下向きのスピンが同数となり、完全に打ち消しあうため磁性は生じない。一方、正孔を導入すると(δ≠0)、フラットバンドが上向きスピンのバンドと下向きスピンのバンドに分裂する。この時上向きスピンのバンドのエネルギーが下向きスピンのバンドのエネルギーより低くなり、上向きスピンの数が下向きスピンよりも多くなるため、強磁性が生じる。図からも、擬フラットバンドが上向きスピンバンドにはスピンがあるのに、下向きスピンバンドにはスピンが含まれていないことがわかる。正孔濃度を変化させて同様の計算を繰り返し、磁性の強さ(磁化)と正孔の濃度の関係を得た(図1(c))。正孔を導入すると磁化は正孔数に比例して大きくなるが、ある濃度を越えると磁性は急激に減少することがわかった。
|
図1: Sn2Nb2O7の状態密度曲線と磁性の強さ |
横長四角で囲った部分が擬フラットバンド。横軸は上向きスピンと下向きスピンの個数を表す。正孔を導入した後は両者の個数が異なり、その差により磁性を示す。磁性の強さは正孔の個数に依存する。 |
理論解析により、この擬フラットバンドがパイロクロア格子の特殊な幾何学的配置に起因することを見出した。パイロクロア格子の幾何学的な特徴は図2(a)に示すように、4個の原子が正四面体を構成し、それらが頂点を共有して格子を組んでいることである。この格子では、最近接原子間でだけ電子が移動できる場合に、フラットバンドが現れる。現実のSn2Nb2O7ではパイロクロア格子以外の位置にも原子が存在し、また電子が最近接以外の原子にも移動できるため、図2(b)のような複雑なエネルギーバンド構造となる。しかし、本質的な部分はこのフラットバンド模型で良く記述できる。ここに正孔を導入すると上述の通り強磁性が出現する。この磁性はスズや酸素と言った非磁性元素による極めて珍しい電子状態に起因するもので、従来の磁性材料の磁性発現機構と異なり、完全強磁性との関わりが深いと考えられる。
|
図2: (a)パイロクロア格子と(b)Sn2Nb2O7のエネルギーバンド |
特に(b)の赤色部分が擬フラットバンドで、この部分が強磁性となるために本質的な役割を果たす。 |
今回予測された磁性体は磁性元素を含まないものである。この発見は学術的に極めて興味深いと同時に、磁性元素を含まない磁性体が実現すれば、一般に半導体プロセスとの親和性が悪い磁性元素を使用せずに済むため、半導体ラインで使える新たな磁気デバイス材料としても有望であると考えられる。
フラットバンド模型からは多彩で革新的な物性が理論的に予測されているが、この模型で良く表される現実の物質が発見されていなかったため、理論的な興味にとどまっていた。今回、近似的にフラットバンド模型で表される現実の物質が予測されたため、磁性元素を含まない強磁性体、超伝導、高温での分数量子ホール効果などの実証に向けて、理論と実験の両面から研究を進める予定である。