国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノ材料研究部門【研究部門長 佐々木 毅】林 君浩 協力研究員(独立行政法人 日本学術振興会(JSPS) 外国人特別研究員)とシンガポール南洋工科大学は、遷移金属カルコゲナイドと呼ばれる物質を二次元材料である単原子膜として基板上に成長させる簡便な合成法を開発した。
グラフェンなどに代表される二次元材料は、金属・半導体から超伝導まで多様な電子特性が極薄の材料で実現できるため次世代のナノデバイスの構成部品として期待されている。しかし、二次元材料の多くは単原子膜では不安定で電子部品基板上に直接成長させることができなかった。
今回開発した合成技術は、化学気相成長(CVD)法を用いるが、遷移金属源に塩(NaCl、KI)を添加して溶融させ、キャリアガスでカルコゲン源を供給することによって、これまで作製が困難であった多種多様な遷移金属カルコゲナイドの単原子膜をシリコン基板上に直接合成・成長させることができる。今回、超伝導特性を示す二セレン化ニオブをはじめ47種類の遷移金属カルコゲナイドの単原子膜が合成でき、合成された二次元材料は、産総研の最先端電子顕微鏡技術により欠陥や不純物が少なく高品質であることが分かった。今回の合成技術で開発した単原子膜は電界効果型トランジスタ(FET)やダイオードなど多くの電子デバイスに応用できる可能性があり、今後のナノエレクトロニクス分野への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2018年4月19日(現地時間)に英国の学術誌Natureに掲載される。
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多様な遷移金属源に塩を加えて溶融し、カルコゲン源を供給して簡便に多様な単原子膜を合成 |
近年、グラフェンをはじめとする原子1個の厚さの単原子膜や原子数個の厚さの薄膜の物性が注目を集めている。特に、遷移金属とカルコゲンが結合した遷移金属カルコゲナイドは、グラフェンとは異なる性質をもち、その半導体的性質や電子移動度の高さなどから、次世代ナノエレクトロニクスのFETやダイオードなどの構成材料として、また、超伝導体としての応用が期待されている。しかし、遷移金属カルコゲナイドのうち、安定して成長させることができる単原子膜は、二硫化モリブデン(MoS2)や二セレン化タングステン(WSe2)など数種類に限られ、超伝導を示す二硫化チタン(TiS2)や二テルル化ニオブ(NbTe2)などの単原子膜の直接合成はできなかった。バルクや積層された材料から機械的に単原子膜を剥離する方法もあるが、大面積の単原子膜が得られず、剥離した膜の取り扱いも困難でデバイスへの応用は難しい。そのため、単原子膜など二次元材料をエレクトロニクス分野で幅広く応用するには、基板上に、高品質の各種単原子膜を直接作製できる技術が望まれていた。
産総研では、ナノ材料、特に低次元物質の研究開発に取り組んでおり、遷移金属カルコゲナイドの単原子膜をはじめとする二次元材料については、原子レベルの構造解析からその応用研究まで多岐に渡って進めてきた。中でも、電子顕微鏡を用いた材料評価や品質評価には多くの実績があり、先端材料の性能を左右する欠陥や不純物などを観察できる世界無二の技術を誇っている。特に、長年、試料にダメージを与えることの少ない低加速電子顕微鏡を独自に開発してきた。これを用いると、単原子膜のように通常の電子顕微鏡では観察不可能なほど壊れやすい物質であっても、精密に原子レベルの観察や元素分析が行える。一方、シンガポール南洋工科大学は、先端材料の合成と応用に多くの実績をもち、遷移金属カルコゲナイドの二次元材料について最先端の研究を行ってきた。今回、産総研がもつ材料評価技術と、シンガポール南洋工科大学の材料合成技術を活かして、遷移金属カルコゲナイドの単原子膜の簡便な合成法の開発に取り組んだ。
なお、今回の開発は、国立研究開発法人 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(研究加速課題)「物質や生命の機能を原子レベルで解析する低加速電子顕微鏡の開発」(平成24~28年度)およびJSPS「外国人特別研究員制度」(平成28~30年度)による支援を受けて行った。
塩化ナトリウム(NaCl)などの塩は、比較的低温でのセラミックス粉の生成や、二硫化タングステン(WS2)や二セレン化タングステン(WSe2)の単原子膜の成長の促進に用いられている。そこで今回、塩を用いたCVDプロセス(溶融塩CVD法)で、従来バルクでは存在するものの単原子膜の作製が困難であった多くの遷移金属カルコゲナイドを、簡便に基板上に単原子層として合成できる技術を開発した
シリコン基板を炉内に設置し、遷移金属源(金属あるいは金属酸化物)と塩を重量比で10:1から1.6:1の割合で混合して、シリコン基板に対峙したアルミナボートに置く。塩としてはNaClとヨウ化カリウム(KI)のいずれかを用いた。遷移金属源の融点は非常に高く、本来ならCVD法の原料としては使いにくいが、塩を加えることで溶融温度が劇的に下がるためCVD法が適用できるようになった。炉内を600 ℃~850 ℃まで熱すると、塩の作用により遷移金属源と塩が溶融する。そこに、カルコゲンをキャリアガスで炉内に供給すると、シリコン基板上に遷移金属カルコゲナイド単原子膜が合成できる(図1)。キャリアガスにはアルゴンまたはアルゴンと水素の混合ガスを使用するが、キャリアガスの質量流速(アルゴン:20~120 sccm、水素:0~20 sccm)を変化させることで、遷移金属カルコゲナイド単原子膜のサイズを制御できる(図2)。
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図1 溶融塩CVD法による遷移金属カルコゲナイド単原子膜の合成の概略 |
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図2 従来法による多層膜(左)と今回合成した高品質単原子膜(右) |
最大200 μmの単結晶膜が合成できる。高品質なので結晶構造を反映した形状(三角形)となっている。溶融塩を用いない従来法による膜とは、層数の均一性やサイズが大きく異なる。 |
開発した手法により、今回、実際に単原子膜合成に用いた遷移金属は、チタン(Ti)、ジルコニウム(Zr)、ハフニウム(Hf)、バナジウム(V)、ニオブ(Nb)、タンタル(Ta)、モリブデン(Mo)、タングステン(W)、レニウム(Re)、白金(Pt)、パラジウム(Pd)、鉄(Fe)の12種類、カルコゲンは、イオウ(S)、セレン(Se)、テルル(Te)の3種類である。これらから、32種類の二元系(二種類の元素からなる単原子膜)と13種類の合金と2種類のヘテロ構造化合物の合計47種類の単原子膜が合成できた。このうち35種の遷移金属カルコゲナイドの単原子膜は、これまで合成されたことのない新しい二次元物質である。単原子膜を構成する元素もさまざまで、二元系だけではなく、最大で五元系(五種類の元素からなる単原子膜)まで合成できた。
今回の溶融塩CVD法で塩として用いたNaClやKIは安価で容易に入手できる。また、合成のために特別に複雑な構造で高価な素材は必要としない。シリコンなど入手しやすい基板上に合成できるため、電子デバイスへの応用範囲も広いと考えられる。
今回合成した単原子膜を産総研が独自に開発した低加速電子顕微鏡(走査型透過電子顕微鏡)で解析した結果、基板の任意の箇所に単原子膜が直接作製できたことが分かった。また、従来手法で合成した二次元材料と比べ、結晶が均質で欠陥や不純物が非常に少なく、極めて品質が高いことが確認できた。合成した単原子膜の性質を調べたところ、品質が良いため、高い電子移動度や鋭い超伝導遷移が見られた。また、今回初めて合成できた単原子膜には、今まで存在しなかった5種類の異なる元素からなる二次元材料や、二元系でも特に超伝導体やトポロジカル絶縁体、電荷密度波や非線形光学などこれまでの単原子膜では見られなかった物理的性質を示すものも含まれている。今回の成果は低次元物質の物性に関する基礎科学から、将来のナノエレクトロニクスの電子デバイス材料としての実用可能性の研究まで幅広い研究分野に貢献するものと考えられる。
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図3 今回合成された二元系(上)と五元系(下、3種類の遷移金属と2種類のカルコゲン)の単原子膜 |
(左)光学顕微鏡像:最大200 μmサイズの単原子膜の単結晶がシリコン基板上に成長している。結晶構造を反映して三角形や六角形に成長する。
(中)高分解能電子顕微鏡像:二元系では明るい点がセレン原子、暗い点がニオブ原子。欠陥や不純物が極めて少ないことがわかる。五元系では、原子種が異なると明るさが異なって観測されている。
(右)モデル図:二元系ではニオブ原子とセレン原子が六角格子に並んでいる。五元系では、遷移金属とカルコゲンが六角格子に並んでいる。原子空孔(Vs)などの構造欠陥は極めて少ない。
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今後は、産総研の電子顕微鏡技術を活用して、遷移金属カルコゲナイド単原子膜の成長プロセスを実時間で直接観察し、単原子膜の成長にどのように塩が関わっているかを原子レベルで明らかにし、今後の二次元材料開発に新しい指針を見出す。また、遷移金属カルコゲナイド単原子膜の薄膜・高効率太陽電池、平面FET、スーパーキャパシターとしての応用を見据えて、デバイス材料としての特性評価などに関する基礎研究を、シンガポール南洋工科大学と共同で進め、2020年頃を目途に、産業界も交えて実用化に向けた研究を始める。