発表・掲載日:2018/03/20

受胎に有利な精子を泳ぎ方で選んで捕集する技術

-精子の健全性を泳ぎの形で選別して、牛の繁殖で実証-

ポイント

  • 流体操作技術で凍結精液から運動性精子を選別し、人工授精にそのまま使える数の精子を捕集する技術
  • 受胎に有利な健全性の高い精子の泳ぎの形を発見し、受胎に有利であることを牛の繁殖で実証
  • 家畜繁殖に新たな手段を提供するとともに、精液前処理の新たな指針を提示


概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)製造技術研究部門【研究部門長 市川 直樹】生物化学プロセス研究グループ 山下 健一 研究グループ長、永田 マリアポーシャ 研究員は、健全性の高い精子を選別・捕集する新しい精液の前処理技術を開発し、森永酪農販売株式会社【代表取締役 奥田 和綱】、独立行政法人 家畜改良センター【理事長 入江 正和】、国立大学法人 佐賀大学【学長 宮﨑 耕治】、佐賀県畜産試験場【場長 南川 藤夫】、国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構【理事長 井邊 時雄】、国立大学法人 富山大学【学長 遠藤 俊郎】、富山県農林水産総合技術センター【所長 鶴山 元紀】と共同で実証実験を行い、牛の精子の運動性について、直線的に泳ぐ精子よりも蛇行しながら泳ぐ精子の方が、受胎性が良いことを見出した。

今回、数値流体力学計算に基づいて設計されたマイクロ流路を持つ運動性精子選別器具を開発した。開発した器具のマイクロ流路が作る特殊な流れにより運動性の精子を誘導するとともに、泳ぎ方によって精子を選別できる。また、人工授精に使用可能な量の、受胎に有利な健全性の高い精子を捕集できる。今回開発した技術は、牛など家畜の繁殖性改善への貢献が期待される。なお、この技術の詳細は、平成30年3月19日(米国東部標準時間)に米国科学アカデミー紀要(PNAS Plus)にオンライン掲載される。

開発した運動性精子選別器具(左)、本器具で選別した運動形態の異なる精子(中央上下)、本器具で捕集した精子により人工授精し、誕生した子牛第一号(右)の写真
開発した運動性精子選別器具(左)、本器具で選別した運動形態の異なる精子(中央上下)、
本器具で捕集した精子により人工授精し、誕生した子牛第一号(右)


開発の社会的背景

日本では、家畜用の牛の繁殖の多くが人工授精によって行われている。人工授精を行う際には、ストロー状の容器に封入され凍結保存されていた精液を解凍(融解)し、雌牛への人工授精に適した時期に子宮内へ注入する。近年、牛では人工授精の受胎率が低下傾向にあり、繁殖性の改善のため、雌牛の体調や飼育の管理も含め、幅広い角度からさまざまな試験研究が行われている。

一方、人間の不妊治療では運動性を失ったり死んだりした精子を取り除き、活発な運動をする精子を集めるといった精液・精子の前処理が行われているが、牛など家畜の繁殖では一般に運動性や生存性の異なる精子が混在する凍結-融解精液がそのまま用いられている。また、従来の運動性精子の捕集技術では、捕集できる精子数が少なく、体外受精はできても、処理後そのまま人工授精に用いることができる技術はなかった。

研究の経緯

産総研は、IoT技術による管理や省力化など、家畜の生涯全体を対象として畜産業の生産性向上や働き方改革を実現する技術開発に取り組んできた。今回、家畜の生涯のうち繁殖を対象として、国内の牛の主たる繁殖方法である人工授精の受胎率向上に資するため、捕集する精子数を増すことに主眼を置いた技術開発を行った。また、運動性精子の性質と受胎性の相関を明らかにするため、精子の泳ぎの形や人工授精のタイミングによる受胎性の変化などをフィールドで実証実験し、受胎率を向上させる精液の改良法を目指して研究開発を行った。

なお、この研究開発は、基盤的段階では、国立研究開発法人 科学技術振興機構の研究成果展開事業 研究成果最適展開支援プログラムA-STEPフィージビリティスタディステージ 探索タイプの研究開発課題「解凍精液から元気な精子だけをオンサイトで簡便に得るための技術開発(平成24~25年度)」(課題研究番号:AS242Z00784N)、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業 基盤研究(B)の研究課題「流体操作技術による新たな精子選別技術の開発と実証試験(平成27~30年度)」(課題研究番号:15H04585)の支援を受けた。また、実証試験は、農林水産省の委託事業「委託プロジェクト研究・繁殖性の改善による家畜の生涯生産性向上技術の開発(平成27~28年度)」による支援を受けて行った。

研究の内容

精子は最初から受精能力を有しているのではなく、雌の生殖器官内でさまざまな生化学的な反応や運動性の変化を経て、受精可能な状態へと変化していく。この一連の流れを「受精能獲得」といい、この変化の中で運動の形(泳ぎ方)も変化する。本研究では、精子の泳ぎ方と家畜の人工授精作業のタイミングによる受胎性の関係を整理し、家畜の繁殖性向上につながる繁殖用精液の改良の方向性を明らかにすることを目指した。

まず、運動性精子は、一定の条件下では流れをさかのぼるように運動することが知られており、このさかのぼり現象を利用して、運動性精子を捕集する試みも多くある。また、マイクロ流路を用いて運動性精子を捕集する技術も複数知られている。そこで今回、ポンプなどの外部機械を使わずに、健全性の高い精子を捕集できる精液の前処理法を開発した。実際の精液処理量などを考慮して開発したのが、概要の写真や図1に示した「運動性精子選別器具」である。この器具は、精液をためるための大きさが異なる3つの筒状の液だめ部分を持ち、真ん中の液だめの底面には運動性精子を誘き寄せる流れを作り出す三日月形の広がりを持つ形状のマイクロ流路を備え、それぞれの液だめの液面の高低差で精液を送液できる。3つの液だめには、図1概略図の左側から、送液用の培養液、処理前の精液、処理後の精液が入っている。液面が高くなるように送液用の培養液を入れると、他の2つの液だめに向かって培養液が送液されるが、その流速は、マイクロ流路の太さや長さによって変わる。この三日月形の広がりの形状は数値流体力学計算を用いて設計し、その中の流れを最適化して、連続的に精子を横から吸い集めて、中央付近で非運動性精子だけを送り返すようにした。精子の動きとしてみると、運動性の乏しい精子は押し戻される一方、運動性精子は自ら集まってきて、次々と細い流路の中に泳いで入っていくことになる。

今回開発した器具による精液処理では、凍結ストロー精液を用いて30分間の操作で100万程度の数の運動性精子を捕集できる。捕集された精子数は、元の精液中の精子の濃度や質によって変わるが、この器具で捕集できる精子数は、そのまま牛の人工授精に使用できるレベルである。また、液面の高さを変えることで送液の速度などを調整し、精子がマイクロ流路を通過する際の運動性(泳ぎの速さや形)を選択することができる。これによって、単に運動の速さだけでなく、「まっすぐ泳ぎ」「蛇行した泳ぎ」など、精子の運動の形で選別することができる。

今回開発した「運動性精子選別器具」の概略図(左上)と三日月状構造部内での流れの様子(右)の図
図1 今回開発した「運動性精子選別器具」の概略図(左上)と三日月状構造部内での流れの様子(右)

今回開発した器具で処理・捕集した運動性精子と処理前の精子のDNA断片化率を図2に示す。処理前の精子ではDNA断片化率はおよそ7 %であったのに対し、処理後は約0.4 %と大幅に改善し、DNAの完全性が高い精子を捕集できることが確認できた。

「運動性精子選別器具」で処理する前後の精子のDNA断片化率の図
図2 「運動性精子選別器具」で処理する前後の精子のDNA断片化率

次に、精子の泳ぎの形を定量的に評価するため、捕集した精子の運動の軌跡を精子運動解析装置で計測し、その計測値から独自に定義した精子の泳ぎの形態を示す「SMI指数Sperm Motion Index)」を計算した。このSMI指数は、値が大きいほど直線的な泳ぎを、値が小さいほど蛇行しながら泳ぐことを示す。直線的な泳ぎの精子ほど寿命前期、蛇行した泳ぎの精子は寿命後期という傾向が見られた。捕集した運動性精子をおよそ100万個用いて人工授精を行い、受胎/不受胎の比較を行った(図3)。一般に雌の発情行動を確認してから8時間から24時間の間が人工授精のタイミングとして用いられているが、蛇行しながら泳ぐ精子の方が、受胎しやすい傾向が見られた。

これは、繁殖性向上や不妊治療の成績改善には、必ずしも「見かけ上まっすぐ速く泳ぐ精子を集める」ことが最良ではなく、むしろ泳ぎ方だけを見れば衰えているかのように見える精子を用いる方が、繁殖性の改善につながるということを示している。なお、今回開発した技術による受胎後、雌牛の妊娠経過や産まれた子牛の健全性は正常であった。

受胎/不受胎それぞれの場合の、SMI指数のプロットの図
図3 受胎/不受胎それぞれの場合の、SMI指数のプロット
ひし形記号は、各群の次のような性質を示す。中心の位置:各群の平均値、横幅:各群のサンプル数、高さ:99 %信頼区間、短い横線:各群の短い横線が重なっていなければ、信頼水準1 %で有意差があることを示す。

今後の予定

今回得られた「受胎性向上が期待される運動様式の精子」の知見を基に、このような精子を大量に捕集する技術の開発を進め、現在の規格形状であるストロー状容器に封入した形で大量生産することを目指す。また、低いDNA断片化率や多数の精子を捕集できる点は、体外受精にも有効であり、次世代の繁殖技術とされる体外受精-受精卵移植の基盤技術への応用を図る。さらに、細胞としての精子を対象としたさまざまな生化学分析の前処理技術としての活用を目指す。



用語の説明

◆精子の運動性
泳ぎの速さは、単位時間あたりの正味の空間的な移動距離から求めた「直線速度」と、実際の移動軌跡距離から求めた「曲線速度」の2通りの評価方法がある。[参照元へ戻る]
◆数値流体力学計算
コンピューターにより流体の運動の方程式を解くことで、流れの様子を可視化したり、流体にさらされる構造物の形状の設計を支援したりする技術。CFD(computational fluid dynamics)計算とも呼ばれる。[参照元へ戻る]
◆マイクロ流路
典型的には、数百マイクロメートル程度の太さを持つ流路。このような細い流路を流れる液体は、層流という状態の流れとなり、流れの精密な制御が可能になる。[参照元へ戻る]
◆人工授精
繁殖を目的として、雌牛の生殖器官内(典型的には子宮内)へ精液を注入すること。体外受精と比較して、はるかに多数の精子数が必要である。[参照元へ戻る]
◆受胎率
人工授精などの繁殖を行った回数に対して、妊娠した回数の割合。[参照元へ戻る]
◆体外受精
実験室にて、シャーレ内の培地中で、卵子へ精子を受精させること。また、そうして得られるものを「受精卵」と言う。[参照元へ戻る]
◆DNA断片化率
精子が運ぶDNAは、何らかの原因で細切れ(断片化)になっていることがあり、そのような精子から得られた受精卵は、育たないことが多い。全精子数に対して、細切れになったDNAを運んでいる精子の割合。[参照元へ戻る]
◆SMI指数
通常は、運動性がある精子の濃度と、精子の運動スピードを考慮した数値のこと。市販されている精子運動解析装置では、運動速度や頭部振動数などを計測できるが、「泳ぎの形」を表現する指標がないことから、独自に「泳ぎの形」を表現する指標として、SMI指数を定義して評価を行った。SMI指数は、直線速度と曲線速度の積を、頭部振動数で割った値として定義した。値が小さいほど蛇行した泳ぎ方、大きいほど直線的な泳ぎ方を示す。[参照元へ戻る]
◆発情行動
雌牛が、排卵近くなどの繁殖適期になると示す特徴的な行動のこと。家畜では、基本的にこの行動を捉えて繁殖作業が行われている。[参照元へ戻る]



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