国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)機能材料コンピュテーショナルデザイン研究センター【研究センター長 浅井 美博】統合マクロ計算手法開発チーム 小川 浩 上級主任研究員、ナノ材料研究部門【研究部門長 佐々木 毅】ナノ粒子機能設計グループ 南 公隆 主任研究員、川本 徹 研究グループ長らは、東京パワーテクノロジー株式会社【代表取締役 社長 原 英雄】(以下「東京パワーテクノロジー」という)と共同で、溜め池などの水底の泥(底質)中の放射性セシウム濃度の深さ分布を新しい解析手法に基づいて測定できる装置を開発した。
セシウム137の半減期は長く、溜め池底質の放射能汚染の影響は世代を超えて残る。今回開発した装置は長さ1.5 m、重さ2 kg弱の円柱状で、溜め池底質に挿して計測したγ線(ガンマ線)分布を、広く用いられているデータ処理法の1つである最大エントロピー法で変換して、放射性セシウム濃度(ベクレル/kg-wet)の深さ分布を測定する。電源を内蔵し、ケーブル接続が不要なため、取り回しが容易である。測定時間は1箇所当たり約10分で、スマホやタブレットからWi-Fi経由で操作でき、その場で測定結果を確認できる。複数の装置を用い、より効率的に測定できる多地点同時測定システムも併せて開発した。従来の土壌や泥(底質)の採取作業が不要で、放射能分析の負担を低減できる。また、市販パーツを用いて10万円程度で自作できるため、住民などによる放射能汚染モニタリングが可能で、装置のネット接続などのIoT的な展開も期待できる。この成果は、環境放射能除染学会誌に近日中に掲載される。
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今回開発した装置による溜め池底質の放射能汚染測定 |
2011年の福島第一原子力発電所の事故により環境へ放出された放射性セシウムが農業用溜め池やダムの底に蓄積しており、食の安全などの観点から問題となっている。宅地周辺の除染に続いて溜め池の除染も進められているが、一般的な池底質汚染の調査方法であるコアサンプリング法は、中空パイプでの土壌や底質のコア(円柱状のサンプル)の採取・切り分けやその後に放射能分析をする方法で、多くの労力と時間が掛かっていた。また周辺山林からの放射性セシウム流入が今後も続く可能性があり、将来世代に渡る溜め池汚染の監視をどう続けていくかという課題もある。
産総研は、福島第一原子力発電所の事故以来、青色顔料の一つであるプルシアンブルーを用いた放射性セシウム吸着材の開発や、焼却灰からの放射性セシウム抽出法の開発など、福島復興を支援する研究に取り組んできた。実験室での研究開発のみならず、福島県双葉郡川内村や同岩瀬郡天栄村での実地検証も東京パワーテクノロジー(旧社名:東電環境エンジニアリング株式会社)と共に積極的に行ってきた。特に溜め池底質の除染については、産総研が開発した手法が農林水産省の除染マニュアルで推奨されるなど、高い評価を得ている。またノイズの多い観測値に対するデータ処理法の1つである最大エントロピー法を用いた新しい深さ分布解析法を2017年に提唱した(Ogawa et al., J. Environm. Radioact., 175-176, 158-163 (2017))。東京パワーテクノロジーと産総研は、共同研究「ため池等からの放射性セシウム回収ならびに環境測定に関わる技術開発研究(平成27年度~)」によって今回の測定装置の開発に取り組んだ。
今回開発した装置の基礎となる技術は水底の泥(底質)を採取することなく、放射性セシウムが出すγ線の深さ分布から放射性セシウム濃度の深さ分布を計算で求めるものである。γ線センサーを底質中に設置して計測しても、さまざまな方向(深さ)からのγ線がセンサーへ入射するため、得られるγ線の深さ分布は放射性セシウム濃度の深さ分布とは異なっている。しかしこれまでγ線の深さ分布を放射性セシウム濃度の深さ分布へ換算する良い方法がなかった。今回の技術では、まず、放射性セシウム濃度は水平方向には一様と仮定し、底質と池水中でのコンプトン多重散乱(γ線が物質を通過する際に起きる現象)を含むγ線輸送計算によりセシウム濃度の深さ分布からγ線の深さ分布へ変換する係数を求める。次に計測されたγ線の深さ分布を最大エントロピー法で逆に変換することでセシウム濃度の深さ分布が得られる。この手法は誤差に強く、短時間の計測で本来の深さ分布を得ることができる。
この新しい手法に基づき、溜め池で簡単に測定できるよう設計したのが今回の装置である(図1)。本体は直径約4 cm、長さ約1.5 mのパイプ状で、複数のγ線センサー、逆変換用演算ボード、位置計測用のGPSモジュール、バッテリーや、その他の機器を格納してある。装置の重量は2 kg弱と軽量で容易に運搬でき、バッテリー1個で約5時間稼働できる。操作は手持ちのスマホやタブレット、パソコンなどからWi-Fi接続で行う。このパイプを溜め池の底に挿しこんで底質中のγ線深さ分布を計測し、放射性セシウム濃度の深さ分布に換算する。最大エントロピー法による換算をγ線計測と並行して行うため、リアルタイムで制御端末へ送信できる。γ線センサーには高感度の市販品を、演算ボードにはIoT分野(装置などが直接インターネット接続する技術や分野)で利用されるラズパイ・ゼロを用いた。それぞれ1個数千円と安価である。製作パーツの総額はおよそ10万円で、自作も可能である。
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図1 今回開発した装置(測定用パイプ) (1)概略、(2)写真
石突き部を下に向け溜め池底へ挿してスマホなどのWi-Fi端末から無線で操作する。 |
図2左は福島県内の3つの溜め池で、今回開発した装置と従来のコアサンプリング法で測定した、溜め池底質中の放射性セシウム濃度の深さ分布の比較である。今回の装置の測定時間は10分間とした。池ごとに深さ分布の形状やピーク濃度が異なっているが、いずれの池でも今回の装置による測定値はコアサンプリング測定値をほぼ正しく再現していた。図2右は3池の複数の地点で、深さ方向に積算した単位面積当たりの放射性セシウム量の両手法による測定値の相関図である。今回開発した装置とコアサンプリング法の実測値には良い対応関係があった。
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図2 左: 福島県内の3つの溜め池で測定した底質中の放射性セシウム濃度深さ分布の例
青線が5 cm間隔で切断して放射能分析したコアサンプリング法による測定値、赤線が今回の装置で10分間測定した値である。
右: 3つの溜め池の複数地点で測定した、単位面積当たり放射性セシウム量の比較
底質表面から深さ10 cmまでと20 cmまでの積算量 |
底質汚染の状況は池内の場所によって異なるので、地点を変えて測定することで溜め池底質全体の3次元的な汚染分布が把握できる。広い範囲をより効率的に測定するために、複数の測定装置を使用できる多地点同時測定システムも開発した。図3は同システムによる測定のイメージ図で、一台の端末で制御して複数地点の測定を同時に並行して行えるため効率良く測定できる。
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図3 多地点同時測定システムによる溜め池底質測定のイメージ図 |
原発事故で放出されたセシウム137の半減期は30年と長く、その影響は世代を超えて残る。山林の除染は大半が手付かずで、多くの溜め池はそれらの下流に位置するため、今後大雨などによる溜め池の汚染状況の変化も予想される。今回開発した装置により、溜め池底質汚染の深さ分布を迅速に測定できる。
今回開発した装置を用いて山林、水田や畑などの土壌、フレキシブルコンテナバッグなどに納められた除染廃棄物などの放射性セシウム分布を簡便に測定する手法について検討中である。