国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)スピントロニクス研究センター【研究センター長 湯浅 新治】飯浜 賢志 日本学術振興会特別研究員、久保田 均 総括研究主幹、金属スピントロニクスチーム 谷口 知大 主任研究員、薬師寺 啓 研究チーム長は、配線材料に鉄を基本とする磁石材料を用いることで、高い信頼性を実現しうる次世代不揮発性磁気メモリーの新しい記録技術を提唱し、実際に素子を作製してその原理実証を行った。
産総研などは、近年、磁石材料の異常ホール効果と呼ばれる物理特性を利用することで、不揮発性磁気メモリーの記録書き換えエラーが低減しうることを提案してきた。今回、配線材料としてコバルト鉄合金の磁石材料、記録層としてニッケル鉄合金の磁石材料を用いた新構造の面内電流型磁気メモリー素子を作製し、記録技術の原理実証を行った。その結果、安価でありふれた鉄をベースとした材料の配線によるスピン注入効率が、白金などの既存材料の配線と同等に高効率であることを見出し、さらに記録書き換えのエラー低減を可能とする高い信頼性が得られることを示した。今回開発した新構造の素子や記録技術は、高信頼性と省エネ機能を併せ持った次世代不揮発性磁気メモリーの実現に繋がると期待される。
この成果の詳細は2018年2月8日(英国時間)にNature Electronicsにオンライン掲載された。
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磁石の下部配線に電流を流すと上に置かれた記録層の情報を書き換えることができる |
(左)今回作製した素子の模式図
(右)今回の成果から提案される不揮発性磁気メモリーの模式図 |
AIやIoTデバイスが活躍するこれからの社会では、IT機器の超低消費電力化がますます重要な課題となる。例えばモバイルIT機器ではCPUやメモリーの消費電力が全体の30~40%にも達し、頻繁に充電しなければならない要因となっている。この問題に対するアプローチの1つが、不揮発性メモリーの開発である。中でも磁気トンネル接合素子を用いた垂直電流型の不揮発性磁気メモリーは、不揮発性の他に、高速、大容量、高書き換え耐性などの特徴を持ち、新世代のユニバーサルメモリーとして注目を集めている。
また最近では図1(左)に示したような面内電流型の磁気メモリーの研究も活発になっている。このデバイスは記録層と呼ばれる磁石の磁化の向きで情報を記憶し、情報を書き換える時は記録層の下の非磁性材料を用いた配線に電流を流して、記録層の磁化を反転させる。記録層に直接電気を通さないため、垂直電流型より記録層の通電破壊の危険性が小さく、また、書き込みと読み出しの回路が分離されるので、メモリー機能を制御しやすい。これらの特徴により、超低消費電力が求められるIoTデバイスや、半導体メモリーを凌駕する超大容量メモリーなどへの応用が幅広く期待されている。
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図1 (a) 従来の面内電流型素子と、(b) 今回提案する新構造の比較 |
産総研では、2004年に酸化マグネシウム(MgO)トンネル障壁層を持つ高性能トンネル磁気抵抗素子を発明して以来、この素子を大容量の垂直電流型・不揮発性磁気メモリーを実現するための中核技術として位置づけ、国内外をリードするデバイス開発を行ってきた。これらと並行して、2014年からアメリカ国立標準技術研究所、フランス国立科学研究センターとともに、面内電流型磁気メモリーの研究を行ってきた。そして、下部配線の一部を磁石材料に置き換えた場合には、情報書き換えが確実になって、記録信頼性が飛躍的に向上することを理論的に提唱してきた(図1右)。しかし、この理論の実証、すなわち磁石材料の配線を持つ新構造素子の作製や記録技術の原理実証は、これまで報告されていなかった。
今回産総研は、磁石材料の配線の面内電流型磁気メモリーを作製し、上記の原理実証として、情報記録の実証に取り組んだ。これまでの非磁性材料を用いた配線の面内電流型磁気メモリーでは、情報書き換えのためのスピンが記録層に注入されたとき、スピンの向きが横方向に固定されてしまうために、磁化は図1(左)のように横方向で止まってしまっていた。記録情報を正確に書き換えるためには、磁化の方向は記録層平面に対して垂直(図では上方向または下方向)でなければならず、横方向で止まった場合は不完全な記録(エラー)となってしまう。一方、産総研などが提案した磁石材料配線の面内電流型磁気メモリーでは、情報書き換えのためのスピンが記録層に注入されたとき、スピンの向きが横方向以外の成分をもつことから、記録層の磁化方向は完全に上または下方向に至り、確実な情報書き換えがもたらされる。このような横方向ではないスピンの向きが実現できるのは、磁石材料が異常ホール効果という物理特性を有するためである。このように、異常ホール効果を利用することで、これまでの面内電流型磁気メモリーの弱点であったスピン注入による情報書き込みの不完全さを無くすことができ、信頼性を向上させることができる。以上が2014年から産総研らが理論提唱してきた新技術の概要である。
今回その原理実証のために、図2(左)に示すような構造の素子を作製した。下部配線の磁石材料にコバルト鉄合金、磁気メモリーの記録層に相当する上部の磁石にニッケル鉄合金を用いた。また2つの磁石の磁気的な結合を除くため、その間に抵抗の小さな銅を挟んだ3層薄膜を作製した。薄膜に外部から磁界をかけると、ニッケル鉄合金とコバルト鉄合金の磁化はこの外部磁界の向きを向く。この状態で薄膜に交流電流を流すと交流磁界が発生し、記録層(ニッケル鉄合金)の磁化は交流磁界の後を追うように振動を始める。すると磁気抵抗効果によって素子の左端と右端の間に直流の電圧信号が現れる。この電圧信号と外部磁場の関係を図2(右)に示した。特に交流電流の周波数と外部磁界の大きさが共鳴現象の条件を満たすと電圧信号が大きくなる。
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図2 今回作製した素子の模式図(左)と電圧信号の例(右) |
交流磁界をかけて記録層(ニッケル鉄合金)を振動させた状態で配線(コバルト鉄合金)に直流電流を流すと、配線から磁気結合分離層(銅)を経て記録層にスピンが注入される。このとき、記録層の磁化が注入されたスピンの向きに揃おうとして磁化振動の大きさが変化する。観測データの上では、図2(右)に示したように、電圧信号の幅の変化が得られる。この幅の変化は注入されるスピンの量を反映しているため、電圧信号幅の変化からスピンの注入効率が評価できる。今回、電圧信号幅と電流・外部磁界との関係の測定から得られた、配線から記録層へのスピンの注入効率はおよそ15%であった。これは従来の非磁性材料を用いた素子と比べても遜色ない高い効率である。
2014年からの産総研らの理論提唱では、スピン注入効率まで予測することは難しかったが、この原理実証により、安価でありふれた鉄をベースとした配線からであっても、異常ホール効果によるスピン注入は充分に高効率であることを初めて明らかにした。
また図2(右)では直流電流により電圧信号幅が増えているが、直流電流を逆向きに流すと信号幅は狭くなっていた。これは直流電流を流す向きを逆にすると、注入されるスピンの向きが逆になること、すなわちこの素子では磁化を上向き・下向きどちらにも反転できることを示している。この性質は磁気メモリーへの応用に必須である。
今回、面内電流型磁気メモリーの配線としてコバルト鉄合金の磁石材料を用いた新しい素子を作製し、異常ホール効果を利用したスピン注入を実証した。この新たな素子は、従来の非磁性材料を用いた配線の面内電流型磁気メモリーと同等の、高いスピン注入効率による情報書き込み性能を示した。また、今回の磁石材料配線をもつ新構造は、従来の非磁性材料配線の弱点であった書き換え情報の不完全さを無くし、エラー低減による信頼性の飛躍的向上につながる可能性を備えている。配線材料選択の観点からも、安価でありふれた鉄(今回はコバルト鉄)が高性能化をもたらすことが明らかになったことで、今後の面内電流型磁気メモリーの材料戦略上に大きなインパクトを与えると考えられる。
今後は書き込み動作の実証に向けた磁化反転の検討を進める。消費電力の低減に向けた素子構造や材料の最適化にも取り組む。また、高周波発振素子などの新たな応用を目指したデバイス開発にも取り組む。