国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)物理計測標準研究部門【研究部門長 中村 安宏】 量子電気標準研究グループ 岡崎 雄馬 研究員、中村 秀司 主任研究員、金子 晋久 研究グループ長 兼 同研究部門 首席研究員は、日本電信電話株式会社【代表取締役 鵜浦 博夫】(以下「NTT」という) NTT物性科学基礎研究所と共同で、電流の最小単位である電子を1個単位でオン・オフ制御できる単一電子デジタル変調技術を開発した。
電流は電子の流れなので、電子1個1個を正確に制御・検出できれば、従来の計測器では不可能だった精度での電流発生・計測を実現できる。産総研では、これまで、半導体ナノ加工技術で作製した単一電子素子を用いて、一定周期で電子を1個ずつ送り出し、直流電流を発生・計測する技術の開発に取り組んできた。今回、電子の密度を時間的に変化させる単一電子デジタル変調技術を開発し、電子数個レベルで正確な任意波形の電流を発生させることに成功した。発生させた電流を基準とすることで、直流(0 Hz)~メガヘルツ(MHz)の周波数帯域で、フェムトアンペア(fA)(10-15 A)以下の極微小電流を精密に測定できるようになる。今回開発した極微小電流の発生技術は、低消費電力化が期待されるスピントロニクスなど次世代素子の研究開発や、ナノ構造中で生じる物理現象の解明などの基礎研究への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2018年2月1日(英国時間)に出版されるApplied Physics Expressに発表される。
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電子1個を制御できる素子の電子顕微鏡写真(左)と今回開発したデジタル変調技術の模式図(右) |
メモリーの低消費電力化を目指すスピントロニクスなどの次世代素子の研究開発や、ナノ構造中で生じる物理現象を解明する基礎研究では、素子性能の評価や物理現象の観測のために、ナノ構造を流れるわずかな電流を精密に測定する必要がある。そのため、アトアンペア(aA)~fAといった極微小電流を精密に測定できる技術が重要となってきている。今後、ナノテクノロジーの発展に伴いさまざまな研究分野で測定対象の微細化が進み、微小電流計測の重要性はますます高まると予想される。
また、直流電流だけでなく、キロヘルツ(kHz)、MHzといった周波数帯域の微小な交流電流の測定も重要となってきている。しかし、既存の電流計測技術では、このような周波数帯域の交流の計測では不確かさが大きくなるなどの課題があり、正確で信頼できる基準交流電流の発生技術が求められていた。
電流は「1秒間あたりに流れた電子の個数」で決まるため、電子を1個1個制御する技術は、極めて正確で信頼できる基準電流を発生する最良の手法である。産総研では、これまで、電子を1個1個制御するための基盤技術の研究開発に取り組んできた。特に、電子を1個1個制御できる単一電子素子の作製に必要となるナノ加工技術や、熱雑音の影響を極限まで低減できる冷凍機測定装置の開発などを行ってきた。これまでは、一定周期で電子を1個ずつ送り出して、極めて正確な直流電流を発生させる技術を主に開発してきたが、今回、周波数範囲が直流~MHzの交流電流を発生させるために、新しい動作原理の実証に取り組んだ。
直流電流は、電子を一定の周期で1個ずつ送り出して正確に発生させることができる。しかし、正弦波や方形波など、交流成分を含む電流を発生させるには電流の振幅を時間的に変化させなくてはならない。これを電子1個1個の制御で実現するには、電子の時間的な分布を制御(疎密変調)する必要がある。今回、デジタル信号処理の分野で用いられるデジタル変調に着目した。デジタル変調ではデジタル信号の各ビットのデータ1と0を電気信号のオンとオフに対応させる。適切なビットパターンで、オン信号の密度分布を変化させると任意の波形を発生できる。今回開発した単一電子デジタル変調技術は、この原理を電子1個の制御に応用して、電子の密度を時間的に変化させ、任意波形の交流を発生できる。
図1左に、ナノ加工技術を用いて作製した、電子1個1個を制御できる単一電子素子を示す。この素子では、半導体の基板表面に微細加工で作製した電極に電圧をかけて、電気的な制御によって左から右へ電子を1個ずつ送り出せる。「送り出す」か「送り出さない」かを、デジタル信号の1と0に対応させて制御すると、電子1個だけを含んだ電流パルスによるデジタル信号を発生できる(図1右)。この技術によって、電子の疎密変調が可能になり、極めて高い精度で正弦波や方形波などの任意波形の交流を発生できる(図2)。
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図1 単一電子素子の電子顕微鏡写真(左)と電子1個のデジタル変調(右) |
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図2 電子1個のデジタル変調による正弦波(上)や方形波(下)など任意波形交流の発生原理 |
図3に、開発した単一電子デジタル変調技術を用いて発生させた、80 kHzの正弦波と方形波の交流電流の波形を示す。測定された電流波形(黒丸)と、デジタル信号のパターンから発生するはずの理論的な電流波形(赤線)とはよく一致しており、電子1個1個を正確にデジタル変調できていると確認できた。また、1 MHzまでの広い周波数範囲で交流電流を発生できることも、実験によって確認できた。この時、発生した交流電流の波形は電子数個レベルで正確であった。今回開発した技術によって発生させた任意波形の交流電流を、微小電流計測の基準として用いれば、計測精度の向上へとつながり、次世代素子の動作性能の評価やナノ構造内の物理現象の解明などへ貢献できると期待される。
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図3 単一電子デジタル変調によって発生した80 kHzの正弦波(上)と方形波(下)の波形
直流成分を引いた交流成分のみを図示した。 |
単一電子デジタル変調におけるビットエラーは発生した電流の精度を決める要因であり、今後は、ビットエラーの低減や評価の研究開発を行い、発生した電流の振幅の精度を評価する。また、動作速度を向上させて電子1個を制御する周期を短くすることで、発生できる電流量を増加させることを目指す。