生体内タンパク質分子の異常凝集として有名なアミロイドーシス(注2)は、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経系疾患から、II型糖尿病などの内分泌疾患、プリオン病など20種類以上に及ぶ疾患との関係が議論されています。しかし、それぞれの疾患に対する有効な治療法は現在まで確立されていません。これら未解決の主原因として、生体内溶液中でのタンパク質分子の動的な振る舞いに関する情報の欠如が挙げられます。本研究では、タンパク質溶液の局所的な1分子動態観測とその計測技術の確立を目的とし、凝集化プロセスのモデルケースとして、過飽和溶液(注3)条件下での分子凝集に着目しました。
東京大学大学院新領域創成科学研究科(産業技術総合研究所-東京大学 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ兼務)の佐々木裕次教授、大阪大学、神戸大学及び(公財)高輝度光科学センターの研究グループは、X線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking; DXT)(注4)を応用し、過飽和溶液中のタンパク質分子(リゾチーム)の凝集化プロセスにおいて、タンパク質分子内部及びその周辺が激しく運動していることを観測しました。この結果を詳細に解析したところ、この激しい運動は、フェムトニュートン(注5)という非常に微弱な力場(注6)を形成していることが分かりました。これは、激しいブラウン運動を伴う分子凝集体(ネットワーク)の形成と崩壊が繰り返されていることを示しています。これらの研究成果により、アルツハイマー病などの発症プロセスと強く関わるタンパク質凝集プロセスを1分子観察できるようになったので、将来的に過飽和現象を利用した全く新しい治療戦略を展開する可能性が出てきました。
難病に関わるタンパク質分子系において、溶解度よりも多くの分子を含む溶液状態で、1分子に着目した動態情報を抽出することは全く不可能でした。本研究グループが用いた超高感度1分子計測法であるDXTは、直径20-80ナノメートル(nm)の超微小金ナノ結晶をタンパク質分子の目的のアミノ酸位置に化学標識し、ナノ結晶の運動(方位)をX線回折観察から高速時分割追跡できます。本技術・コンセプトは、1998年に佐々木裕次教授によって考案・実証されました。現在、DXTは世界最高精度で最高速度を誇る1分子動態計測技術です。このDXTは、今まで、1分子の高速計測を目的として利用されてきましたが、今回初めて、タンパク質分子のナノ微小領域(注7)動態計測に適用できることが分かりました。特に、実験で確認されていない結晶化前駆体が存在すると言われているタンパク質溶液条件下での測定を試み、タンパク質分子に標識した金ナノ結晶1粒子の回転動態を高精度(並進運動に換算するとピコメートル=1/1000ナノメートル)かつ高速(マイクロ秒)で実計測することに成功しました。DXTは、大型放射光施設SPring-8(注8)の高輝度準単色X線が利用できるビームライン(BL40XU)において実験を行いました。
本実験より、マイクロ秒時間スケールにおいて、安定なタンパク質溶液(10 mg/mlリゾチーム)状態では、ナノ結晶動態回転速度が3.7 ミリラジアン(mrad)にピークを持つ一方で、凝集状態(20 mg/mlリゾチーム)になると、新たに9.5 mradのピークが現れることを確認しました。この結果は、佐々木教授のグループが2015年に発見した無機物質での励起運動でも確認された溶質密な条件下でのイオンネットワーク構造の存在を示唆するものであり、無機・有機系だけでなく、タンパク質分子でも共通する動態特性を確認したことになります。また、この激しいブラウン運動を金ナノ結晶に加わる力として換算すると、フェムトニュートンという微弱な力場が関与していることも確認できました。この動的凝集現象こそ、析出してもおかしくない高濃度条件において、タンパク分子が激しく動くことで、結晶化せずに溶液状態を保持できる重要な物理現象であると考えています。本研究成果は、ネイチャー・パブリッシング・グループ(Nature Publishing Group)電子ジャーナル「Scientific Reports」のオンライン速報版で11月1日に公開されます。
なお、本プレス発表は、東京大学、産業技術総合研究所、大阪大学、神戸大学及び、(公財)高輝度光科学研究センター(SPring-8/JASRI)との共同発表です。また本研究は、平成26年度(2014年度) 採択の科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型)「3D活性サイト科学」(領域代表 奈良先端科学技術大学院大学 大門寛 教授)の研究課題名「バイオロジーにおける3D活性サイト科学 」(研究代表 佐々木裕次 教授)及び、国立研究開発法人日本医療研究開発機構 革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)の研究開発領域「生体恒常性維持・変容・破綻機構のネットワーク的理解に基づく最適医療実現のための技術創出」(研究開発代表 黒尾誠 教授)※における研究開発課題「リン恒常性を維持する臓器間ネットワークとその破綻がもたらす病態の解明」の支援を受けて実施されました。
※なお、本研究開発領域は、平成27年4月の日本医療研究開発機構の発足に伴い、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)より移管されたものです。
雑誌名: Scientific Reports (オンライン版11月1日掲載)
論文タイトル: Nanoscale Dynamics of Protein Assembly Networks in Supersaturated Solutions
著者: Y. Matsushita1, H. Sekiguchi2, JW. Chang1,5, M. Nishijima3, K. Ikezaki1, D.Hamada4, Y. Goto3, Y.C. Sasaki1,2,5(Corresponding author: Y. C. Sasaki)
1 東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻, 2公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI/SPring-8), 3大阪大学, 4神戸大学, 5 産総研-東大 OPERANDO-OIL
DOI番号:10.1038/s41598-017-14022-7
アブストラクトURL:www.nature.com/articles/s41598-017-14022-7