筑波大学 医学医療系 下村治講師、小田竜也教授、大河内信弘教授 と 産業技術総合研究所 創薬基盤研究部門 舘野浩章主任研究員、平林淳首席研究員、浅島誠名誉フェローの共同研究グループは、難治がんの代表である膵がんの幹細胞表面に強く発現している糖鎖構造と、それを特異的に認識するレクチン(糖鎖結合能力を持つタンパク質)rBC2LC-Nを発見しました。
これまで、レクチンの多くは血液凝集活性を持つと考えられてきたため、生体に投与する薬剤として利用されることはほとんどありませんでした。しかし今回、このrBC2LC-Nレクチンは全く血液凝集をもたらさないことを見出し、rBC2LC-Nレクチンを薬剤キャリアーとして応用することができました。緑膿菌の外毒素(PE38)を抗がん薬として融合したLDC(Lectin Drug Conjugate)は、シャーレ上の膵がん細胞株に対して、既存の抗体−薬剤融合体(ADC)の1000倍強力な抗がん効果を示しました。さらに、このLDCはマウスの腹腔内、血管内に安全に投与することができ、様々な膵がんモデルを有効に治療することにも成功しました。
現在、抗体薬によるがん標的治療が盛んに開発されていますが、標的となるタンパク質抗原はほぼ探索し尽くされており、今後大きな発展は望みにくい状況です。さらに、抗体医薬による数百万~数千万円/年/がん患者という高額な薬価は医療経済の破綻を招く恐れがあります。今回、安価なレクチンにより細胞表面糖鎖を標的するというアプローチに成功したことは、がん治療だけでなく、多くの疾患に対する新しい治療戦略としての可能性を切り開いたと言えます。
本研究成果は、米国がん学会誌 Molecular Cancer Therapeutics で近日中に先行公開されます。
*本研究は つくば国際戦略総合特区でのライフイノベーションプロジェクト「つくば生物医学資源を基盤とする革新的医薬品・医療技術の開発」の枠組の中で行われました。
*本研究は 筑波大学と産総研の「合わせ技ファンド」及び文部科学省-日本学術振興会の科学研究費補助金(科研費)のサポートのもと行われました。
がんの治療が格段に進んだ現代において、がん全体として治る確率(5年生存率)は約60%に達しています。しかし、膵(膵臓)がんだけは例外で、未だに治る患者さんが10%に満たない難治がんの代表です。外科手術と放射線治療に関しては、精力的な開発が世界中で長年行われてきましたが、今後これらの治療法の改善によって膵がんの治療成績を大きく向上させるのは容易ではないと見込まれます。抗がん剤の進歩もめざましく、ナノ粒子製剤、分子標的抗体薬によって一定の治療効果の底上げがなされましたが、標的となるタンパク質抗原はほぼ探索し尽くされた感があり、今後大きな発展は望みにくい状況です。さらに、抗体医薬による治療には、一人のがん患者あたり、年に数百万~数千万円という高額な薬価がかかります。この状況は、医療経済の破綻を招く恐れがあり、安価で治癒効果の高い新しい治療法の開発が望まれています。
こうした中、本研究グループは、膵がん細胞表面を覆う糖鎖に着目しました。全ての細胞表面は膜タンパク質や膜脂質が糖鎖修飾されているため、最外層には糖鎖が表出しています。がん細胞を狙い撃ちする標的治療において、奥深く存在するタンパク質を狙うより、最外層の糖鎖を狙った方が有効なはずです。しかし、今までは糖鎖構造の複雑さ故に研究が難しく、治療標的対象としての開発はほとんどされてきませんでした。
研究グループは、まず、臨床膵がんの形態、特性を保持した膵がん細胞株を選び出して解析対象としました。この細胞表面に表出している糖鎖を、産総研が開発したレクチンマイクロアレイで網羅的に解析した結果、H type1/3/4糖鎖構造が強く発現していることを見出しました。この糖鎖を認識するレクチンであるrBC2LC-Nはこの細胞株だけでなく、筑波大学附属病院で膵がんの手術を受けた69人の患者さんの組織、ほぼ全例にも強く結合することが確認されました。
続いて、このrBC2LC-Nレクチンが不都合な血液凝集反応をもたらすかを検討しましたが、ヒト、マウスいずれの血液も凝集させることなく、安全にマウスに投与できることが明らかになりました。そこで、rBC2LC-Nレクチンを薬剤キャリアーとして応用することを考え、rBC2LC-Nレクチンに緑膿菌の外毒素(PE38)を抗がん薬として融合したLDC(Lectin Drug Conjugate)を作成しました。このLDCはシャーレ上の膵がん細胞株に対して、既存の抗体−薬剤融合体(ADC)よりも1000倍強力な抗腫瘍効果を示しました。さらに、このLDCをマウスの腹腔内、血管内へ投与することにより、様々な膵がんモデルを有効に治療することにも成功しました。
抗体医薬は動物細胞でしか生成できないため非常にコストがかかります。ところが、レクチンは微生物を用いて生産することが可能で、圧倒的に安価であることもメリットです。今まで、細胞表面の糖鎖を標的にする抗がん治療法はほとんど開発されてきませんでしたし、そのツールとしてレクチンを用いるのはこれまでにない挑戦的な試みでした。今回、レクチンが薬剤キャリアーとして利用できる可能性を示したことで、抗原—抗体反応に依存している現在のがん標的治療開発の流れに、糖鎖—レクチン反応という新たな代替ツールを提供することが可能になります。レクチン工学技術は近年急速に進んでおり、様々なレクチンの糖鎖への結合性の調節、血液凝集副作用の軽減なども技術的には可能になっています。がんだけでなく様々な疾患を治療するツールとして、レクチンの応用範囲は格段に重要性が増していくものと考えています。
【題名】 A novel therapeutic strategy for pancreatic cancer: targeting cell surface glycan using rBC2LC-N lectin-drug conjugate (LDC).
(膵がんに対する新規治療法:細胞表面の糖鎖を標的するrBC2LC-Nレクチン−薬剤融合体(LDC))
【著者名】 Osamu Shimomura1, Tatsuya Oda*1, Hiroaki Tateno2, Yusuke Ozawa1, Sota Kimura1, Shingo Sakashita3, Masayuki Noguchi3, Jun Hirabayashi2, Makoto Asashima2, and Nobuhiro Ohkohchi1 (*Corresponding author)
1 筑波大学 医学医療系 消化器外科
2 国立研究開発法人 産業技術総合研究所 創薬基盤研究部門
3 筑波大学 医学医療系 病理
【掲載誌】 Molecular Cancer Therapeutics