国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノ材料研究部門【研究部門長 佐々木 毅】ナノ界面計測グループ 宮前 孝行 主任研究員、機能化学研究部門【研究部門長 北本 大】光材料化学グループ 高田 徳幸 主任研究員は、次世代化学材料評価技術研究組合【理事長 冨澤 龍一】(以下「CEREBA」という)と、有機EL素子駆動時の内部の電荷の挙動を、分子レベルで非破壊計測できる新たなオペランド計測技術を開発した。
標準的な多層積層有機EL素子では発光層の前後に電子や正孔を運ぶための有機層がある。高機能化、省エネルギー化には電荷を効率よく発光層まで到達させる必要があり、有機層内部や界面での電荷の生成、輸送挙動を調べることが求められる。しかしこれまでの計測方法では、複数の有機層の情報が重なったデータから個々の有機層や、電荷の状態を取り出すことは困難だった。
今回開発した計測手法は最先端の非線形レーザー分光法である和周波発生分光法(SFG分光法)により、有機EL素子にパルス電圧をかけた際に生成される有機カチオン種(正電荷)と有機アニオン種(負電荷)の生成・輸送・界面での電荷再結合挙動を数10ナノ秒スケールで計測することが可能で、発光している有機EL素子内部の分子や電荷の状態をリアルタイムで評価できる。この計測手法により、次世代テレビやスマートフォンなどで用いられる有機EL素子の動作機構解明や長寿命化、さらに省エネルギー化、低コスト化のための新規材料開発や、それらを実際の素子に組み込んだ際の実際の電荷輸送特性を分子レベルの情報から直接解き明かすことが期待される。
なお、この技術の詳細は、応用物理学会「Applied Physics Express」に掲載予定であり、9月15~18日に東北大学(宮城県仙台市)で開催される第11回分子科学討論会2017でも発表される。
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今回開発した時間分解測定装置の概要図 |
近年、薄型テレビやスマートフォンなどへ有機EL素子(Organic Light Emitting Diodes)を活用する動きが活発化し、身近に有機ELテレビなどを見ることが多くなってきている。こうした製品で用いられている有機EL素子には、異なる色を発光する複数の有機薄膜(有機層)と、その有機層に発光に必要な電荷を輸送する複数の有機層を積み重ねた多層積層型有機EL素子が用いられる。さらに、実用的な有機EL素子では劣化の原因となる酸素や水の影響を排除するために、厳重に封止されて用いられる。
多層積層有機ELの高効率化、省エネルギー化、長寿命化のためには、封止を解かずに非破壊で、有機層中での電荷の生成、輸送過程を評価・計測できる技術が必要である。しかし、多層積層有機EL素子では複数の有機層の影響が重なり合うので、個別の有機層の振る舞いや、特にその内部を移動する電荷の状態を他の有機層の電荷と分離して計測、解析することは極めて困難であった。
産総研は、固体内部に埋もれた界面での分子の情報を選択的に計測・評価する手法として、SFG分光法を用いた有機界面の評価・解析技術の研究開発を進めてきた。この手法を有機エレクトロニクス材料や実デバイスの評価へ応用するには、特定の有機物の情報をより詳しく測定する必要があるため、2重共鳴SFG分光法の技術開発と、電界誘起SFG分光法の実デバイス評価への応用を進めてきた。さらに、この2つを組み合わせて、発光している有機EL素子内の個々の有機層の情報を選択的に計測・評価する技術を開発してきた(産総研プレス発表2012年8月15日)。
CEREBAは、次世代化学材料の評価・解析技術の開発・共有化を通じ、迅速な製品化に貢献する評価研究開発拠点として設立され、有機EL材料や有機薄膜太陽電池材料などの有機エレクトロニクス材料について、実用レベルの高性能有機エレクトロニクス素子のモデルとなる「基準素子」の設計・作製技術の確立とそれをベースとした評価・解析技術の開発を進めてきた。
今回、両者は、それぞれの技術を組み合わせて、動作中の有機EL素子の分子種の時間変化と素子内部を流れる電荷を測定する技術の開発に取り組んだ。
なお、本研究開発は、日本学術振興会科学研究費補助金「基盤研究B」、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構「次世代材料評価基盤技術開発」による支援を受けて行った。
SFG分光法は、レーザー光を使った分光法の一種で、表面や固体内部の界面の分子の振動スペクトルを測定できるため、光を通す基板であれば基板越しに内側の分子の振る舞いを調べることができる。今回開発した技術は、産総研が以前に開発した「電界誘起2重共鳴SFG分光法」を基に、SFGで測定する「時間」を変化させながら、電荷により刻々と変化する分子の振る舞いをとらえることができる新しい評価解析技術で、有機デバイス中の電荷の振る舞いを非破壊で調べることができる。具体的には、SFG分光法で用いるレーザーに同期させたパルス電圧を有機EL素子にかけて、レーザー照射とパルス電圧をかけるタイミングを少しずつずらしながらSFG分光測定を行う、時間分解と呼ばれる手法を用いた。素子を構成する有機膜の厚さは数10ナノメートル程度であるので、この極めて薄い層内を移動する電荷の様子を調べるには高精度で高い時間分解能が必要である。今回開発した技術では、数10ナノ秒の精度で分子の変化を追跡できるので、積層した有機EL素子で、初めて素子内部の電荷生成、電荷輸送の情報を分子レベルでとらえることが可能になった。
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図1 多層積層有機EL素子の構造(左)とパルス電圧、有機EL素子の発光、SFG信号強度の時間変化(右) |
典型的なりん光材料を用いた多層積層有機EL素子(図1左)から発生するSFGの信号強度は、かけたパルス電圧に応じて変化する(図1右)。また電圧をかけた最初の時点では有機EL素子はまだ発光していないが、これは素子に注入された電荷がまだ中央の発光層に達しておらず、電荷生成層、輸送層界面での電荷生成、移動の途中であるためである。今回開発した手法では、発光層に電荷が到達するまでの、このわずかな時間に素子内部に起こる変化を高い時間分解能で測定できた。
また、多層積層有機EL素子にパルス電圧をかけた際の初期時のSFGスペクトルの時間変化と、素子にかけたパルス電圧と素子からの発光強度の初期時の時間変化を調べた(図2)。
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図2 電圧印加初期時のSFGスペクトルの時間応答の様子(右)と素子に印加したパルス電圧、素子からの発光強度の時間変化の拡大図(左) |
素子にパルス電圧(10 V、パルス幅15マイクロ秒の矩形パルス)をかけると、まず両方の電極に電荷が到達するが、有機層内部にはまだ入っていない(~0.1マイクロ秒、緑線のスペクトル)状態になる。この素子の電子輸送層にはAlq3を用いているが、Alq3は有機層内部に自発的な分極(電場の偏り)を形成していることが知られている。陰極(Al電極側)にマイナス電荷が入ると、まず、このAlq3層内の分極電荷が打ち消され、SFG強度が弱くなる。
この後(~0.2マイクロ秒)、SFGスペクトルでは特徴的な2つの新たなピークが出現してくる。このうち1567 cm-1の位置に現れるピーク(図2左の青矢印)は、正孔輸送層に用いられるα−NPD分子がプラス電荷を帯びた「カチオン」に変化したことを示すものであり、また1497 cm-1のピーク(図2左の赤矢印)はAlq3分子がマイナス電荷をもった「アニオン」が生成されたことを示している。すなわち正孔、電子両方が電荷輸送層内に入ってきた状態になる。
さらに、電圧をかけてから約1マイクロ秒後に素子からの発光が始まる。このことは発光層にまで電荷が移動し、発光層の内部で電荷の再結合が起こって発光し始めたことを示している。
新規材料を用いた有機EL素子を今回開発した手法で測定し、素子動作時や長時間駆動させた後の有機EL素子内部の分子レベルの情報を継続的に調べていくことにより、有機EL素子の駆動機構や長寿命化に必要不可欠な電荷輸送メカニズム、輸送特性向上に必要な要因の抽出、さらには駆動劣化メカニズムの分子レベルでの解明を目指す。
また有機太陽電池や有機トランジスタなど、さまざまな有機エレクトロニクスデバイスの評価・解析への応用も目指す。