東京大学大学院新領域創成科学研究科(産業技術総合研究所 産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 客員研究員 兼務)の竹谷純一教授らは、電界効果トランジスタ動作下における電子スピン共鳴(operando - ESR)測定を用いることで、有機半導体の電気伝導及びスピン伝導特性の解明に成功し、高移動度有機半導体でも無機半導体と同様に電子の散乱によって電荷の移動度やスピンの寿命が定まっていることを初めて明らかにしました。近年有機半導体の材料開発が活発に進んでおり、電荷移動度が10 cm2/Vsを超える高移動度有機半導体が複数報告されています。これらの高移動度有機半導体では、従来は見られなかった無機半導体と同様のバンド的な電気伝導が確認されています。しかしながら、低温におけるキャリアの振る舞いやスピンダイナミクスについては未解明な部分が多数存在していました。今回、本研究グループで開発された大面積単結晶薄膜において、デバイス動作下での先端分光手法を用いることで、初めて高移動度有機半導体のスピン緩和機構を明らかにしました。さらに本研究では有機半導体の電荷移動度がフォノンによるキャリアの散乱によって制限されていることを明らかにし、有機半導体においても分子振動を抑制することで、電荷移動度が単結晶p型シリコンにも匹敵する650 cm2/Vsに達しうることが予見されました。
本研究成果は、英国科学雑誌「Nature Physics」平成29年7月31日版に掲載されます。
[背景]
有機半導体は機械的な柔軟性や有機溶媒に溶かしてインクを作製できることから、簡便で低コストな手法でのデバイス作製が可能な次世代半導体材料です。すでに液晶ディスプレイの駆動回路や無線タグなどの論理素子として実用化が進んできています。これら、従来の半導体デバイスでは、電子が持つ「電荷」の流れを利用してオン・オフのスイッチ動作を行っています。一方で、近年では電子の「自転」を用いたデバイスの開発にも注目が集まっています。電子の自転はスピンと呼ばれ、回転方向によってアップスピンとダウンスピンと呼ばれています。スピンデバイスはスピンの回転方向情報を利用したデバイスであるため、スピンの回転を長く維持することができる半導体材料が望まれています。有機半導体は無機半導体と比べて非常に長いスピン緩和時間が得られることから、スピントロニクス材料としての期待も集まっています。
しかしながら、有機半導体分子は熱により大きく振動しているという複雑性のため、これまで電荷が結晶中を伝導する仕組みや、スピンの情報が失われていくメカニズムの理解が十分に進んでいませんでした。本論文では近年本研究グループで開発された高移動度有機半導体の単結晶において、単結晶トランジスタ動作下におけるホール効果測定(注4)とESR測定を組み合わせることで、半導体が本来有している電荷の伝導特性とスピンのダイナミクスを測定することに成功しました。そして、高移動度半導体においては無機半導体と同様にバンド伝導によるキャリアと、フォノン散乱によるスピン緩和によってキャリアダイナミクスを記述できることを示しました。
[手法と成果]
(1)高移動度単結晶有機半導体のホール効果測定と
operando - ESR測定
本研究グループで合成された新奇高移動度有機半導体C10-DNBDT-NWをターゲットとし、溶液法により作製した大面積単結晶においてホール効果測定とoperando - ESR測定によって半導体本来の電荷・スピンダイナミクスの測定を行いました。
ホール効果測定では半導体中を流れる電子が外部の磁場から受けるローレンツ力を評価することができます。ホール効果測定により、C10-DNBDT-NWの電子は結晶中を連続的に伝導しており、無機半導体と同程度にローレンツ力を受けていることが確認できました。これは、各分子に局在した電子が、断続的に分子間を飛び移る従来の低移動度半導体とは大きく異なる点です。低移動度半導体では電子が分子上に静止している時間が長いため、電子が感じるローレンツ力はずっと小さく見積られます。
一方で、operando - ESRは、有機半導体をトランジスタとしてデバイス駆動させた状態下で電子スピン共鳴測定を行う手法です(図1)。アップスピン状態とダウンスピン状態の遷移をマイクロ波吸収によって測定することで、スピンの情報が失われていく過程を調べることができます。
本研究ではホール効果測定とESR測定を高移動度有機半導体の単結晶において測定することで、結晶粒界や分子配向の乱れの影響を受けずに、物質本来が有している電荷やスピンのダイナミクスを測定することに成功しました。溶液法により成長した大面積単結晶を用いた電界効果トランジスタの作製が可能になったことで、初めて単結晶デバイスのESR測定を高感度に行うことができ、この測定が可能になりました。
(2)電荷とスピンの伝導・緩和機構の統一的な理解に成功
単結晶有機半導体のホール効果測定の結果から、連続的に伝導する電子の運動量緩和時間を正確に見積ることができます。運動量緩和時間の温度依存性をoperando - ESR測定によって得られたスピン緩和時間の温度依存性を比較すると、スピン緩和時間は、運動量緩和時間に比例し、電子の運動エネルギーの二乗に反比例することが分かりました(図2)。これは、ある運動エネルギーを持って伝導している電子が振動する分子に散乱されることによってスピンの情報が失われていくElliott-Yafet機構(注5)であることを示しています(図3)。この機構は無機半導体や金属などの固い材料では広く知られていましたが、有機半導体では初めて確認されました。
(3)有機半導体の本質的な移動度とスピン拡散長
移動度の温度依存性はキャリアの伝導・散乱機構を調べる上で重要な情報です。しかしながら、有機半導体の単結晶は低温で割れが生じることや、電子が分子欠陥に捕獲されやすくなるため、低温における移動度の測定が難しいという問題がありました。今回、高移動度有機半導体のスピン緩和機構を明らかにすることで、移動度の温度依存性をスピンの緩和時間から逆算することが可能になりました。その結果、有機半導体の移動度はフォノン散乱によって支配され、欠陥のない理想的な結晶では分子の熱揺らぎが大幅に抑制される極低温(−270 ℃)で移動度650 cm2/Vsに達することが予見されました。また、移動度とスピン緩和時間から見積もられたスピン拡散長は室温で860 nmに達し、高移動度有機半導体はエレクトロニクス材料だけでなくスピン輸送能に優れたスピンメディアとしても非常に高いポテンシャルを有していることが示唆されました。
[今後の展望]
これまでは、電子が分子間を移動する頻度が低いために、有機半導体の電荷移動度は無機半導体と比べて1桁以上小さい移動度を得ることが限界だと考えられていました。本結果は、有機半導体中の電子は結晶中を自由に動き回ることができ、既存のシリコンをベースとした演算素子を上回る性能を実現する可能性があることを示唆しています。そして、そのためには分子の振動を抑制することがポイントになることが分かりました。これにより、今後の有機半導体材料開発では、分子の振動を抑制したデザインへのパラダイムシフトが生じることが期待されます。また、有機半導体は今後実用化が期待されるスピントロニクス材料として、無機半導体と同等以上の非常に高い能力を有していることが分かりました。本研究は、エレクトロニクス・スピントロニクス素子としての有機半導体の高いポテンシャルを実験的に明らかにし、有機半導体を用いた次世代の演算素子開発の足がかりとなります。
雑誌名:「Nature Physics」(オンライン版の場合:7月31日)
論文タイトル: Coexistence of ultra-long spin relaxation time and coherent charge transport in organic single-crystal semiconductors
著者:Junto Tsurumi, Hiroyuki Matsui, Takayoshi Kubo, Roger Häusermann, Chikahiko Mitsui, Toshihiro Okamoto, Shun Watanabe, and Jun Takeya
DOI番号:10.1038/nphys4217