国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)環境管理研究部門【研究部門長 田中 幹也】環境計測技術研究グループ 谷 英典 主任研究員、佐藤 浩昭 研究グループ長、同部門付 鳥村 政基 総括企画主幹らは、ヒト細胞が有害性を感知すると細胞内でのRNA分解速度が遅くなる現象を基に、蛍光プローブを導入したヒト細胞内でのRNA分解速度を蛍光強度の変化から測定して、簡便で迅速に化学物質の有害性を評価できることを実証した。今回は、過酸化水素(殺菌剤、酸化ストレス)、塩化水銀(重金属ストレス)、シスプラチン(がん治療薬)で実証したが、今後はその他のさまざまな化学物質への適用可能性を調べていく。
今回開発した有害性評価手法は、細胞死を指標としていた従来の化学物質の有害性評価手法に比べて、迅速に多くの検体を処理できる。環境中の化学物質の有害性評価や、生体影響情報を含む水質検査、シックハウス症候群に代表される住環境評価などへの貢献が期待される。
なお、本技術の詳細は2016年12月27日に日本生物工学会Journal of Bioscience and Bioengineering電子版に公開された。
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RNA分解に応答するプローブはRNA分解により蛍光強度が強くなる |
現在、数十万種を超える化学物質が産業利用されており、さらに毎年数千種の化学物質が新たに生産されていることから、これら化学物質が生体に与える影響を十分に理解した上で安全に利用することが求められている。化学物質の生体影響評価は動物試験により行なわれているが、コスト・スピード・倫理の点で課題があり、2013年に始まった欧州の化粧品規制では、動物試験に基づいて開発された製品の販売が全面的に禁止されている。そのため、動物試験に代わる新たな評価技術の開発が国際的に急務となっており、細胞試験の開発が始まっている。細胞試験は、低コストで、動物に苦痛を与えないため、非常に期待されている。しかしながら、現状では、細胞死に着目した研究が中心であるが、細胞死の検出に少なくとも半日以上かかってしまうことが課題となって、適切な細胞試験方法は確立されておらず、動物試験の低減には至っていない。
産総研は、次世代環境診断技術を開発するため、その基盤となる分析装置、センサー類の開発と性能評価を行い、生体応答に基づく化学物質などの生体影響評価技術の開発に取り組んできた。
これまでに、ヒトやマウスの細胞を用いて、化学物質を暴露した際の細胞の状態変化を分子生物学的に詳細に調査し、有害な化学物質によってRNA分解速度が遅くなることを発見した。この現象は、細胞内でのRNA分解経路が阻害されて生じることを確認している。今回、この知見を応用して、細胞内でのRNA分解速度を簡便で迅速に測定できる手法を開発することを目指した。
RNA分解に応答する蛍光プローブを設計、作製した。この蛍光プローブは、相補的な配列をもつ人工的に合成した2本鎖RNAの片方の鎖に発光用色素を、もう片方の鎖に消光用色素を付けたもので、通常は消光用色素の影響で発光用色素の蛍光は消えた状態になっている(概要図 左)。この2本鎖RNAを細胞内に導入すると、化学物質に有害性がない場合、2本鎖RNAは細胞内のRNA分解酵素により分解され、発光用色素と消光用色素が離れる。すると、消光用色素の影響がなくなるので発光用色素が蛍光を発する(概要図 右上)。一方、化学物質に有害性があると、細胞内のRNA分解酵素の働きが弱まり、2本鎖RNAの一部は分解されず、蛍光は消えた状態のままとなる(概要図 右下)。したがって、この蛍光プローブを細胞内に導入すると、蛍光強度を指標として化学物質の有害性を評価できる。
今回、2本鎖RNAからなる蛍光プローブをヒト胎児の腎臓に由来するがん細胞(HEK293)内に導入し、モデル環境化学物質として過酸化水素(殺菌剤、酸化ストレス)、塩化水銀(重金属ストレス)、シスプラチン(がん治療薬)などを暴露した。その結果、化学物質を添加しなかった系では強い蛍光が観測されたが、化学物質を添加した系では、化学物質の濃度に依存して蛍光強度が弱くなった(図1)。また、化学物質暴露の2時間後には、化学物質の濃度によって蛍光強度が明確に違っていた。一方、一般的な細胞死を検出する試薬を用いた場合、8時間後にようやく細胞数の減少がみられたが、化学物質の濃度による違いはなかった。蛍光プローブを細胞内に導入して化学物質の有害性を評価する今回開発した技術は、迅速に検出物質の濃度の違いまで評価できる技術と言える。
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図1 モデル化学物質として過酸化水素を用いた場合の蛍光強度の変化 |
蛍光強度比は、化学物質添加後0時間後蛍光強度を1とした。 |
今後は、今回開発した技術がさまざまな有害な化学物質にも適用できるかどうか検討する。さらに、環境中の化学物質の有害性評価や、生体影響情報を含む水質検査、シックハウス症候群に代表される住環境評価などの環境分野に限らず、太陽光や風力、燃料電池、新型車輌技術などでの機能性化学物質の安全性評価や、医薬品、農薬、食品の安全性などの幅広い分野への応用を検討していく予定である。