東北大学金属材料研究所の周偉男博士研究員、関剛斎准教授および高梨弘毅教授のグループは、産業技術総合研究所スピントロニクス研究センターの荒井礼子博士研究員および今村裕志研究チーム長との共同研究により、外部磁場により容易に磁化スイッチングするソフト磁性材料のNi-Fe(パーマロイ)合金と、磁化スイッチングに大きな外部磁場を必要とするFePt規則合金を組み合わせたナノ磁石を作製しました。そして、Ni-Fe合金における磁気モーメントの渦構造(磁気渦構造、あるいは磁気ボルテックス構造と呼ばれる)の磁化運動を利用すると、FePt規則合金の磁化スイッチングに必要な磁場(磁化スイッチング磁場)を大幅に低減できることを発見し、磁気記憶デバイス情報記録に必要な消費電力を大幅に削減することを可能にしました。
現行のハードディスクドライブ(HDD)*3は、記録ビット*4となる磁石一つ一つの向きの方向を変化(磁化スイッチング)させることにより、情報を書き込みます。HDDの容量を大きくかつ記録を安定させるためには、ナノ(10億分の1)メートルレベルの磁石を高密度に配置し、さらに磁化を一方向に保つためのエネルギー(磁気異方性エネルギー*5)を大きくすることが不可欠です。しかしながら、これにより磁化スイッチング磁場が増大し、結果として情報書き込み時の消費電力が増大してしまいます。特に、FePt規則合金は次世代の超高密度磁気記憶デバイス材料の有力候補とされている合金ですが、現段階では磁化スイッチング磁場が大きいことが実用化に向けた一つの障害となっていました。
研究グループは、Ni-Fe合金層とFePt合金層を積層させた薄膜試料を直径260 ナノメートルのナノサイズドットへと加工し、磁化スイッチングの挙動を調べました。その結果、Fe-Ni合金層に磁気渦構造が形成され、高周波の外部磁場を加えることで磁気渦の運動が励起され、Ni-Fe合金層に隣接しているFePt合金層の磁化スイッチングが容易に生じることがわかりました。このスイッチング磁場が低下する原因を調べるためにコンピュータシミュレーションと比較したところ、磁気渦が運動することによってNi-Fe合金層に過剰な磁気的エネルギーが蓄積され、その余分なエネルギーを低減させるために、FePt合金層において磁化スイッチングが生じるという特徴的なスイッチングプロセスが明らかとなりました。
磁気渦の運動を利用して隣接する磁石の磁化方向をスイッチングさせる研究報告は本研究が初となり、磁気渦の新しい機能が実証されました。今回の成果により、磁気記憶デバイスにおける情報の超高密度化と低消費電力動作の両立に向けた新しい道筋が示されたことになります。
本研究は、科学研究費助成金・若手研究(A)(課題番号:25709056)、基盤研究(S)(課題番号:23226001)、およびJST戦略的創造研究推進事業個人型研究(さきがけ)の研究課題「磁性規則合金を用いた新機能性スピントルク発振素子の創製」(代表:関剛斎)および「スピンを利用したニューロモルフィックシステムの理論設計」(代表:荒井礼子)の一部として行われました。本研究成果は、12月8日付けで米国物理学雑誌「Physical Review B」にてRapid communication(速報版)として公開されます。
高度情報化社会に不可欠な電子情報機器において、その根幹を成す記憶素子の低消費電力化を進めることは、豊かな持続性社会を実現するための最重要課題の一つです。また、低消費電力化と同時に、電子機器の小型化・大容量化・高速化が望まれており、磁石(磁性体)を用いた高性能な磁気記憶デバイスの開発が重要視されています。磁性体を用いる最大の利点は、情報の不揮発性にあります。ハードディスクドライブ(Hard Disk Drive; HDD)や磁気ランダムアクセスメモリー(Magnetic Random Access Memory; MRAM)といった磁気記憶デバイスやスピントロニクス素子*6は、磁石の向き(磁化の方向)により情報を記録するため、電力をOFFにしても情報が消えません。そのため、情報保持に電力を必要とする半導体をベースとした記憶デバイスと比較して、待機中の消費電力を大幅にカットできる利点があります。その反面、磁石を使って情報を記憶するデバイスでは、記録密度を高めるにつれて、記録ビットへ情報を書き込むために必要なエネルギー(外部磁場など)が大きくなってしまうという深刻な課題があります。
例えば、現行のHDDでは、記録ビットを構成する磁石に磁場を印加し、磁化の方向をスイッチさせることにより情報を書き込みます。HDDの記録ビットを高密度化するためには、情報を記録する磁石一つ一つをナノメートルの領域まで小さくする必要があります(図1)。しかし、ナノメートルサイズの磁石では、熱エネルギーにより磁化が揺らいでしまい記録した情報の保持が困難になるという問題が発生します。この磁化の熱揺らぎ問題*7を回避するためには、熱エネルギーに打ち勝って磁化を一方向に保つためのエネルギー(磁気異方性エネルギー)を大きくすることが不可欠です。大きな磁気異方性エネルギーをもつ磁石は、記録情報の安定性という観点からは好ましいのですが、一方で、磁化をスイッチさせるための磁場(スイッチング磁場)を増大させてしまい、結果として情報書き込み時の消費電力が増大してしまいます。
したがって、磁気記憶デバイスにおける情報の大容量化・高密度化と低消費電力化を同時に実現するためには、「大きな磁気異方性エネルギー(スイッチング磁場)をもつ磁石」を「情報書き込み時にだけ小さなエネルギー(外部磁場)により磁化スイッチングさせる」という課題を解決しなくてはなりません。
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図1 HDDの記録ビットの模式図。磁石一つ一つが記録ビットとなっており、磁石の方向(磁束の漏れ方)で情報の「1」、「0」を記録している。構成する磁石を(a)から(b)のように小さくすることで、記録密度を高めることができる。 |
研究グループは、FePt規則合金とNi-Fe合金(パーマロイ合金、図中はPyと記す)というスイッチング磁場の異なる2つの磁石(磁性材料)をナノメートルの厚さで積層化させた薄膜を作製、その積層膜中に励起される磁気モーメントの運動に着目し、スイッチング磁場の低減をめざして研究を進めてきました。FePt規則合金は、希土類永久磁石材料に匹敵する大きな磁気異方性エネルギーをもつ合金であり、大きなスイッチング磁場を示す磁気的に硬い「ハード磁性材料」です。現在、次世代の超高密度磁気記録媒体の候補材料として盛んに研究が行われています。一方で、Ni-Fe合金は小さなスイッチング磁場を示す磁気的に柔らかい「ソフト磁性材料」の代表格です。
これまでの研究により、Ni-Fe合金の磁気モーメントの運動がFePt規則合金の磁化のスイッチングに影響を与えることは既に報告しています(Nature Communications、2013)。しかしながら、その当時は薄膜の面内方向に磁気モーメントが揃ったFePt合金層とNi-Fe合金層の積層構造であり、加えてマイクロ(マイクロは100万分の1)メートルサイズの素子を用いていたため(図2(a))、薄膜面に対して垂直方向に磁化したナノサイズ素子という磁気記憶デバイスの開発トレンドに適合していませんでした。そこで今回、研究グループは、薄膜の垂直方向に磁化したFePt規則合金とNi-Fe合金を積層化させ、電子線を使った微細加工手法を駆使することで、直径260 ナノメートルのナノ磁石を作製しました(図2(b))。
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図2 (a) 以前の研究で用いた面内磁化を有するマイクロメートルサイズの素子の模式図。(b)今回の研究で作製した垂直磁化FePt規則合金層と磁気渦構造のNi-Fe合金(Py)層から成るナノ磁石の模式図。 |
実験で観測された磁化スイッチングの挙動をコンピュータシミュレーションと比較したところ、図3に示すように、FePt規則合金層は垂直磁化を有しており、一方でNi-Fe合金層には磁気モーメントが膜面内に渦を巻いた磁気渦構造(あるいは磁気ボルテックス構造と呼ばれる)が形成されていることが明らかとなりました。この磁気渦構造のNi-Fe合金層と垂直磁化FePt規則合金層から成るナノ磁石に対し、高周波磁場を印加しながらスイッチング磁場を調べたところ、ある特定の周波数の高周波磁場を加えたときにスイッチング磁場が大幅に低減することを発見しました(図4)。例えば、高周波磁場を加えていない時、FePt規則合金層は8.6 kOeのスイッチング磁場を示しますが、周波数を11 GHzとした0.2 kOeの高周波磁場を加えるだけで、スイッチング磁場が2.8 kOeまで大幅に低下します。
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図3 コンピュータシミュレーションより得られた磁気構造。磁気モーメントの面内 x 成分(mx)と垂直 z 成分(mz)の変化をカラープロットで表している。また、積層構造の模式図を合わせて示した。 |
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図4 FePt規則合金層のスイッチング磁場の高周波磁場の周波数依存性。周波数を11 GHzとした0.2 kOeの高周波磁場を素子に与えると、スイッチング磁場が8.6 kOeから2.8 kOeまで低下する。 |
このスイッチング磁場の低減メカニズムを解明するために、コンピュータシミュレーションにより磁化スイッチングのプロセスを調べました。高周波磁場を加えると、まずNi-Fe合金層において磁気渦の運動が生じます。磁気渦が運動するとその磁気構造の変化に起因して、Ni-Fe合金層に過剰な磁気的エネルギーが蓄積されます。蓄積された余分なエネルギーはナノ磁石全体が磁化スイッチングすることで低減できるため、Ni-Fe合金層に隣接したFePt合金層において磁化スイッチングが生じるという特徴的なプロセスが起こっていることが明らかとなりました。
この磁気渦の運動を利用した磁化スイッチングと類似の手法に、マイクロ波アシスト磁化反転(Microwave-Assisted Switching; MAS)*8があります。MASでは、本研究手法と同様に高周波磁場を印加しますが、ハード磁性材料中の磁気モーメントの「均一な歳差運動」を利用する点で異なります。磁気異方性エネルギーの高いハード磁性材料では、均一な歳差運動を励起するのに必要な周波数が高く(数10 GHz以上の周波数領域)、実用化における問題でした。一方、今回着目した磁気渦の運動は、ソフト磁性材料中に励起されるため、励起に必要な周波数はハード磁性材料の特性に依存せず、励起周波数を抑制できる応用上の利点があります。
また、これまでに磁気渦の運動に関する研究報告は多数ありましたが、磁気渦の運動を利用して隣接する磁石の磁化方向をスイッチングさせるという研究報告はなく、今回の成果によって磁気渦の新しい機能が実証されました。
FePt規則合金は次世代の超高密度磁気記憶デバイス材料の有力候補とされている合金ですが、磁化スイッチングに大きな磁場が不可欠であることが実用化に向けた一つの障害となっていました。今回の成果は、「磁気異方性エネルギーの大きなFePt規則合金」を有する「ナノサイズ素子」において「小さなスイッチング磁場」を実証したものであり、応用上の要件を満足することから、磁気記憶デバイスにおける情報の超高密度化と低消費電力動作の両立に向けた新しい道筋が示されたことになります。更なるスイッチング磁場の低減による高効率化が今後の課題の一つとして挙げられます。