東北大学多元物質科学研究所上田潔教授・福澤宏宣助教のグループ、京都大学大学院理学研究科八尾誠教授・永谷清信助教のグループ、広島大学大学院理学研究科和田真一助教、ドイツ国ハイデルベルグ大学ローレンツ・セダーバウム教授のグループ、産業技術総合研究所分析計測標準研究部門齋藤則生副研究部門長、理化学研究所放射光科学総合研究センター矢橋牧名グループディレクター等による合同研究チームは、日本初の短波長自由電子レーザー*1装置である、SCSS試験加速器*2から供給される強力な極紫外光パルスをネオン原子の集団に照射すると、多くの電子が数珠つなぎで飛び出してくる新しい現象を発見しました。
強力な極紫外光パルスを物質に照射すると、これまでにない特異な状態を生成することが可能です。特に、物質のイオン化エネルギーよりもわずかに低い光子エネルギー(1つの光子当たりのエネルギー)を持つ極紫外光パルスを用いると、物質内の多くの電子を同時に励起することができます。このような多重励起状態は電子を放出しながら安定な状態へと緩和すると予想されますが、詳細は知られていません。本研究では、強力な極紫外光パルスを希ガスのネオン原子が多数集まったクラスター*3と呼ばれる原子集団に照射し、放出される電子の運動エネルギーを計測しました。得られたスペクトルを理論計算と比較して、多重励起状態にあるネオン原子クラスターから様々なエネルギーを持った電子が、これまでに知られていなかった新たな経路を経て次々に放出されることを解明しました。
本研究の成果は、平成28年12月5日、英国の科学電子ジャーナル『Nature Communications』に掲載されます。
本研究は、合同研究チームの上田を代表とする文部科学省X線自由電子レーザー重点戦略研究課題、文部科学省X線自由電子レーザー利用推進研究課題、 理化学研究所SACLA利用装置提案課題、共同研究拠点課題の各事業の一環として行われました。
自由電子レーザーの誕生により、極紫外光からX線に至る幅広い光子エネルギー領域で、非常に強力かつ、照射時間が10フェムト秒(1フェムト秒は千兆分の1秒)のオーダーである極短光パルスの利用が可能となりました。日本ではSPring-8キャンパスに建設されたSCSS試験加速器が、世界で2番目の極紫外領域の自由電子レーザー装置として稼働し、気相系から凝縮系にいたる様々な物質の非線形光学現象の研究分野で多くの成果を創出しました。自由電子レーザーの強力な極紫外光パルスを物質に照射すると、物質中の多数の電子が同時に励起される多重励起状態が過渡的に実現されます。この多重励起状態は電子を放出することでエネルギーを放出し、緩和すると予想されますが、緩和機構の詳細はよく知られていません。本研究では、この緩和機構を解明することを目指して、ネオン原子が集まってできたネオン・クラスターを標的として、イオン化エネルギーよりもわずかに低い光子エネルギーの極紫外光パルスを照射し、放出される電子の運動エネルギーを計測しました。
物質はイオン化エネルギーよりわずかに低いエネルギーに固有の励起状態を複数持ちます。光子エネルギーを調整した光を照射する事で、電子を占有軌道*4から特定の非占有軌道*4に遷移させて、このような励起状態を生成することが出来ます。ネオン原子にも複数の励起状態があり(図1-i)、特定の光子エネルギーの極紫外光を用いて特定の原子励起状態を生成することが可能です。したがって、SCSSの強力な極紫外光パルスの照射により、原子の集団であるクラスター中の多数の原子を同時に励起することで、クラスターの多重励起状態を瞬時に生成することができます。このようなクラスターの多重励起状態は非常に不安定なため、すぐに電子を放出して緩和すると予想されます。従って、このような過渡的な短寿命状態を瞬時に生成するには、SCSSが提供する照射時間が30フェムト秒ほどの極短光パルスの使用が必須です。
本研究では、真空中に平均原子数が5000個のネオン・クラスターを作成し、SCSSで得られる極紫外光パルスを照射して、放出される電子のスペクトルを運動量画像計測法と呼ばれる手法で計測しました(図2)。照射する光のエネルギーを、ネオン原子の2p軌道にある電子が3dリュードベリ軌道*5に遷移するエネルギー 20.3eVに調整し(図1-i)、ネオン・クラスターの中に多数の3dリュードベリ原子励起状態を生成しました(図1-ii)。このようにして生成したクラスターの多重励起状態の緩和に伴う電子スペクトルを計測したところ、電子スペクトルに複数の特徴的なピークを観測しました。ピークを帰属した結果、近接する2つの3d励起状態原子の一方で電子が3d軌道から2p軌道に遷移して原子基底状態に戻るのではなく、3d軌道よりもわずかに低いエネルギーの3p軌道や3s軌道に遷移し、その遷移に伴う余剰エネルギーを近接する励起原子に与えてその3d軌道の電子を放出してイオンを生成する、という予想もされていなかった緩和の機構(図1-iii)が見出されたのです。我々は新たに解明したこの機構を「リュードベリ原子間クーロン緩和」(IntraRydberg Interatomic Coulombic Decay)と名付けました。また、リュードベリ原子間クーロン緩和によって生成する3pや3s励起状態原子も更に他の励起原子と相互作用して緩和します。このようにして様々なエネルギーをもった電子が数珠つなぎで飛び出してくる「原子間クーロン緩和カスケード」(Interatomic Coulombic Decay Cascades)(図1-iv)も本研究で初めて解明された機構です。クラスターの多重励起状態を取り扱う理論計算は実験スペクトルを良く再現しており、リュードベリ原子間クーロン緩和も原子間クーロン緩和カスケードも10フェムト秒から100フェムト秒のオーダーの非常に短い時間に起こる超高速過程であることを示唆するものでした。
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図1. (i)1光子吸収によるネオン原子の電子励起と、(ii)多原子励起したネオン・クラスターの模式図。実丸は電子、白丸は空孔を表す。(iii)に新たに見出されたリュードベリ原子間クーロン緩和を、(iv)に原子間クーロン緩和カスケードの模式図を示す。(iii)、(iv)の中で、青の矢印はリュードベリ原子間クーロン緩和を、オレンジの矢印は続いて起きる原子間クーロン緩和カスケードを、緑の矢印は仮想光子のやり取りによるクーロン相互作用を表す。 |
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図2. 本研究で用いた手法。実験では、電子の画像データからエネルギー分布を得た。実験で得られた電子スペクトルのピークの帰属と理論計算から、多重励起緩和機構を検証した。 |
本研究で初めて詳細な機構が解明されたリュードベリ原子間クーロン緩和や原子間クーロン緩和カスケードでは、原子集団の中の多数の原子が励起した多重励起状態から、多数の低エネルギー電子が次々と数珠つなぎで飛び出してきます。本研究では、極紫外自由電子レーザーを用いて原子集団中の多数の原子を瞬時に励起して効率よく多重励起状態を生成しましたが、光子エネルギーが非常に高いX線自由電子レーザーを原子集団に照射しても、過渡的に多重励起状態が多く生成することが最近の研究からわかってきました。放射線治療にも応用されている高エネルギーイオンやX線の照射によっても、放射線感応分子の周りに複数の励起原子が過渡的に生成されると予想されます。従って、今回解明した低エネルギー電子を数珠つなぎで放出して多くのイオンを生成する新しい緩和過程は、放射線損傷や放射線治療にも重要な役割を果たしていると思われます。