発表・掲載日:2016/02/09

がん治療に用いるイリジウム192密封小線源線量のトレーサビリティーを確立

-RALS(遠隔操作密封小線源治療)の照射線量の高精度化に寄与-

ポイント

  • がん治療に用いられるイリジウム192(Ir-192)密封小線源の放射線量の標準を開発
  • 日本アイソトープ協会が所有する放射線測定器である井戸型電離箱へ線量の基準値を付与
  • より正確な線量の評価により放射線治療の高精度化への貢献に期待


概要

 国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)分析計測標準研究部門【研究部門長 野中 秀彦】放射線標準研究グループ 黒澤 忠弘 主任研究員、齋藤 則生 研究グループ長 兼 同研究部門 副研究部門長は、公益社団法人 日本アイソトープ協会【会長 有馬 朗人】(以下「アイソトープ協会」という)と共同で、がん治療の一つである遠隔操作密封小線源治療(RALS)を行う際の照射量を正確に評価するために必要なガンマ線基準空気カーマ率の国内のトレーサビリティー(校正の繰り返しにより国の標準へたどれることが確かめられた状態)を確立した。

 この技術はガンマ線の量の国家標準であるグラファイト壁空洞電離箱を利用し、放射性物質イリジウム192(Ir-192)に対応した補正係数を厳密に算出することによって開発に至った。このガンマ線基準空気カーマ率に対してアイソトープ協会が所有する放射線測定器である井戸形電離箱の校正を行い、アイソトープ協会ではこれを基準に個々の病院が保有する線量計の校正業務を開始する予定である。(詳細はアイソトープ協会のページをご覧ください。)これにより、国内の病院が所有する線量計が、より簡便に同じ基準で感度が補正され、RALS治療の高精度化への貢献が期待される。なお、この技術の詳細は、2016年2月9日に産総研 つくばセンター(茨城県つくば市)で開催される2015年度 計量標準総合センター成果発表会で発表される。

グラファイト壁空洞電離箱によるIr-192基準空気カーマ率の測定風景の写真
グラファイト壁空洞電離箱によるIr-192基準空気カーマ率の測定風景


開発の社会的背景

 近年、Ir-192密封小線源を患部に挿入してがん組織に照射するがん治療(RALS)が広く行われている。機能温存に優れた治療で患者への負担も小さいことから、特に子宮頸がんや舌がんの治療法の一つとして活用されている。RALSは、1990年代後半から増加し、2014年には163施設、また治療患者数は2011年度の日本放射線腫瘍学会によると約4,000人と報告されている。

 線源は、直径2 mm、長さ5 mm程度のカプセルの中に充填されている(図1)。線源の強さは約2か月半で半分に減衰するため、1年に2~4回程度新しいものに交換されるが、線源交換時はもちろん、日々の線量評価が必要である。評価した線量(ガンマ線基準空気カーマ率)を基に照射時間や照射位置の治療計画を立てるため、線量の不確かさが治療時の線量、ひいては治療の成果に影響を及ぼす可能性がある。

RALSで用いられる線源と同じ形状のダミー線源の写真
図1 RALSで用いられる線源と同じ形状のダミー線源

 線源の線量評価は、通常、井戸形電離箱を用いて行われる。しかし、これまでは井戸形電離箱の校正は国外の標準に頼らざるを得ず、海外へ線量計を輸送するコストや時間(約二か月)がかかることが大きな問題となっていた。また国内では、メーカーによる不確かさの大きい性能試験が行われているのみであった。これらの問題を解決するために、図2左側のような国家標準につながるトレーサビリティー体系を構築することが求められていた。

Ir-192小線源の線量評価のトレーサビリティーの図
図2 Ir-192小線源の線量評価のトレーサビリティー
右側がこれまで、左側が今後の体系を示している。

研究の経緯

 産総研は、サーベイメーターや個人線量計といった放射線防護に用いられる線量の国家標準として、ガンマ線空気カーマ率の絶対測定をグラファイト壁空洞電離箱によって行ってきた。また近年の医療用放射線に対する線量標準として、リニアック(放射線治療装置)などの放射線治療で用いられる水吸収線量や放射線診断であるマンモグラフィーの線量評価などの開発に取り組んでいる。

 上述した背景を踏まえ、今回RALS用Ir-192密封小線源を導入し、線源の校正事業者であるアイソトープ協会と共同で、国家標準(ガンマ線基準空気カーマ率標準)を開発し、RALS用Ir-192密封小線源の線量評価のためのトレーサビリティーを確立することとした。

研究の内容

 これまでの一般的な線量測定では、ある線量計を二つの異なるエネルギーの放射線で校正した補正係数の平均値を用いて、それらの中間のエネルギーであるIr-192の線量測定を行ってきた(図3)。 しかし、この手法では患部に照射する放射線量の最終的な不確かさが大きくなってしまう。そこで今回、ガンマ線の国家標準であるグラファイト壁空洞電離箱を直接Ir-192の測定に用いることで、精度の高い線量測定を実現できた。

従来の手法からの改善点の図
図3 従来の手法からの改善点
従来の手法では放射線のエネルギーが異なる2点の平均値から補正係数を算出するため、不確かさが大きかった。今回グラファイト壁空洞電離箱による直接測定により、精度の高い測定が可能となった。

 グラファイト壁空洞電離箱を用いてガンマ線基準空気カーマ率を高い精度で測定するには、さまざまな補正係数が必要である。その補正係数を正確に決定するには、測定位置におけるガンマ線の量とエネルギーを正確に把握する必要がある。そこで、Ir-192線源に対応できるように、放射線の量とエネルギーを正確に知ることができる測定器・解析手法を開発し、より確かな補正係数を決定した。またガンマ線基準空気カーマ率は、真空中における値として定義されているが、実際の実験は空気中で行うため、空気やその他の装置類にガンマ線が衝突して跳ね返ったもの(散乱線)が検出されてしまう。散乱線が多いと補正値も大きくなり、測定精度を低下させてしまう。今回、散乱線を低減させるために照射装置の設計を工夫し(図4)、補正量を1 %以下にすることができた。

照射容器概念図
図4 照射容器の概念図
線源周りに大きな空間を設け、線源の配置や遮へいのための鉛容器の厚さ、ガンマ線が放出される開口部のサイズを最適化することによって、散乱線を低減し精度の高い測定を実現した。

 開発された国家標準の不確かさは1 %以下と小さく、その測定技術が正しいかどうかを検証する手段がない。そこで他国の標準研究所の値と比較し、その値が大きくずれていないこと(測定の同等性)を確認するために国際比較を行った。図5にその結果を示す。ガンマ線基準空気カーマ率の国際標準はなく、各国がそれぞれ国家標準の値を定めている。そこでこの国際比較では、BIPMの値を参照値(図中で1.00の値)として各国の国家標準の値がどれだけずれているかを比較した。この国際比較の結果から、産総研の値は各国の国家標準値と不確かさの範囲内で一致していることが確認できた。

照射容器概念図
図5 RALS用Ir-192線源に対する基準空気カーマ率の国際比較の結果
NMIJが産総研の結果で、VSLはオランダ、NPLはイギリス、PTBはドイツ、NRCはカナダの国家標準研究所を示す。国際度量衡局(BIPM)の値を1として、各国標準研究所の値を比較すると、それぞれの測定の不確かさを表すエラーバーの範囲内で相互に一致していることが確認された。

 産総研は、開発した国家標準を用いて2015年11月にアイソトープ協会が所有する井戸形電離箱に対して、ガンマ線基準空気カーマ率の校正を行った。アイソトープ協会では、この井戸形電離箱を基準として、今後各病院が所有する線量計の校正を行っていく予定である。国内で迅速に線量計を校正できることから、海外に校正を依頼する場合に比べて線量計の校正に必要な期間を大幅に短縮でき、品質管理の空白期間を最小限にできる。また、費用の面でも安価になることから、国家標準にトレーサブルな線量計が広く普及し、高精度な線量測定が行えることで、より品質の高い放射線治療に向けた照射データの定量性向上が期待できる。

今後の予定

 今後は線源形状の違いによる井戸形電離箱の応答評価などを進め、国内におけるトレーサビリティーの対象範囲の拡大や利便性の向上を図っていく予定である。

プレスリリース修正情報

修正箇所
 「開発の社会的背景」に記載の「約 6,000人」を「約4,000人」に修正(2016年3月2日 14:00)



用語の説明

◆遠隔操作密封小線源治療(RALS)、イリジウム192(Ir-192)
放射性物質であるイリジウム192(Ir-192)の小型の線源を用いたがん治療の一つで、RALSという名称はRemote After Loading System(遠隔操作密封小線源治療)の頭文字を取ったもの。RALSは主に子宮や食道・直腸などの管腔臓器にできた腫瘍に対して行われる腔内照射と、舌や骨盤内の腫瘍に対して直接細い管を刺して行われる組織内照射がある。国内においてRALSによる治療は163施設で行われている(平成26年度厚生労働省医療施設調査による)。[参照元へ戻る]
◆ガンマ線基準空気カーマ率
RALSによる放射線治療の際に用いられる特別な単位であり、線源から1 m離れた位置における1秒あたりの放射線量を意味する。[参照元へ戻る]
◆グラファイト壁空洞電離箱
放射線の線量を計測するための機器の一つ。周りが薄いグラファイトの壁で覆われた空洞構造となっており、空洞内は空気で満たされている。放射線が入射すると空気が電離され、その電流量を計測することによって、放射線量を求める。[参照元へ戻る]
グラファイト壁空洞電離箱の写真
グラファイト壁空洞電離箱
◆井戸形電離箱
電離箱と呼ばれる放射線計測器の一つ。中央に線源を挿入する空間があり、その側面及び底面が電離箱構造となっている。中央に測定したい線源を挿入し、線源から等方に放出される放射線をほぼ全方位で計測することから、感度が高く安定した放射線計測が行える。[参照元へ戻る]
井戸形電離箱の写真
井戸形電離箱
◆不確かさ
測定値のばらつきの大きさを示す値。不確かさが小さいほど、ばらつきが小さく信頼性の高い測定値となる。[参照元へ戻る]
◆絶対測定
定義に即した測定を行い、その量を評価する測定法。通常の測定は、基準となるものや事前に校正された測定器によって測定を行う。これらは比較測定などと呼ばれる。[参照元へ戻る]



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