国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)フレキシブルエレクトロニクス研究センター【研究センター長 鎌田 俊英】印刷デバイスチーム 吉田 学 研究チーム長、栗原 一徳 研究員、ナノエレクトロニクス研究部門【研究部門長 安田 哲二】エレクトロインフォマティクスグループ 堀 洋平 主任研究員、小笠原 泰弘 研究員、片下 敏宏 主任研究員は、有機デバイスに特有のばらつきを利用して偽造を困難にするセキュリティータグ回路を開発した。
この回路は、作製時に有機デバイスに生じるわずかな素子間のばらつきを利用して、同じ設計の回路それぞれが異なった固有の番号を生成する。今回、大気中での安定性が高い有機半導体と、有機材料と無機材料を用いたハイブリット絶縁膜を用いて、わずか2 Vで動作するエラー率の低い回路を開発した。この回路はフレキシブル基板上に作成でき、商品パッケージなどにIDタグとして張り付けることで偽造品などの流通防止や回路自体の改ざん困難性(耐タンパー性能)の向上への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、平成28年1月27~29日に東京ビッグサイトで開催されるプリンタブルエレクトロニクス2016で発表される。
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今回開発したセキュリティータグ回路の特徴とパッケージに使用したイメージ |
高性能な家電製品や高級ブランド品、ソフトウエアなど、高価で品質の高いものが出回る現在の社会では、近年模倣品が大きな問題となっている。特許庁の「2014年度 模倣被害調査報告書」によれば、2013年度の模倣品による国内総被害額は1,100億円にも上っている。さらに同報告書の企業アンケートによれば、40 %以上の企業が国外市場での被害が年々増加していると回答している。模倣品は経済損失やブランド力の低下だけではなく、事故や事件の原因になるなど安全な社会・安心できる生活を脅かす危険性がある。既に一部の製品では、個々の製品に固有の番号を付加して、トレーサービリティーを向上させ真贋判定にも役立てている。しかし、バーコードやQRコードなどの印刷された情報や、集積回路に電気的に記録された情報は複製が可能であるため、偽造品や海賊版が正規品として流通してしまう危険性が常にあった。そこで今後は、偽造困難なIDタグなどを利用した、真贋を区別できる製品の需要が高まることが予想される。
また、IoT化が進むにつれてさまざまなシチュエーションでセキュリティー回路が必要になっている。その回路を作成する基材も、従来のシリコンなどの硬いものから高分子フィルムなどの柔らかいものまで、選択肢の幅を広げることが求められている。
産総研では大面積フレキシブル電子デバイスや形状任意性の高い電子デバイスの研究開発を進めている。印刷製造プロセスを中心とした技術の開発を目指しており、これまでに印刷技術を用いたメモリーアレイや各種の大面積センサーなどを開発してきた。特に近年はフレキシブルデバイスの低電圧化の研究に取り組んでいた。
一方、デバイスのばらつきを利用して回路固有の数値を生成する手法は2000年に初めて提唱されたが、これまではシリコンなどの硬い基板の上でしか作成できなかった。産総研でも、デバイスの成りすましを防止する「ICの指紋」技術の特性の改善や評価を行ってきた。今回、産総研で培われたフレキシブルデバイスの低温製造プロセスと「ICの指紋」技術を組み合わせて、偽造できないセキュリティータグを柔らかいプラスチック基板の上に作製することとした。
なお、本研究開発の一部は、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の「次世代プリンテッドエレクトロニクス材料・プロセス基盤技術開発 印刷製造物理複製不能回路を利用したセキュリティタグの研究開発(平成27年度)」による支援を受けて行った。
今回、大気中での安定性が高い有機半導体と、有機材料と無機材料を用いたハイブリッド絶縁膜を組み合わせることで、2 Vで駆動するセキュリティータグを開発した。有機半導体を用いることで無機デバイスにはなかった分子の向きや表面形状などのばらつきも利用できるようになった。このセキュリティータグはリングオシレーターと呼ばれる発振回路を利用したもので、二つのリングオシレーターの発振周波数の大小を比較することで0か1の数値を生成する。二つのリングオシレーターの設計が同じであればどちらの周波数が大きいかは製造時のばらつきによって決まるので、セキュリティータグ回路内に複数のリングオシレーターを作成すれば回路ごとにランダムで固有の数値を生成できる。
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図1 ガラス基板上に作製したリングオシレーター回路の写真とセキュリティータグ回路の拡大図(左上)とセキュリティータグの全体図(左下)、コアとなる有機トランジスタの構造模式図(右) |
図1に今回作成したリングオシレーターの写真と有機トランジスタ構造の模式図を示す。今回、セキュリティータグの全体図にある選択部分やカウンター部分は外付け装置を利用したが、これらは有機デバイスでも実現されており、将来的にリングオシレーター回路と同時に作製することが可能である。有機トランジスタはアルミニウムをゲート電極とし、その表面を酸素プラズマにより酸化して酸化アルミニウムの薄膜を作製した。次に有機分子(n-オクタデシルホスホン酸)を溶かした溶液に基板を浸して酸化アルミニウムと有機分子を結合させ、酸化アルミニウム上に自己組織化単分子膜と呼ばれる2 nmの薄膜を製膜してハイブリッド絶縁膜とした。最後に有機半導体層と金の電極を蒸着してトランジスタ素子を作製した。大気中でも安定する有機半導体としてp型にジナフトチエノチオフェン(DNTT、シグマアルドリッチ製)、n型にはベンゾビスチアジアゾール骨格をもつTU-1(宇部興産製)を用いた。
一般に有機半導体は大気中での長期にわたる安定動作が難しく、数値生成時に間違った数値を生成してしまうエラーが発生する確率(エラー率)が高くなる。そこで大気中で安定な半導体材料とハイブリッド絶縁膜を用いた。特にn型半導体に関しては、従来のフッ素系銅フタロシアニン(F16CuPc)が大気中では10日後に初期値の50 %ほどの移動度に低下してしまうのに対して、今回用いたTU-1は212日後でも7 %の低下に抑えられる。これによりセキュリティータグ回路の安定性が向上し、駆動時のエラー率は10 %以下であった(図2)。また、一般的な厚い高分子膜を用いたデバイスでは駆動電圧が40 V程度であるが、自己組織化単分子膜とアルミ酸化膜を用いた6 nmの極薄なハイブリット絶縁膜層を用いることで、駆動電圧を2 Vまで低減できた。これにより、消費電力を抑えられるため、今回開発したセキュリティータグ回路を、商品パッケージへの貼り付けや、紙幣や有価証券の偽造防止などに用いることが容易になった。
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図2 番号の再現性を示すエラー率(チップ内ハミング距離)(青)と固有性を示すチップ出力の差(チップ間ハミング距離)(赤)の2 V駆動でのばらつき |
今後はデバイス作製プロセスに産総研の持つ印刷技術を組み合わせて、生産効率の向上を図ると共に、印刷プロセス特有のばらつきも利用して、より固有性の高いセキュリティータグの開発を進めていく。また、この有機セキュリティータグ技術を利用して安全安心な社会を実現するために、データベースや認証サーバーなどを含む信頼性の高い運用システムの開発などを行っていく。