国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)安全科学研究部門【研究部門長 本田 一匡】環境暴露モデリンググループ 東野 晴行 研究グループ長および石川 百合子 主任研究員は、従来より公開している化学物質リスク評価のための曝露・リスク評価大気拡散モデル(大気モデル)ADMERおよび水系暴露解析モデル(河川モデル)SHANELについて、化学物質の漏洩事故を想定した新たな機能を追加し、ADMER Ver.3.0およびSHANEL Ver.3.0として公開する。
大気モデルADMER Ver.3.0では、時間解像度を従来の月単位から4時間単位で表示できるよう機能を向上させるとともに、河川モデルSHANEL Ver.3.0では、時間解像度を月単位から日単位に、空間解像度を従来の16倍に向上させた。これらの機能追加により、化学物質がもたらす短期間の汚染状況や、化学物質の漏洩事故を想定した影響評価を可能とした。国、自治体、企業等での活用が期待される。
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(背景地図データ:NASA、TerraMetrics、DigialGlobe、Digital Earth Technology) |
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(背景地図データ:Zenrin) |
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大気モデルADMER Ver.3.0 |
河川モデルSHANEL Ver.3.0 |
短期間の汚染状況を推定し、Google EarthTM上で結果を確認できる大気と河川のモデル |
化学物質の漏洩事故による環境への影響が社会的な注目を集めており、企業や地方自治体には、事故が発生した場合の人や生態系へのリスクを低減するための取り組みが求められている。リスク低減対策の立案には、事故が発生する前に最大でどの程度影響があるのかを推定し、リスクを予め把握する必要がある。
また近年では、東日本大震災のような地震などの自然災害や、産業事故が原因となって化学物質が流出するようなケースなど、短期間に排出される化学物質がもたらす環境への影響を評価する技術へのニーズが高まりつつある。
産総研では、これまで、化学物質の日常的な排出による環境リスク評価のためのモデルを開発してきた。大気中の化学物質の濃度に関しては、排出量と気象条件から計算することができるADMERを、また、河川などの水系における化学物質のリスク評価についてはSHANELを公開している。
ADMERやSHANELを利用することにより、全国での評価可能な地域や化学物質の数が飛躍的に増加し、どのような発生源が高濃度に存在し、環境を汚染するリスクの高い要因となっているのかを、実際の濃度の観測データが十分になくても定量的に評価できるようになった。さらに、リスク低減対策の定量的な評価も行えるため、地方自治体や産業界によるリスク評価や対策評価で活用されてきた。
しかしながら、これまで公開してきたいずれのモデルも、化学物質の日常的な排出を想定したものであり、事故などで短期間に化学物質が排出されるようなシナリオには対応していなかった。そこで、地震などの自然災害や産業事故が原因で汚染物質が突発的に放出されるような場面を想定した汚染状況予測のために、ADMERとSHANELの機能を向上させることにした。
大気モデルADMERは、化学物質のリスク評価のために開発された大気拡散モデルであり、パソコンで動くモデルである。気象、人口等の基礎データを内蔵し、排出量と簡単な物性を入力データとして用意すれば、化学物質の大気中濃度、沈着量、及び暴露人口の分布を、詳細な空間解像度(5 kmから100 m四方格子)で推定することができる。2002年にβ版(Ver.0.8β)を最初に公表して以来、国、自治体、教育機関、企業など様々な場所で、大気系化学物質のリスク評価に活用されており、約6,000人がダウンロードしているわが国で最も普及している大気モデルである。
大気モデルADMERは、比較的長期の平均的な濃度(月平均が基本)を推定、評価するのに便利なようにデザインされている。今回の機能向上では、地震などの自然災害や産業事故が原因で汚染物質が突発的に放出されるような場面でも利用可能なように、時間解像度の向上による短期間評価への対応や、ワーストケース条件の抽出、ソースリセプターマトリックス解析機能などの新たな機能を搭載し、事故による突発的な放出を想定した短期間の汚染状況の推定に対応した。
1.今回実施したADMER Ver.3.0における機能向上
(1) 短期間の評価への対応
従来のADMERでは4時間平均の気象データを用いて集計処理を行い、月平均濃度を推定していた。今回のバージョンアップでは、集計処理を行わず4時間毎の気象データを直接使用して拡散計算を行うようにした。この結果、指定した日時において、4時間毎の気象条件を反映した拡散計算を行うことが可能となった。
(2) ワーストケースの推定
指定した場所でシミュレーション期間中に最高濃度となる日時を特定する機能を搭載した。発生源や観測地点などの任意の特定の地点に加えて、発生源から一定の距離がある別の地点を指定することも可能である。この機能を用いることで、例えば、過去10年間に発生源から半径5 km離れた地点で最高濃度となったときの日時及び濃度分布のような情報を簡単な操作で求めることができるようになった。
(3) 発生源解析機能の強化
予め設定した地点について、ソースリセプターマトリックスを作成することにより、発生源寄与率を推定する機能を搭載した。これにより、例えば、高濃度となった地点の要因がどの発生源によるものなのかを簡単な操作で知ることができるようになる(図1)。
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図1 ADMER Ver.3.0で推定した化学物質の発生源寄与率の例 |
(4) システムの改良
異なる解像度が混在する計算下で排出量と計算結果のデータの共通化による操作性の向上、64bitオペレーションシステムを前提としたシステム再構築によるメモリー不足問題の解消、処理系の見直しによる計算速度の向上など、様々な改良を行った。
河川モデルSHANELは、河川流域での化学物質のリスク評価に必要な河川水中濃度を推定するモデルである。全国の人口、土地利用、下水道等の3次メッシュ(約1 km格子)単位の流域データを搭載し、気象データや化学物質の排出量と基本的な物性を入力するだけで河川水中の濃度をコンピュータ上で計算することが可能である。2004年にVer.0.8の公開後、対象水系の拡張を含めた種々の改良を進め、現在公開しているVer.2.5は全国109の一級水系の3次メッシュ(約1 km格子)かつ月単位で河川水中の化学物質濃度を計算することができる。
SHANELは、大手洗剤企業などで、全国規模の種々の界面活性剤の生態リスク評価に活用されてきたが、さらに、事故が発生したときに化学物質が河川へ突発的に流出したときの短期間の暴露解析へのニーズが高まっているため、これまでの時間解像度を向上し、より短期間の評価を可能とするとともに、空間解像度の向上により従来よりも小規模な範囲での解析を行えるようにした。また、流量が少ないワーストケースでの濃度推定を短時間で行える機能も追加した。
2.今回実施したSHANEL Ver.3.0における機能向上
(1) 時間・空間解像度の向上
従来のSHANELは、全国109の一級水系を対象として、3次メッシュ(約1 km格子)毎の月単位の河川水中の化学物質濃度を推定するモデルであった。今回のバージョンアップにより、SHANEL Ver.3.0では、時間解像度を日単位で推定することができるようになった。また、全国の空間解像度についても、従来の約1 km格子から250 m格子へと向上させた。これらの機能追加により、日常の生活や産業で使用される化学物質の平常時のリスク評価だけでなく、事故で化学物質が突発的に排出されたときの濃度変化を推定することが可能となり、漏洩事故の想定地点からの影響範囲や期間を予測できるようになった(図2)。
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(背景地図データ:Zenrin) |
図2 SHANEL Ver.3.0による事故を想定したときの濃度分布の表示例 |
(2) ワーストケースの濃度推定
SHANEL Ver.3.0では、河川へ化学物質が排出された場合の河川水中濃度を時間的、空間的に詳細に推定することができるが、河川の流域面積が大きいほど計算時間がかかる。そこで、晴天時の河川流量での濃度を推定する機能を追加することにより、短時間でワーストケースに近い濃度分布を推定できるようにした。
(3) 地図ソフトを利用した河川水中濃度マップの表示
化学物質の河川水中濃度や河川流量の分布図は、無償の地図ソフトGoogle EarthTMやGISビューアのArcGIS Explorer Desktopを用いて、より簡便かつ詳細な地図データを背景として表示できるようにした。この操作により、発生源からの影響範囲を視覚的に把握しやすくなった。
(4) 全国の河川流域メッシュデータの更新
SHANELには、計算に必要な全国の人口、土地利用、下水道、下水処理場等のメッシュデータをモデルに備えている。今回のバージョンアップでは、下水道普及率や下水処理場のデータを更新してほしいとのニーズに応え、現時点で収集可能な最近の年度(2011年)のデータに更新した。
今後は、これらのモデルを日本国内だけでなく、日本の企業が海外でも活用できるように、国際版の開発を進める計画である。