独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 山口 智彦】ナノ炭素材料シミュレーショングループ 宮本 良之 研究グループ長、非平衡材料シミュレーショングループ 宮崎 剛英 研究グループ長は、中国 四川大学 Hong Zhang教授、ドイツ マックスプランク 物質構造・ダイナミクス研究所 Angel Rubio教授と協力して、層状物質である六方窒化ホウ素(hBN)の層間距離を赤外線レーザー照射により縮められることを第一原理計算によるシミュレーションで理論的に示した。
この提案は、ホウ素原子と窒素原子が交互に並んで六員環を成した蜂の巣状の構造をもつhBNの格子振動と共鳴する波長の赤外線レーザー照射によって、巨大な振幅でそれぞれ正と負の電荷をもつホウ素原子と窒素原子が反対方向に変位する振動を生じ、この振動により層間にクーロン力が発生し、層間距離を元の距離の10 %以上も縮められるというシミュレーション結果を得たことによる。これにより、層間距離を制御しながら層状物質の隙間に取り込んだ化学物質の反応を起こすなど、新規材料開発への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2015年3月19日(米国東部時間)に米国物理学会誌フィジカルレビューレターズにオンライン掲載される予定である。
|
赤外線レーザー照射による格子振動で上下に縮むhBNの概念図 |
近年、低次元物質が注目を集めている。特に、原子1個分の厚みしかないグラフェンなどの層状物質は、電子物性の特異さ(高いキャリア移動度や波長によらない光吸収など)や層間への物質の取り込みなどを利用し、低消費電力で動作するトランジスタ、高効率の光・電気信号変換デバイスや高感度センサーなどの幅広い用途が期待されており、層間距離に依存した電子物性の研究が進められてきた。しかし、これまで層間距離を任意に制御する技術はなかった。赤外線レーザーは市販の装置で発生させることが可能で、その照射により層を一層ずつ剥がすことと複数層を同時に蒸発させるなど、層状物質をさらに細かく分解する応用が顕著であった。今回の提案は、逆に層間の結合を強固にするという今までに例を見ない技術である。
産総研は、グラフェンなどの低次元材料の研究開発において、従来の材料の代替とすることやさらなる高性能化を目指しており、その研究開発を加速するため、高精度予測を可能とするシミュレーション技術によって、レーザーを用いた層状物質の生成や改質方法の開発に取り組んできた。そのシミュレーション技術は世界でも数えるほどの研究機関しか有していない。
なお、本研究開発の一部は、文部科学省の科学研究費補助金 新学術領域研究(研究領域提案型)「原子層科学(平成25~29年度)」による支援を受けて行ったものである。
今回の研究成果は、強度をコントロールした赤外線レーザー照射により原子層の格子振動の振幅を増大させ、層内の分極を増大させることで層状物質であるhBNの層間の双極子引力を増大させる方法を理論的に提案したものである。この提案では、第一原理計算に基づく高精度予測によって、赤外線レーザー照射下での電子運動を時間依存シュレディンガー方程式で、原子核の運動をニュートン方程式でそれぞれ同時に計算する手法を適用した。
hBNは、層内にホウ素(B)と窒素(N)を含む化合物で、図1のように蜂の巣状の格子にホウ素原子と窒素原子が交互に並んだ構造の層が積層している。
|
図1 六方窒化ホウ素(hBN)シート内のホウ素原子と窒素原子の蜂の巣状格子 |
このような層状物質の層間引力はファンデルワールス力と呼ばれる弱い凝集力であり、以前の研究で希ガスにおけるファンデルワールス力が紫外線レーザーによる電子励起で増強できることが分かっていた(2014年5月19日 産総研プレスリリース)。 今回の研究は、電子励起の代わりに格子振動を励起して、ファンデルワールス力を増強するものである。
この層に赤外線レーザーを照射し、その波長を1.4 µmに調整すると図2の緑矢印のように層の上下にホウ素原子と窒素原子が反対方向に変位する格子振動を誘起でき、ホウ素と窒素がそれぞれ正と負の電荷をもっていることから、変位によってそれぞれの層に分極が生じ、これらの分極はお互いに平行となる。この平行な分極により引力相互作用が生じる。
|
図2 赤外線レーザーによる格子振動とそれによるhBNシートの分極の概念図 |
この分極により発生するクーロン力は、hBNの層間距離を最大で元の距離の11.3 %も縮められることが第一原理計算の結果明らかとなった。従来の報告では、グラファイトに800 nmの波長の圧縮パルスレーザーを照射すると、その層間距離が元の距離の6 %まで一時的に縮まることが報告されていたが、今回のhBNの層間距離の縮みはそれを上回る比率である。また、レーザー強度が強すぎる場合は、レーザー照射中に電子励起が起きるため、それがhBN層間の収縮を逆に妨げる効果があることも分かっており、層間距離の収縮のためにはレーザー強度の適切な調整(Power=1×1012 W/cm2程度)が重要であることがシミュレーションから示唆された。この強度は、市販されている固体レーザーでビーム径をマイクロメートルオーダーに絞ることで達成できる。
今後は実験的研究によりこの理論を裏付けるとともに、これら原子層材料の層間に取り込まれた化学物質の新規反応が赤外線レーザーによる層間距離の圧縮で誘起される可能性を研究し、従来では得られない新材料の開発を目指す。また、本研究において、従来は主に熱的な効果のみが注目されていた赤外領域のレーザーの応用範囲を、格子振動の誘起に伴う新たな化学反応の開発へと広げていく。