独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)エネルギー技術研究部門【研究部門長 小原 春彦】エネルギー界面技術グループ 周 豪慎 研究グループ長、朝倉 大輔 研究員、細野 英司 主任研究員と、国立大学法人 東京大学【総長 濱田 純一】(以下「東大」という)物性研究所【所長 瀧川 仁】原田 慈久 准教授らは共同で、リチウムイオン電池が充放電しているときの正極材料の詳細な電子状態を、軟X線発光分光法を用いて解明した。
この研究では、充放電時の軟X線発光分光測定のために、有機電解液とリチウム負極を備えたリチウムイオン電池の正極を分析するための特殊な電池セルを開発した。この電池セルを用いて、マンガン酸リチウム正極中マンガン原子の充放電時の電子の出入りの様子を解析した。なお、軟X線発光分光測定は、大型放射光施設SPring-8の東大アウトステーションBL07LSUにおいて行った。既存材料を用いたリチウムイオン電池の充放電機構の詳細が明らかになることで、次世代のより高性能な電極材料開発に貢献できるものと期待される。
なお、本研究成果は、2014年11月25日に国際電気化学会の速報誌Electrochemistry Communicationsのオンライン版に掲載される。
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SPring-8 東大アウトステーションBL07LSU(左)と今回開発した分析用電池セルの外観(右) |
リチウムイオン電池用正極材料として広く用いられているマンガン酸リチウム(LiMn2O4)やコバルト酸リチウム(LiCoO2)などは、電気自動車や定置型蓄電システムなどの大型用途には充放電容量などの性能が不十分であり、また、低コスト化や充放電繰り返し特性の高性能化なども求められている。
このような正極材料の高性能化を効率的に進めるには、既存材料の充放電機構の解明が重要であり、充放電反応中のコバルト(Co)やマンガン(Mn)などの遷移金属元素での電子の出入り(酸化還元反応)を追跡するための研究が広く行われている。従来の放射光硬X線を用いたX線吸収分光法では、どの遷移金属元素が反応しているかといった情報は得られるが、電子状態の詳細な情報を得ることは困難であった。
一方で、より詳細な情報が得られる放射光軟X線分光法(軟X線吸収分光法や軟X線発光分光法など)の適用も進められているが、試料を真空中に置く必要があるため、電解液を伴った充放電動作中の正極電極や負極電極に対する軟X線分光測定は不可能であった。この測定が可能になれば、より安価な電池や、より安全で長寿命な電池の開発が期待できる。また、電子状態の知見に基づいて、元素の置き換えなどの手法により電子状態を制御することによって、一般的には不活性と考えられる正極材料中の酸素の酸化還元反応も積極的に利用できれば、充放電容量の飛躍的な増大が見込めるため、リチウムイオン電池電極の軟X線分光測定が望まれている。
産総研は、リチウムイオン電池の高性能化を目指した正極電極の開発に取り組んでいる。その開発指針に欠かせない既存材料の充放電機構を解明するために、コンピューターシミュレーションを用いた電極間・電極内のイオン移動のメカニズムの解明や、結晶構造の解析、硬X線を用いたX線吸収分光法による電子状態の解析などのさまざまな分析にも重点的に取り組んできた。
最近では、遷移金属元素での電子の出入りをより詳細に解析できる軟X線分光法を用いて電極材料の電子状態の研究を進めてきたが、測定の際に電池を解体し電極を取り出す必要があり、充放電動作中の電極の電子状態を評価しているとは言えなかった。そのために、電極材料の充放電動作中における軟X線分光測定技術の開発に取り組んできた。
なお、この研究は、科学研究費助成事業(独立行政法人日本学術振興会:若手研究(B) <課題番号25871186>)、経済産業省の受託事業「日米エネルギー環境技術研究・標準化協力事業(平成22~26年度)」による支援を受けて行った。
軟X線分光法では、軟X線は真空中を通す必要があるため、大気圧下の試料を測定するには、軟X線を透過させる窒化ケイ素を主体とする薄膜窓材を用いて、真空槽と大気圧槽を隔離する必要がある。近年、このような測定技術が開発されたが、有機電解液を伴うリチウムイオン電池やその電極材料を測定した例は見られなかった。
今回、窒化ケイ素窓材(150 nm厚)がコートされているシリコン基板に、金属との密着性を上げるアルミナ層、チタンと金の二層から成る金属集電体層の順に積層膜を作成し、その後に、マンガン酸リチウムの薄膜を直接作製した。マンガン酸リチウム薄膜の厚さは100 nm以下である。さらに、化学的な処理によってシリコン基板の中央部を除去し、窒化ケイ素窓材を露出させて、特殊な薄膜電極を作製した(図1)。この薄膜電極を正極とし、リチウム負極、リチウムイオン電池の評価で用いられている一般的な有機電解液と組み合わせて、充放電動作中に軟X線発光分光測定ができる電池セルを開発した(図2)。
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図1 薄膜電極の模式図 |
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図2 電池セルの模式図 |
1度充放電した後、2回目の充電前(3.4 V)、充電時(4.5 V)、放電時(3.0 V)のマンガンの軟X線発光スペクトルを測定した。なお、かっこ内は測定時の電位である。図3に測定結果を示す。横軸は入射軟X線と試料からの発光軟X線のエネルギー差で、電子ボルト(eV)単位で示した。電解液に浸たす前のマンガン酸リチウム薄膜の初期状態では、+3価(Mn3+)と+4価(Mn4+)の2種類のマンガンが共存していた。充電前の発光スペクトルは、初期状態と同じ形状で、1回目の充放電ではマンガンの電子状態は可逆的に変化し、元の状態に戻っていた。充電時のスペクトルは充電前に比べて大きく変化しており、充電前に共存していたMn3+とMn4+のうち、Mn3+はすべてMn4+に酸化されたと考えられる。特に、8 eV付近のマンガンと酸素の結合性に由来するピークの強度が、マンガン3d軌道そのものに由来するピーク(1 eV から6 eV)に比べて相対的に増大しており、充電時、すなわちMn4+では、マンガン-酸素間の結合性が強くなっていた。マンガンがMn3+とMn4+の状態を行き来する際にマンガン-酸素間の結合性の強さが大きく変わることから、充放電を繰り返すうちにマンガン-酸素間の化学的な結合性が低下するものと推察され、これが電極性能の劣化につながっていると考えられる。
これまでに、結晶構造解析などによって、構造的な観点から、リチウム脱挿入に伴うマンガン原子-酸素原子の結合距離の伸縮は明らかにされているが、今回、軟X線発光分光法によって、電子状態の観点から原子間の化学結合の強さの変化を評価することができるようになった。
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図3 マンガン軟X線発光分光法の結果 |
放電時のスペクトルは充電前と近い形状となり、2回目の充放電の際にもマンガンの酸化還元反応が可逆的に進行するとわかった。ただ、放電時と充電前のスペクトルの違いは、放電時の方がMn3+の割合が多いことが示唆されており、充電前(3.4 V)よりも、電位の低い放電時(3.0 V)の方が、マンガンが還元されている傾向が強いことに対応している。このようなわずかな変化は、硬X線吸収分光法などの測定法では検出することが難しく、軟X線発光分光法の優位が示された。充電時(4.5 V)でのマンガンがすべてMn4+になっていると仮定して、充電前、充電時、放電時のスペクトルから見積もったマンガンの平均価数は、充電前はMn3.6+、放電時はMn3.3+であった。
このように、今回の手法によってマンガン酸リチウム正極中のマンガンの酸化還元反応が明らかになり、これまで困難であった、マンガン-酸素間の結合性や、Mn3+とMn4+の比率の情報も得ることが可能となった。
電極特性の改善に向けた元素置換などの開発指針が得られるよう、他の正極材料についても今回の手法を適用し、充放電繰り返し特性と原子間の化学結合との相関を系統的に明らかにしていく。また、この手法によって得られる電子状態の情報から電極材料の大容量化、高電位化、低コスト化に向けた開発指針を導くことも検討する。