東京大学大学院新領域創成科学研究科の佐々木裕次教授を中心とする研究グループ(公益財団法人 高輝度光科学研究センターの関口博史博士、独立行政法人 産業技術総合研究所 創薬分子プロファイリング研究センター の久保泰副研究センター長、兵庫県立大学 大学院 生命理学研究科の宮澤淳夫教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科の岡田真人教授ら)は、筋肉運動や記憶・学習を制御する極めて注目度の高いタンパク質「ニコチン性アセチルコリン受容体」1分子の3次元分子内部運動を、100マイクロ秒の時分解能で、かつピコメートル(原子直径の1/100の長さ)の精度で、動画として観察することに世界で初めて成功した。
2つの同種なタンパク質の1分子計測結果から、5つのサブユニットからなる5量体の分子内部運動は、そのサブユニット構成がヘテロ構造とホモ構造で明確な違いがあり、各サブユニットの構成を変えることで多様な運動を実現できることが分かった。
本研究グループが今回用いた計測法「X線1分子追跡法(Diffracted X-ray Tracking: DXT)」を用いることで、それほど特殊な分子操作なく、すべての分子内部動態の主要部位において、1分子動画計測の結果を提供できる。また、副作用のないアロステリック創薬の実現には、分子内部動態情報の取得が必須であることから、アロステリック創薬への貢献が大いに期待される。
この成果の詳細は、ネイチャー・パブリッシング・グループ(Nature Publishing Group)電子ジャーナル「Scientific Reports」のオンライン速報版で公開される。
ニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR)は、神経伝達物質・アセチルコリン(ACh)を受容することで分子構造の中心部分が開口し、それによって惹起されるイオンの流入によって細胞の興奮性を調節すると言われてきた。電気生理的測定によってnAChRはチャネルの閉、開、および脱感作状態を取ることは知られていたが、ゲーティング過程の各状態に移行する分子機構は全く分かっていなかった。本研究グループは、静的な構造情報に加え、各状態における1分子の内部動態情報が分子機構・解明に重要であると考え、DXTによる解析を試みた。
DXTは、数十nm(ナノメートル)程度の超微小金ナノ結晶を観察タンパク質分子に化学的に付加し、分子の内部運動に連動した標識ナノ結晶の動きをX線・ラウエ斑点の動きとしてマイクロ秒時分割追跡する1分子動画計測手法である。なお、この手法は、現在、世界最高精度で最高速度を誇る1分子動画計測手法である。今回、シビレエイの電気器官から取得したnAChRについて、ACh結合部位のαサブユニットを標的に金ナノ結晶で標識し、その動きを100マイクロ秒/frameの時間分解能で追跡した。その結果、AChの結合に伴ってねじれ運動と傾き運動の2つの回転軸の運動が活性化されること、またAChの受容体への結合を阻害する毒素が存在する条件下では、これらの運動が不活性化することが分かった。DXTにより得られた知見は、これまでのクライオ電子線結晶構造解析 (N.Unwin et.al., JMB 2012)による結果と矛盾しなかった。
本研究グループは、nAChRとその細胞外領域のアミノ酸構造が類似している(ホモログ)アセチルコリン結合タンパク質(AChBP)等の受容体タンパク質の構造解析結果を利用して、3次元運動計測するべき測定部位を決定した。また、nAChRのチューブ状結晶による先行解析で議論されているαサブユニットの回転運動が、DXT情報により再現できた。また、DXTからの情報では、時間軸(100マイクロ秒の高速1分子追跡 )情報が加わっているため、これまでの報告よりも定量的な動的解析ができ、理論計算との議論もより一層進めることが可能となった。加えて、先行研究では、決定できなかった脱感作状態 は、αサブユニットの異常な運動由来であることも突き止めた。これらの成果は、DXTデータ自動解析ソフトが完成し、多量データ解析が行え、それらの3次元多量データにベイズ推論を有効利用できたから成し得た。
また、この統計的な情報処理の向上は、DXTの最大の欠点であった「金ナノ結晶を標識しなければ、分子内部動態を計測できない」点を完全に克服できる可能性も示した。それは、金ナノ結晶のサイズによる分子内部運動との相関が極めて単純で (ナノ結晶が大きくなると計測される運動が鈍るという直線的関係)、その関係式を求めることで、金ナノ結晶を標識していない状態での真の分子内部運動の数値を推定することができる。例えば、AChが結合した場合は、無標識状態において、αサブユニットは1ミリ秒間に0.6度回転し、結合していない時は0.3度回転していた。この小さな分子内部運動で、ナトリウムイオンを始めとする陽イオンを細胞膜内に通すか通さないかを決定させていることが分かった。
さらに、副作用のない薬が創出可能となるアロステリック創薬の実現には、分子内部動態情報の取得が必須であることから、大きな期待が持たれており、特に、nAChRを構成する複数種類のサブユニットすべてが創薬の標的となっているので、今回の成果は非常に重要であると考えている。従って、DXTを用いてnAChRの内部運動計測に今回成功したことは、分子内部動態情報をDXTで簡単に測定できることを実践的に示した例となり、副作用のないアロステリック創薬に、極めて重要な基盤技術を提供するものと期待される。また、DXT自動解析ソフトの開発は今後も重要なDXT開発技術の1つであるといえる。