発表・掲載日:2014/01/09

精子無力症の原因となる糖転移酵素様遺伝子を発見

-精子形成に関わる重要な遺伝子-

ポイント

  • 糖鎖修飾に働く酵素遺伝子に似た、ヒトの精巣のみに発現する遺伝子を発見
  • マウスやヒトでのこの遺伝子の変異が精子運動能の欠損による雄性不妊の原因となる
  • 男性不妊症の適切な治療を可能にする男性不妊症原因遺伝子の同定手法の開発

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)糖鎖医工学研究センター 成松 久 研究センター長、マーカー探索技術開発チーム 髙﨑 延佳 招聘研究員は、学校法人 東京歯科大学市川総合病院、独立行政法人 理化学研究所、国立大学法人 千葉大学と共に、ヒトの精巣で特異的に発現するヒトGALNTL5遺伝子が正常な精子を形成するために必要不可欠な遺伝子の一つであることを発見した。この遺伝子は、pp-GalNAc-T糖転移酵素遺伝子と酷似していることから、糖転移酵素様遺伝子と呼ばれる全く新しいタイプの遺伝子である。

 今回、Galntl5遺伝子を改変したマウスの解析から、この遺伝子が正常な精子を形成するために必要不可欠であることがわかった。実際に、ヒトの男性不妊症の原因の一つである精子無力症を発症している患者に、ヒトGALNTL5遺伝子上に変異が存在することを突き止めた。本成果は、男性不妊症の原因を的確に判別する手法の開発に貢献するものであり、近い将来に不妊治療法を適切に選択する上で必要不可欠な技術となることが期待される。

 この発見の詳細は、「Proceedings of the National Academy of Sciences」(米国科学アカデミー紀要)のオンライン版で公開された。

ヒトとマウスに共通して存在し、精巣だけで発現する糖転移酵素様遺伝子の図
ヒトとマウスに共通して存在し、精巣だけで発現する糖転移酵素様遺伝子

開発の社会的背景

 日本国内で不妊に悩むカップルの割合は6組に1組の割合に上昇しており、男性側が原因となる男性不妊症のおよそ80 %が、精子の運動能障害 (精子無力症) によることが明らかになってきた。しかし、医療現場では精子無力症の原因を解明すること無く、体外受精などの生殖補助医療が行なわれている。その一方で、ヒトを含めた哺乳類の精子形成の分子メカニズムはいまだに不明な点が多く、今回新たに発見したヒトGALNTL5遺伝子を含めた精子形成のメカニズムの解明が、男性不妊症発症の原因究明と適切な不妊治療法の選択に繋がるものと期待されている。

研究の経緯

 産総研 糖鎖医工学研究センターでは、これまでにヒトゲノムから新たな糖転移酵素遺伝子を多数発見しており、生体内での個々の糖転移酵素遺伝子の機能やさまざまな疾患との関連性を明らかにしてきた。その中の一つとして、ヒトGALNTL5遺伝子が発見されたが、糖転移酵素としての活性がないことから、その機能は10年にも渡って不明だった。そこで、ヒトGALNTL5遺伝子と同一の遺伝子を持つマウスに注目し、Galntl5遺伝子を改変したマウスを用いてGALNTL5タンパク質の生体内での機能解明を目指した研究を行った。

 なお、本研究開発は、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構の委託事業「糖鎖機能活用技術開発プロジェクト(平成18~23年度)」による支援を受けて行った。

研究の内容

 今回、新たに発見されたヒトGALNTL5遺伝子は、pp-GalNAc-T糖転移酵素の遺伝子と酷似し、ヒトの精巣だけで発現する糖転移酵素様遺伝子である。その機能を明らかにするために、Galntl5遺伝子欠損マウスを作成したところ、ヘテロ接合体としてGalntl5遺伝子の一方を欠損させたオスのマウス (Ht) が、ヒトの精子無力症と似た症状によって雄性不妊になることが分かった。さらにヘテロ遺伝子欠損マウス (Ht) の精子タンパク質を調べたところ、精子が運動するためのエネルギーを生み出す解糖系酵素タンパク質(HXK) や卵子との受精に寄与する先体(Acrosome) タンパク質(tACE、NSF) が正常な精子 (Wt) に比べて著しく減少していることが明らかになった(図1)。

遺伝子改変マウスの精子で観察されるさまざまなタンパク質の異常の図
図1 遺伝子改変マウスの精子で観察されるさまざまなタンパク質の異常

 ヘテロ遺伝子欠損マウスで精子運動能障害やさまざまな精子タンパク質の異常が観察されたので、さらに、男性不妊症を発症しているヒト精子を用い、ヒトGALNTL5遺伝子変異によって発症した精子無力症の症例を調査した。その結果、図2Aのように、No.9 の患者精子(図2A赤枠)では、図1と同様のヒトGALNTL5遺伝子の変異が原因となる複数のタンパク質が減少していた。この患者の精子と血液細胞中の、GALNTL5遺伝子では一塩基の欠失がヘテロに存在した(図2B、C)。この遺伝子変異は母親から遺伝したものであると推測される。

精子無力症におけるヒトGALNTL5遺伝子変異発症例の図
図2 精子無力症におけるヒトGALNTL5遺伝子変異発症例

今後の予定

 ヒトGALNTL5遺伝子変異を、簡便かつ迅速に同定する技術を開発したため、適切な治療法の確立を産総研では現在進めている。また、精子無力症の発症には他にもいくつかの遺伝子が関与していると考えられ、今後、産総研では他の原因遺伝子も可能な限り同定し、それらを簡便かつ迅速に同定する技術開発を目指す。本手法の開発は、精子無力症の原因遺伝子変異を明らかにすることにより、適切な生殖医療法を選択する上で必須な診断技術になると考えられる。


用語の説明

pp-GalNAc-T糖転移酵素説明図
◆pp-GalNAc-T糖転移酵素
糖鎖修飾とは、タンパク質や脂質に糖類を付加する化学反応であり、遺伝子から生産されたタンパク質に糖鎖修飾が加わることで、生体内においてタンパク質の機能をより多彩なものにする作用がある。糖鎖修飾において糖を付加する化学反応に働く酵素のことを糖転移酵素という。下図は、糖鎖修飾の一つO-結合型糖鎖修飾タンパク質の合成過程を模式化したものである。O-結合型糖鎖修飾タンパク質の合成は、タンパク質ペプチド配列中のセリン (Ser) またはスレオニン (Thr) 残基に単糖であるN-アセチルガラクトサミン (GalNAc)を付加する反応から始まり、その化学反応に働く酵素のことをポリペプチドN-アセチルガラクトサミン糖転移酵素(略して、pp-GalNAc-T糖転移酵素)という。[参照元へ戻る]
◆糖転移酵素様遺伝子
糖転移酵素が持つ特徴的なタンパク質構造を維持しているが、糖転移酵素の活性を試験管内で再現できない遺伝子の総称。生化学的な機能が確認できないため、生体内での機能が不明なことが一般的に多い。[参照元へ戻る]
◆男性不妊症
不妊症のうち、原因が男性側にある場合に男性不妊症と診断される。これまで不妊症は女性側の問題という意識が高かったが、近年の研究によって不妊症の半分ほどの原因が男性側にもあることが明らかになってきた。男性不妊症の診断法として、精液検査があり、精子形成の異常を検出する簡便な手法として一般的に用いられる。[参照元へ戻る]
◆精子無力症
精液検査において、射出精液内で運動している精子の割合が40 %以下の場合に精子無力症と診断される。精子は鞭毛を動かし卵子を目指すため、運動率の低い精子の含有率が高い精液は、自然交配での受精率を極端に低下させる。近年の研究で、男性不妊症と診断されたおよそ8割が精子無力症によるものであることが明らかになってきた。[参照元へ戻る]
◆ヘテロ
遺伝子は、基本的に母親、父親から一つずつ受け継がれ、二つで一つの対をなす対立遺伝子で構成される。一対をなす対立遺伝子が両方とも完全に一致している場合はホモ、片一方のみに遺伝子欠損、変異などの相違が存在する場合にはヘテロといわれ、ヘテロ欠損、ヘテロ変異などと表現される。[参照元へ戻る]
◆解糖系酵素タンパク質
精子は、鞭毛と呼ばれる尾を激しく振動させることで運動するが、この鞭毛運動するために、エネルギーを作り出す必要がある。精子を含め一般的に細胞は、細胞内に取り込まれた糖を分解することによって、運動をするためのエネルギーを作り出しており、糖を分解する過程に働く多数の酵素タンパク質のことを解糖系酵素タンパク質という。最近の研究で、精子は他の細胞とは異なる精子特有な解糖系酵素タンパク質を使って、運動するためのエネルギーを作り出していることがマウスの研究で明らかになってきている。[参照元へ戻る]
◆先体タンパク質
先体 (Acrosome) とは、精子の核を帽子のように取り囲む精子特有の袋状の細胞構造体である。精子が卵と受精する際、先体を構成する複数のタンパク質(先体タンパク質)が卵への結合や卵への精子核の侵入に際して卵の膜を分解するなどの働きを担う。[参照元へ戻る]

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