大阪大学 基礎工学研究科の三輪真嗣 助教、石橋翔太(当時:博士前期課程2年)、鈴木義茂 教授、冨田博之 博士研究員、田村英一 特任教授、安東健(当時:博士前期課程2年)、水落憲和 准教授らは産業技術総合研究所 ナノスピントロニクス研究センターの野崎隆行 主任研究員、猿谷武史 (現:キヤノンアネルバ)、久保田均 研究チーム長、薬師寺啓 主任研究員、谷口知大 研究員、今村裕志 研究チーム長、福島章雄 副研究センター長、湯浅新治 研究センター長らとともに、半導体ダイオードの性能を上回る、ナノメートルサイズの磁石を用いたスピントルクダイオードの開発に成功しました。
スピントルクダイオードはその高感度・小型・高速チューニング・低抵抗・周波数選択性などの特性のため、通信機器・ICタグや車載レーダーなどに代表される高周波エレクトロニクス素子への応用が期待できます。このように、既にハード磁気ディスクや磁気ランダムアクセスメモリー(MRAM)に応用されているスピントロニクス素子の、高周波エレクトロニクス分野への応用を加速させるものと期待されます。
携帯電話などで広く用いられるマイクロ波の検出方法として、現在は半導体ダイオードが使われています。しかし、半導体ダイオードは性能指数である感度が既に理論限界に迫っているため、これ以上の性能改善は難しいとされています。スピントルクダイオードは半導体とは全く異なる原理により動作するダイオードであり、2005年に本研究グループが提案したものです。しかし提案当時の性能指数は半導体を下回っていました。今回、本研究グループは非線形効果という新たな仕組みによりスピントルクダイオードの性能を大幅に向上させ、室温で半導体ダイオードの約3倍の感度を実証しました。さらにこの新型ダイオードでは、素子の小型化によりもうひとつの性能指数である信号雑音比をさらに向上できることを見いだしました。
本研究は日本学術振興会の科学研究費助成事業 基盤研究(S)(No. 23226001)の助成により行われました。本成果は、2013年10月20日18:00(英国時間)発行の英国科学雑誌「
Nature Materials」のオンライン速報版で公開されます。
磁性素子の主な特徴は、磁石のN極・S極という磁極の利用にあります。この研究分野は電子の持つ電荷のみならずスピン(電子のもつ磁石の性質)をも利用するためスピントロニクスと呼ばれ、新しいエレクトロニクスとして近年盛んに研究が行われてきました。例えばパソコンのハード磁気ディスクの読み取りヘッドでは、磁石の磁極の向きにより抵抗値が変化するトンネル磁気抵抗効果が利用されています。
磁気抵抗効果を利用した読み取りヘッドはハード磁気ディスクの大幅な高密度化を可能とし、巨大データベースの高速検索・家庭用の大容量ビデオレコーダーの実現の鍵となりました。他の例としては、磁石の磁極が有する不揮発性を利用したMRAMが既に実現し、既存の半導体RAMを置き換えるためにその高密度化の研究開発が進んでいます。このため、磁性素子にはポストC-MOS素子としての期待がもたれるようになりました。しかし、一方でこのような大きな期待とは裏腹に既存のダイオードやトランジスタといった半導体素子を性能指数で上回る磁性素子はまだ実現していませんでした。
2005年、本研究グループは磁気抵抗効果と磁極の首振り運動を利用したスピントルクダイオード効果を発見しました。この新しいダイオードは従来の半導体ダイオードと原理が異なり、携帯電話などで広く用いられるマイクロ波の検出機能(ダイオード効果)において半導体ダイオードを上回る可能性があります。しかし発見当時の性能指数は半導体ダイオード(感度3800 ボルト/ワット)を下回るものでした(図1)。
まず半導体ダイオードとスピントルクダイオードの仕組みを図2に示します。半導体ダイオードでは、流す電流の向きにより空間電荷層と呼ばれる電流が流れにくい層の厚さが変化します。従って負方向よりも正方向では電流が流れにくくなります。このため交流電流を流すと正味の直流電圧が生じます(ダイオード効果)。このダイオード効果によりマイクロ波の検出が可能となります。半導体ダイオードの性能は動作温度により一意的に定まるため、性能向上は難しいとされています。
次にスピントルクダイオードの仕組みを説明します。磁気トンネル接合と呼ばれる薄い磁石を2枚張り合わせた素子に正電流を流すと、スピン注入効果により磁極の向きが反平行になります。このため、磁気抵抗効果により素子抵抗が増加します。従って半導体同様、正方向では電流が流れにくくなります。逆に負方向ではスピン注入効果により磁極の向きが平行になるため、抵抗は減少し電流が流れやすくなります。このように磁気トンネル接合は半導体同様、ダイオード効果を有します。これはスピントルクダイオード効果と呼ばれ、2005年に本研究グループが発見しました。
次に新型スピントルクダイオードの構造と特性を図3に示します。本研究では図3-1に示すようなナノメートルサイズの厚さを持つ2枚の磁石(鉄ボロン合金、コバルト鉄ボロン合金)と酸化マグネシウム層からなる磁気トンネル接合素子を用いました。スピントルクダイオードの出力向上のためには、磁極の首振り運動の振れ幅を大きくする必要があります。そのための素子として(a)素子形状を円形に設計し、(b)鉄ボロン層の上に酸化マグネシウム層を配置しました。
図3-2は4.8マイクロアンペアの交流電流を流した時のスピントルクダイオードの検出電圧です。横軸は入力交流電流の周波数を示します。このように半導体ダイオードを上回る検出電圧を得ました。
図3-3は検出電圧の直流電流に対する変化を示しています。このように直流電流を加えることにより、検出電圧を大幅に増大させられることを発見しました。そして増大が磁極の首振運動の回転軸の傾き(一種の非線形効果)により説明できることを見出しました。
一般的に、磁気トンネル接合素子を小型化するとスピン注入効果が増すため、信号強度が増加します。しかし素子の小型化は磁極の安定性を低下させるため、雑音も増加します。本研究グループは非線形効果のメカニズムを明らかにし、素子小型化に対する影響を詳細に解析しました。その結果、素子の小型化により雑音以上に信号を増加できることを見いだしました。従って半導体を信号雑音比において大幅に上回るスピントルクダイオードの実現が可能であることがわかりました。
スピントルクダイオードはその高感度・小型・高速チューニング・低抵抗・周波数選択性などの特性のため、マイクロ波検出器として通信機器、ICタグや車載レーダーなどへの応用が期待できます。従って、既にハード磁気ディスクやMRAMに応用されているスピントロニクス素子の高周波エレクトロニクス分野への応用を加速するものと期待されます。