独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノスピントロニクス研究センターの湯浅 新治 研究センター長、野崎 隆行 主任研究員は、磁石の磁化の向きを電圧で高効率に制御する技術を開発した。
鉄にホウ素を添加した磁石材料を超薄膜化し、酸化マグネシウムの絶縁層2層で挟み込んだ積層構造において、電圧を加えることで生じる磁気異方性の変化量を、従来よりも約3倍高効率化することに成功した。不揮発性固体磁気メモリーなどに代表されるスピントロニクスデバイスの低消費電力駆動化を促進する技術として期待される。
この研究成果は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST 研究代表者:湯浅 新治)の一環として行われ、2013年6月24日に日本の科学誌「Applied Physics Express」のオンライン速報版で公開される。
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今回の研究で用いた素子構造の模式図
超薄膜金属磁石層を絶縁層1と絶縁層2が挟む構造。
電圧を加えることで効率よく磁化の向き(赤矢印)を制御できる。 |
省エネルギーで環境に優しい情報技術である「グリーンIT」の実現のため、低待機・駆動電力のエレクトロニクスデバイス技術の開発が求められている。電子が持つ磁気的な性質であるスピンを利用することで、新しい機能の発現を目指す「スピントロニクス」は、それを実現する有力な技術として期待されている。スピンの向きがそろうことで生じる磁石の磁化は、電力を供給しなくても向きが変わらない“不揮発性”と呼ばれる特長を持つため、待機電力がほとんど要らない磁気メモリーなどへの利用が進められている。
スピントロニクスでは情報操作を磁石の磁化の方向と運動の制御により行う。現在は電流によって制御されているが、非常に大きな電流を必要とするため、ジュール熱によるエネルギーが消費(抵抗損失)されて、低消費電力駆動化の大きな壁となっている。この問題を根本的に解決するために、電流ではなく、電圧によって磁化状態を制御する技術が望まれている。電圧による磁化制御技術としては1)室温で安定に動作する、2)高い繰り返し情報書き込み耐性を持つ、3)情報を出力する構造を持つ、4)ナノ秒台での高速動作が可能である、などが実用化する上で重要であるがこのような技術はないのが現状である。
産総研はこれまでに国立大学法人 大阪大学と協力して、電圧を加えることで磁気異方性を制御する技術を用いた2方向磁化反転制御や、高速な磁化運動の制御(2012年5月1日 産総研プレス発表)などの基盤技術開発に取り組んできた。しかし、これまでは電圧によって誘起される磁気異方性の変化量が小さい点が実用化する上で課題となっていた。
これまでに電圧による磁気異方性制御の実証に用いられてきた強磁性トンネル接合素子は、下部電極層/超薄膜金属磁石層/絶縁層/参照磁石層/上部電極層から構成されており、上下電極間に電圧を加えると、超薄膜金属磁石層の磁気異方性が変化する(図1(a))。一方、産総研では2012年に、鉄とホウ素の合金からなる金属磁石層(FeB層)を酸化マグネシウム絶縁層2層で挟んだ構造では、FeB層の磁化が膜面に垂直な方向に強く向くこと(垂直磁気異方性)を発見した。この二重絶縁層構造を用いた強磁性トンネル接合素子は、ギガビットスケールの大容量固体磁気メモリー素子に適用できるだけの磁気的な熱安定性を持つ構造として注目され、電流駆動型スピントロニクスデバイスとして開発が進められている。今回、この二重絶縁層構造を電圧制御技術用に改良し、磁気異方性変化の効率増大に取り組んだ。
なお、本研究開発は、JSTの戦略的創造研究推進事業(CREST)「革新的プロセスによる金属/機能性酸化物複合デバイスの開発(平成21~27年度)」(研究総括:渡辺 久恒、研究代表者:湯浅 新治)による支援を受けて行ったものである。
今回作製した素子の模式図を図1(b)に示す。二重絶縁層構造を電圧駆動化するために、従来は2ナノメートル以上の膜厚であった金属磁石層を1.5ナノメートルまで超薄膜化し、酸化マグネシウムの絶縁層で挟んだ構造とした。
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図1 (a)従来の構造と、(b)今回用いた強磁性トンネル接合素子の構造模式図
矢印は各磁石層の磁化の向きを表している。 |
電圧を加えた状況下でトンネル磁気抵抗効果を測定して、この素子の垂直磁気異方性変化の定量評価を行った(図2)。まず、垂直磁化膜となっているFeB層の磁化に対して、垂直磁気異方性に打ち勝つだけの面内磁界を外部より加えて、磁化を面内方向にそろえる(図2(a))。この状態で素子に電圧を加える。FeB層の垂直磁気異方性の増大が誘起されると、磁化の方向は膜面に垂直な方向に立ち上がろうとし、外部磁界と垂直磁気異方性が釣り合う方向を向く(図2(b))。素子の抵抗値はトンネル磁気抵抗効果により上下の磁石層の磁化の相対角度に依存するので、抵抗測定を行うことで、FeB層の垂直磁気異方性の変化を評価することができる。
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図2 電圧印加による垂直磁気異方性の変化の評価法の模式図 |
同様の測定を印加電圧の大きさと外部磁界の大きさを変えて行った。図3にFeB層の垂直磁気異方性の電圧依存性を示す。比較のために従来構造(図1(a))の場合の、電圧印加による垂直磁気異方性変化の傾きを点線で示した。正の電圧を加えると垂直磁気異方性の変化は従来構造よりも大きく増大し、約3倍の傾きで変化した。この傾きは電圧による制御性の効率を直接示すものなので、二重絶縁層構造により従来よりも3倍の高効率な電圧制御が可能であることを示している。
また、従来構造では負の電圧を加えると垂直磁気異方性が低下したが、今回の二重絶縁層構造の素子では負の電圧を加えても垂直磁気異方性が増大した。この現象の機構は現在のところ不明であるが、電圧による異方性制御の自由度を広げる可能性がある。
今回の成果は、ギガビットスケールの大容量固体磁気メモリー素子に適用できる磁気的熱安定性を持つ強磁性トンネル接合素子でも、電圧によって磁化を制御できることを示しており、電圧駆動型低消費電力スピントロニクス素子の実用化を大きく加速するものである。
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図3 電圧印加による垂直磁気異方性変化の実験結果
上部電極側が正電圧となる条件を正電圧印加と定義した。赤点が今回の素子の結果であり、青点線は従来構造の素子の一例。ただし、0 Vでの垂直磁気異方性の大きさが一致するように縦軸を移動している。 |
今後は金属磁石材料や素子構造の最適化を進め、磁気異方性変化効率の増大を目指すとともに、電圧駆動型3端子増幅素子などの新しい機能を持つスピントロニクスデバイスの開発を目指す。