NEDO産業技術研究助成事業の一環として、国立精神・神経医療研究センター【理事長 樋口輝彦】精神保健研究所・知的障害研究部・診断研究室 太田英伸 室長は、産業技術総合研究所【理事長 中鉢良治】(以下「産総研」という)サステナブルマテリアル研究部門・環境応答機能薄膜研究グループ 田嶌一樹 主任研究員と共同で、早産児の睡眠・身体発達を促進する光環境を人工保育器内に実現させる「調光型光フィルター」を開発した。
早産のため低体重で生まれた赤ちゃんは、24時間同じ明るさで育てるよりも、1日のうち一定の時間が暗い、昼夜のある環境で育てることで、より体重が増加することが報告されている。早産児では妊娠28週目ぐらいから光の明暗を感じるようになるが、早産児がいる新生児集中治療室(NICU)は、治療などのために夜間も完全に暗くならない病院も存在する。
これまでに本研究グループは、妊娠40週目ぐらいまでの赤ちゃんは波長が600ナノメートル(ナノは10億分の1)以下の光を主に知覚することを発見した。また、600ナノメートル以下の光だけを遮断する特殊な樹脂製光フィルターを開発した。この光フィルターを夜間、人工保育器に取り付けると、医療従事者は外から保育器中の様子を視認できるが、赤ちゃんは暗闇にいると感じ、睡眠発達・体重増加が促進されることを確認していた。
本研究では、新たに電源のオン・オフのみで同様の発達効果を早産児にもたらすことを可能とする新型光フィルター「調光型光フィルター」を開発した。調光型光フィルターには、産総研が研究開発を行っている調光ミラーデバイスを応用した。調光ミラーデバイスはエレクトロクロミズムの原理により、数ボルトの電圧をかけることで透明性や色合いなど光学特性を切り替えることができる。今回開発した調光型光フィルターは、新たに調光ミラー層としてマグネシウム・イリジウム合金薄膜を用いることで、赤系統の透明性を発現し、600ナノメートル以下の光を遮ることができる。従来、保育器に使用されていた布製カバーに比べ、フィルターの頻繁な脱着が不要なため、抗菌性に優れ、早産児の緊急事態にもスイッチのオン・オフだけで適切に対応できる利点をもつ。
この成果は光環境を最適化する新型の人工保育器の開発を通して、早産児の発達促進に寄与することが期待される。
本研究成果は2013年4月26日(米国時間)に米国科学雑誌「Applied Physics Letters」で公開予定である。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題の共同研究によって得られた。
NEDO産業技術研究助成事業
研究領域:ライフサイエンス分野(太田)、環境エネルギー分野(田嶌)
研究課題名:「液晶型光フィルターを用いた早産児の発達障害を予防する次世代人工保育器の開発」(太田)
「高効率成膜プロセスを用いた機能性酸化物薄膜の開発および調光ミラーデバイスへの応用と優れた耐環境性能を有する構造開発」(田嶌)
研究代表者:太田英伸(国立精神・神経医療研究センター・精神保健研究所・知的障害研究部 室長)
田嶌一樹(産総研・サステナブルマテリアル研究部門・環境応答機能薄膜研究グループ 主任研究員)
研究期間:平成21年7月~平成25年6月
NEDOはこの領域で、産業技術力強化の観点から、大学・研究機関などの若手研究者又は研究チームが取り組む産業応用を意図した研究開発を助成することにより、産業界及び社会のニーズに応える産業技術シーズの発掘・育成や産業技術研究人材の育成を図ること、また、優れた研究を行う国際共同研究チームに対して研究費を助成することにより、産業技術の国際的なレベルの向上や新規産業創出のための基盤形成を図ることを目的としている。上記研究課題では、国立精神・神経医療研究センターで解明された早産児の眼球受容体の発達特性と産総研で開発された調光型ミラーデバイスの技術を組み合わせ、早産児の発達に最適な光環境を提供できる新しいタイプの人工保育器を作成することを可能とした。
早産のため低体重で生まれた赤ちゃんは、24時間同じ明るさで育てるよりも、1日のうち一定の時間が暗い、昼夜のある環境で育てることで、より体重が増加することが報告されている。早産児では妊娠28週目ぐらいから光の明暗を感じるようになるが、早産児がいる新生児集中治療室(NICU)は、治療などのために夜間も完全に暗くならない病院も存在する。
光が成長発達に与える影響のメカニズムを解明するため、本研究グループが早産児の視覚特性を調べたところ、早産児の眼球においては従来から知られていた光受容体であるロドプシン・コーンオプシンは未成熟で十分に機能せず、近年発見された光受容体「メラノプシン」が主に光情報を処理することを確認し、「メラノプシン」が感じる光を制御する「調光型光フィルター」を開発した(図1)。
本研究は、この「調光型光フィルター」を利用して保育器の透明フード部分を作製することにより、光生体工学を利用して早産児の発達を促す新しいタイプの人工保育器が作製できると提案した(図2)。
本研究グループは、産総研・サステナブルマテリアル研究部門・環境応答機能薄膜研究グループがこれまで研究開発を行っている「調光ミラーデバイス」を基礎に、透明性を有する赤色、あるいは黒色に変わり、場合により鏡のような状態になる調光型光フィルターを開発した。このフィルターは室温においてスパッタ法を用いて作製できるため、基材としてガラスだけでなくプラスチック素材も用いることができ、人工保育器内の光環境の制御だけでなくさまざまな用途に応用できる。
調光型光フィルターの色合いは、フィルターを構成する多層構造(調光ミラー層(金属)/触媒層(金属)/固体電解質層(酸化物あるいは有機物) /イオン貯蔵層(酸化物))に含まれる金属の種類・割合により決定される。本研究では、早産児の視覚特性に合わせた調光型光フィルターを作成するため、さまざまな金属を使用して開発を進め、レアメタルに分類されるイリジウムを極少量添加することで早産児眼球の光受容体が感じる光を制御する光フィルターを作製した。
調光型光フィルターは、イオン貯蔵層中に水素イオンを蓄えており、印加する電圧の極性(プラス、マイナス)に応じて水素イオンが移動することで状態が変化する。調光ミラー層に向かって水素イオンが移動するように電圧をかけると、調光ミラー層と移動してきた水素イオンが反応して、金属水素化物に変化し、赤系統の透明フィルターを実現できる(図1)。透明性や色相・濃淡は材料組成、印加電圧の大小や時間によって制御することができる。この変化は可逆変化であるため極性を反転させて電圧を掛けると、調光ミラー層中の金属水素化物から水素イオンが脱離し、調光ミラー層は元の金属に戻る。このようにして、当該フィルターは電圧印加により光の透過量を自由にコントロールすることが可能であり、特に早産児の発育に有効な明暗環境を構築することができる。
この調光型光フィルターで人工保育器の透明フード部分を作製することにより、今後、早産児にとって最適な光環境を電源のオン・オフだけで提供できる新しいタイプの人工保育器を開発することができる。この新型保育器により早産児の発達を全般的にサポートし、これまでの新生児医療の水準を更に底上げできることが期待される。
図1 調光型光フィルターの外観変化
(a) 赤色状態(透明)、(b)黒色状態(不透明)、(c) 鏡状態
色の濃淡を電圧(印加経過時間)により制御できる。
図2 調光型光フィルターを利用した保育器の概要
調光型光フィルターで夜間保育器に侵入する成分の波長を制御することにより早産児の視覚が知覚する光成分が遮断され、赤ちゃんは
人工的な夜を体験する。