東北大学金属材料研究所の高梨弘毅教授および関剛斎助教のグループは、慶應義塾大学理工学部の能崎幸雄准教授および産業技術総合研究所ナノスピントロニクス研究センターの今村裕志研究チーム長との共同研究により、2つの異なる性質をもつ磁石をナノメートルの厚さ(ナノは10億分の1)で積層化することで、磁石の中に磁気モーメントの波(スピン波)を生成し、そのスピン波を利用して従来の10分の1という小さな磁場で磁化をスイッチングさせることに成功しました。
ハードディスクドライブ(HDD)や磁気ランダムアクセスメモリーに代表される磁気記憶デバイスは、磁石の向きで“1”と“0”の情報を記憶しています。情報の書き込みには磁石の方向をスイッチングさせる必要があり、通常、外部から磁場を加える手法が用いられています。しかし、磁気記憶デバイスの高記録密度化が進むにつれ、スイッチングのための磁場(スイッチング磁場)が急激に増大しており、動作電力低減の観点から深刻な問題となっていました。
研究グループは、鉄白金(FePt)合金とパーマロイ(NiFe)合金というスイッチング磁場の異なる2つの磁石をナノメートルの領域で積層化させた薄膜を作製しました。FePt合金はスイッチング磁場の大きな磁石(ハード磁性材料)であり、パーマロイ合金はスイッチング磁場の小さな磁石(ソフト磁性材料)です。これら磁石の中における磁気モーメント(小さな磁石に相当)の運動を調べたところ、磁気モーメントの回転(歳差)運動が波のように伝搬するスピン波が存在していることが明らかとなりました。さらに、パーマロイ合金内のスピン波を外部から強制的に生成した場合、スピン波がFePt合金まで伝搬し、FePt合金のスイッチング磁場が10分の1に低減することを発見しました。
今回の成果は、HDDの超高記録密度化と低消費電力化を同時に実現するための飛躍的な技術革新です。さらに、最近注目を集めているスピントロニクス素子の低消費電力化への応用も可能であり、幅広い応用展開が期待されます。
本研究の一部は、科学研究費助成金・若手研究(B)(課題番号:23760659)および文部科学省「次世代 IT 基盤構築のための研究開発」からの助成を受けて行われました。本研究成果は、4月16日(日本時間)付けで英国科学雑誌「Nature Communications」にてオンライン公開されます。
高度情報化社会に不可欠な電子情報機器において、その根幹を成す記憶素子の低消費電力化を進めることは、豊かな持続性社会を実現するための最重要課題の一つです。また、低消費電力化と同時に、電子機器の小型化・大容量化・高速化が望まれており、磁石(磁性体)を用いた高性能な磁気記憶デバイスの開発が重要視されています。磁性体を用いる最大の利点は、情報の不揮発性にあります。HDDや磁気ランダムアクセスメモリー(Magnetic Random Access Memory; MRAM)、あるいはスピンランダムアクセスメモリー(Spin-RAM)といったスピントロニクス素子は、磁石の向き(磁化の方向)により情報を記録するため、電力をOFFにしても情報が消えません。そのため、情報保持に電力を必要とする半導体ベースの記憶デバイスと比較して、待機中の消費電力を大幅にカットできる利点があります。その反面、磁気記憶デバイスは、記録ビットへ情報を書き込むために必要なエネルギーが大きいという深刻な課題があります。
例えば現行のHDDでは、記録ビットを構成する磁石に磁場を印加し、磁化の方向をスイッチさせることにより情報を書き込みます。図1に示すように、HDDの記録ビットを高密度化するためには、情報を記録する磁石一つ一つをナノメートルの領域まで小さくする必要があります。しかし、ナノメートルサイズの磁石では、熱エネルギーにより磁化が揺らいでしまい記録した情報の保持が困難になるという問題が発生します。この磁化の熱揺らぎ問題を回避するためには、熱エネルギーに打ち勝って磁化を一方向に保つためのエネルギー(磁気異方性エネルギー)を大きくすることが不可欠です。大きな磁気異方性エネルギーをもつ磁石は、記録情報の安定性という観点では好ましいのですが、一方で、磁化をスイッチさせるための磁場(スイッチング磁場)を増大させてしまい、結果として情報書き込み時の消費電力が増大してしまいます。
したがって、磁気記憶デバイスの大容量化・高密度化と低消費電力化を同時に実現するためには、「大きな磁気異方性エネルギー(スイッチング磁場)をもつ磁石」を「情報書き込み時にだけ小さなエネルギー(外部磁場)により磁化スイッチングさせる」という課題を解決しなくてはなりません。
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図1 HDDの記録ビットの模式図。磁石一つ一つが記録ビットとなっており、磁石の方向(磁束の漏れ方)で情報の「1」、「0」を記録している。構成する磁石を(a)から(b)のように小さくすることで、記録密度を高めることができる。 |
研究グループは、鉄白金(FePt)規則合金とパーマロイ合金(Ni-Fe合金、図中はPyと記す)というスイッチング磁場の異なる2つの磁石(磁性材料)をナノメートルの厚さで積層化させた薄膜を作製し、その積層膜中に励起される磁気モーメントの運動を利用して、スイッチング磁場を低減することを考案しました。FePt規則合金は、希土類永久磁石材料に匹敵する大きな磁気異方性エネルギーをもつ合金であり、大きなスイッチング磁場を示すハード磁性材料です。現在、次世代の超高密度磁気記録媒体の候補材料として盛んに研究が行われています。一方で、パーマロイは小さなスイッチング磁場を示すソフト磁性材料の代表格です。
これら2種類の磁性材料を積層化させた薄膜に外部磁場を加えると、パーマロイ層から徐々にスイッチングが始まりますが、FePt層はスイッチング磁場が大きいためスイッチングが起きず、薄膜内に磁気モーメントが空間的にねじれた構造が出現します(図2)。この状態において薄膜に高周波の磁場を印加して磁気モーメントの運動を調べたところ、図3に示す磁気共鳴の現象が観測されました。図中のピークは、その周波数において磁気モーメントの運動が高周波磁場と共鳴して、大きく運動していることを意味しています。実験結果は計算機シミュレーションでも良く再現されており、詳細な運動を調べたところ、磁気モーメントの回転(歳差)運動が空間的にずれて(位相がずれて)伝搬するスピン波が励起されていることが明らかになりました。図4は、スピン波の運動の一例を模式的に示しています。スピン波は、主にパーマロイ層内に生成されます。薄膜に高周波磁場を印加することで外部からこのスピン波をパーマロイ層内に強制励起すると、パーマロイ層とFePt層の界面を介して、FePt層の磁気モーメントの運動に影響を与えることができます。
図2 FePtとパーマロイ(Py)を積層化させた薄膜試料における磁気モーメントの模式図。(a)磁場を加えて全ての磁気モーメントが一方向に揃った状態、および(b)逆方向に磁場を加えることで磁気モーメントが空間的にねじれた状態。 |
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図3 実験および数値計算より得られた磁気共鳴のスペクトル。赤、青、緑色の▼で示したスペクトル中のピークは、その周波数の高周波磁場を印加すると、磁気モーメントの運動が高周波磁場と共鳴して、運動が大きくなることを意味している。3つのピークは、それぞれスピン波の形状が異なっている。
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図4 磁気モーメントの集団的な運動の一例を示した模式図。矢印は磁気モーメントの向きを表している。(a)空間的に均一な磁気モーメントの歳差運動。(b)空間的に不均一な磁気モーメントの歳差運動でありスピン波と呼ばれる。スピン波では、磁気モーメントの歳差運動の位相がずれている。 |
図5は、周波数の異なる高周波磁場を印加した際のFePt層のスイッチング磁場を示した結果です。10 GHzの高周波磁場を印加することにより、スイッチング磁場が大きく低下していることがわかります。この周波数はパーマロイ層内に励起されるスピン波の周波数と一致しており、パーマロイ層内のスピン波を強制励起することによってFePt層のスイッチング磁場を大きく低減できました。さらに、様々な条件でFePt層のスイッチング磁場を評価したところ、スピン波の励起によりスイッチング磁場をおよそ10分の1まで低減することに成功しました。これは、情報の書き込みに必要な磁場を1桁低減できたことを意味します。
このスピン波を利用した磁化スイッチングと類似の手法に、マイクロ波アシスト磁化反転(Microwave-Assisted Magnetization Reversal; MAMR)があります。MAMRでは、本研究と同様に高周波磁場を印加しますが、ハード磁性材料中の磁気モーメントの「均一な歳差運動」を利用する点で異なります。磁気異方性エネルギーの高いハード磁性材料では、均一な歳差運動を励起するのに必要な周波数が高く(数10 GHz以上の周波数領域)、実用化における問題でした。一方、今回着目したスピン波は、ソフト磁性材料中に励起されるため、励起に必要な周波数はハード磁性材料の特性に依存せず、励起周波数を数GHz程度に抑えられる利点があります。さらに、スイッチング磁場の低減率をMAMRと比較したところ、スピン波を利用することで効率をおよそ2倍向上できることがわかりました。
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図5 FePt層のスイッチング磁場の高周波磁場周波数依存性。10 GHz近傍の高周波磁場を印加することにより、スイッチング磁場が低下している。この周波数は、スピン波の励起に必要な周波数に一致している。 |
材料や層厚を最適化することにより、実用デバイスに求められる薄膜構造においてスイッチング磁場を大幅に低減させることが今後の課題です。今回実証したスピン波を利用した磁化スイッチングは、HDD の書き込み技術として応用が可能な手法です。さらに、次々世代の磁気記録媒体の有力候補であるパターンドメディアに対しても本手法は有効であり、HDDの性能向上に大きく貢献できると考えられます。また、MRAMやSpin-RAMといったスピントロニクス素子の省電力書き込み技術としても利用でき、磁気記憶デバイス全般に対する幅広い応用展開が期待されます。