独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)電子光技術研究部門【研究部門長 原市 聡】メゾ構造制御グループ【研究グループ長 阿澄 玲子】は、スマートデバイスで無線操作できる超小型バイオセンシングシステムを開発した。
開発した超小型バイオセンシングシステムは、図1に示す光学計測器(スペクトロメーター)と操作端末(スマートデバイス)と図2に示すバイオセンサーチップで構成され、タンパク質やホルモンなどの生体物質の検出に応用できる。光学計測器はわずか600 gと軽量で手のひらサイズであることから、どこへでも簡単に持ち運びでき、100 Vの電源があれば使用できる。
今回、産総研の光学設計技術やデバイス化技術などの基盤技術を活かすことで、バイオセンサーの小型化とスマートデバイスによる無線操作を実現した。今後、臨床現場でのポイントオブケア検査(Point of Care Testing: POCT)や小規模医療施設におけるスクリーニングテスト、さらには、在宅での日常的な健康管理への応用が期待される。
この成果は2013年1月30日~2月1日に東京ビッグサイト(東京都江東区)で開催される「nano tech 2013 第12回 国際ナノテクノロジー総合展・技術会議」と同時開催される「プリンタブルエレクトロニクス2013展」にて展示される。
図1 手のひらサイズでわずか600 gの光学計測器(右)とそれを無線制御するスマートデバイス(左) |
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図2 高効率に局在プラズモンを発生するバイオセンサーチップ
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各種疾病や感染症の早期・迅速診断を実現するために、検体の純度や濃度を高めるための前処理や各種バイオマーカーの蛍光色素などによる標識が不要で、短時間で検出対象を高感度に検知する方法が求められている。また、ベッドサイド診療や在宅健康管理などの実現には、より患者への負担が少なく、使いやすいPOCTが必須である。このため、小型で簡便なPOCTシステムの開発が望まれている。
産総研は、平成21年よりフォトリソグラフィーなどの高価な微細加工方法を使わない光誘起微細構造形成技術の開発と形成された構造のバイオセンサーへの応用を目指して株式会社 カネカ(以下「カネカ」という)と共同研究を進めてきた。その中で、産総研がもつ光応答性高分子材料に水を介在させながら青色LED光を照射すると、特異なサブ波長構造が自発的に形成されること、その構造が局在プラズモンを効率的に発生させることを発見した。さらに、局在プラズモンを利用した計測では、光の入射角度を調べる必要がない計測方法を用いることができるため、光学計測系の小型化に極めて有利であることに着目し、POCT用バイオセンサーの共同開発を進めてきた。
本研究開発の一部は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業「科研費 基盤(B)23350118(平成23~25年度)」による支援を受けて行った。
プラズモン現象とは、特定の条件(共鳴条件)で光を金属に照射すると金属内の自由電子が励起される現象である。古くから知られているステンドグラスなどの美しい彩色にもプラズモン現象を巧みに利用したものがある。プラズモン現象が生じる共鳴条件は、金属の種類や金属表面の化学的・物理的状況に強く影響される。したがって、金属表面への物質の吸着や反応に対しても敏感な応答が期待できるため、高感度なセンシングを実現する手段としてバイオセンシング分野でも広く研究されてきた。特に、微細構造上に発生するプラズモン(局在プラズモン)はサブマイクロメートル以下のサイズの空間領域に自由電子の集団的な運動を集中させ、入射光のエネルギーを増幅でき、なおかつ、不要物質の存在や光の入射角依存性に対する許容度が高い。そのため、バイオセンシングでは実用的な優位性が期待できる。
産総研とカネカは局在プラズモンを効率的に発生させるための構造として、サブ波長スケールの表面微細構造、特に図3のような独自のサブ波長構造(フジツボ構造)に着目し、研究を進めた。この構造は、特殊な光応答性高分子材料の薄膜に、水を介在させながら青色光を数分間照射した後、水を除去するという、極めて単純な方法によって低コストで高効率の作製ができる(図4)。なお、このようなフジツボ構造の形成現象は産総研とカネカが初めて発見した。
バイオセンシング機能を示すチップは、フジツボ構造上に局在プラズモン発生のための金属として、約100 nmの厚さの金(Au)を真空中で蒸着して作製できる。金(Au)を用いることにより、各種のマーカーを特異的に捕捉・検出するための表面化学処理が容易であり、また大気中でも比較的安定に保存できる。
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図3 フジツボ構造の走査型電子顕微鏡写真と断面のイメージ |
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図4 フジツボ構造の形成プロセス |
この構造に光を入射させるとフジツボ構造の開口部付近にエネルギーが集中することが時間領域差分法(Finite-difference Time-domain Method: FDTD法)によるシミュレーションで示されている。図5は可視光が垂直に入射した時のシミュレーション結果で、特定の波長が最大70倍まで増幅されることを示す。
このような物理的(光学的)特徴を持つフジツボ構造を用いたチップの吸収スペクトルを図6に示す。吸収スペクトルは可視光領域にピークをもつが検出対象(特定ウィルス、タンパク質、ホルモンなど)の吸着によって吸収のピークが長波長側にシフトしていく。シフト量は検出対象の吸着量に依存して変化するため、吸収スペクトルのシフト量から、吸着量を定量できる。現在、研究試薬を用いた機能検証の段階ではあるが、検出対象を標識しないままでも高感度に検出できることが確認された。
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図5 フジツボ構造における局所電場増幅効果のFDTDシミュレーション結果
黄色、茶色、水色の部分はそれぞれ、金(Au)、光応答性高分子薄膜、ガラス基板を示す。シミュレーションにおいては、空気側表面(図中上方)から光が入射することが仮定されている。 |
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図6 チップへの物質吸着に伴う吸収スペクトルのシフトの例 |
今回、従来はテーブルトップサイズのスペクトロメーターとパソコンで計測を行っていたシステムを大幅に革新し、手のひらサイズの光計測器およびそれを駆動するソフトウェアと小型無線通信機の開発を通じて、スマートデバイスによる無線操作を実現した。スマートデバイスによる光学スペクトルの計測も他に例がなく、これによってユーザビリティーが向上したと考えられる。この技術は、フォトリソグラフィーなど高価な微細加工技術を利用しない点で低コストでの製造が期待できる。
今後は光源やマイコン搭載基板の小型化と省電力化を進めることによってバッテリー駆動を可能とし、さらなるポータビリティの向上を図るためシステムの改良を進める。なお、今回開発したチップは、さまざまなバイオマーカーの特異的な捕捉物質、例えば抗体などをチップ表面に修飾することで多様な検査・診断に適用できる汎用プラットフォームである。現在、共同研究先のカネカにおいてチップの量産化を検討しており、今後、製品化を進めていく予定である。さらに、バイオ・製薬メーカー、装置・システムメーカーなどのさまざまな企業の協力を受けながら、普及拡大を図っていきたい。