独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)情報技術研究部門【研究部門長 伊藤 智】ジオインフォマティクス研究グループ 中村 良介 研究グループ長と石原 吉明 研究員は、月探査衛星「かぐや」が月表面を網羅する約7000万地点で取得した200億点以上の可視赤外線反射率スペクトルのデータをデータマイニング手法を用いて解析し、地球から見た月の表側と裏側の地形の違いの原因と考えられている月への超巨大衝突の痕跡を発見した。
月には光の反射率が低くクレーターの少ない「海」と呼ばれる領域と、光の反射率が高くクレーターの多い「高地」と呼ばれる領域がある。「海」は地球に面した表側に多く、裏側にはほとんどない。また裏側は表側より標高が高く地殻が厚い。この月の表裏の「二分性」は、月の形成初期の超巨大衝突によって表側の「高地」を構成する地殻物質の多くが取り除かれたためではないかと考えられている。今回、可視赤外線反射率スペクトルデータに対して、クラス分類というデータマイニング手法を適用し、衝突溶融物に多く含まれる低カルシウム輝石の分布状況を調べた。その結果、月の表側にあるプロセラルム盆地に対応する直径3000 kmもの円状の分布を発見した。これは、超巨大衝突によって生成した衝突溶融物によるものと考えられ、月の形成初期の超巨大衝突を、初めて観測データによって裏付けることができた。
月はその形成以来ずっと地球の近傍にあったため、月の誕生過程の解明は地球の初期形成史を知ることにもつながる。また、今回の解析手法を地球を周回する人工衛星データに適用することで、鉱物資源探査や環境モニタリングなどへの応用が期待できる。
なお、この成果の詳細は、2012年10月29日(日本時間)に科学誌「
Nature Geoscience」にオンライン掲載される。
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左:月の表(左)と裏(右)。「月の二分性」は視覚的な違いからもわかる。
右:低カルシウム輝石に富む衝突溶解物(赤丸)の分布図。視覚では判別が難しい超巨大衝突跡地が同定できる。 |
地球の起源と進化を調べることは資源探査の点からも重要であるが、地球には40億年以上前の地質学的情報はほとんど残されていない。一方、地球の隣にずっと存在し続けてきた月では、40億年以上前に形成された岩石が比較的よく保存されているため、月の歴史を詳細に調べると、地球形成初期の情報を得ることができる。
月や地球のような天体の表層部を調べる手法として、探査機や人工衛星からのリモートセンシングによるデータは不可欠である。最近では、可視光だけではなく赤外線を含む数百以上の波長帯での観測ができるようになってきたため、そのデータ量は莫大になっている。このような巨大なデータを活用し、有用な情報を引き出すための解析手法の必要性が高まっている。
産総研の情報技術研究部門では、個人では保有しきれないほど膨大なデータを、クラウド上で解析するためのツール開発を進めている。一方、地質情報研究部門では、地球観測衛星が取得した可視赤外線反射率スペクトルデータを資源探査に活用するための研究を長年にわたって行ってきた。この両者を融合させ、月探査衛星「かぐや」の取得したデータに応用することで、月表面に存在する物質の特定を試みた。
月の起源について、最も可能性が高いと考えられているのは、地球に巨大な天体が衝突し、そのとき生じた破片が集積して月になったとする巨大衝突説である。この説では、できたばかりの月の表面は融けた溶岩の海で覆われている。月の「高地」は、この溶岩の海が冷えて固まる際に浮上・集積してできた岩石で構成されている。一方、「海」は「高地」の形成後に内部から噴出した溶岩が窪地に溜まって形成されたと考えられている。図1に示すように、暗い領域の「海」は月の表側に広く存在するが、裏側にはほとんど見られない。また過去の月探査から、表と裏では「海」と「高地」の比率だけでなく、地殻の厚さや放射性元素の分布もまったく異なることが明らかになっている。この表側と裏側の非対称性は月の「二分性」と呼ばれているが、その成因は明らかになっていない。過去に「表側で発生した巨大な天体衝突が高地の物質を吹き飛ばして、直径3000 kmもの巨大な衝突盆地(図1左のプロセラルム盆地)が形成され、その結果として二分性が生じた」という仮説が提案されていたものの、実際に衝突が起こったことを示す物質科学的な証拠は見つかっていなかった。
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図1 日本の月探査衛星「かぐや」が観測した月の表側(左)と裏側(右)
裏側の南方に見えている若干暗い領域は、南極エイトケン盆地と呼ばれ、太陽系全体でも最大級の衝突盆地である。表にある「雨の海」はおよそ38億年前の衝突によって形成された衝突盆地である。また、プロセラルム盆地についても衝突盆地だとする仮説がある。 |
図2に示すように、月表面の主な鉱物は、それぞれ特徴的な可視赤外線反射スペクトルを持つ。2007年に日本が打ち上げた月探査衛星「かぐや」には、この反射スペクトルを測定し、詳細な月表面組成を調べることができる観測装置スペクトルプロファイラが搭載されている。スペクトルプロファイラは2007年12月から2009年6月までの間に、月面上の約7000万地点で200億点以上の反射スペクトルデータを測定した。
産総研では、この膨大なデータを決定木を用いてクラス分類することで、特定の鉱物のスペクトルだけを抽出する方法を確立した。今回、低カルシウム輝石を約20%以上含む物質に着目し、月表面上での分布を詳細に調べた(図3)。低カルシウム輝石はさまざまな岩石に含まれる鉱物であるが、今回発見された濃集地点は大規模な衝突によって地殻だけでなくマントルの一部まで溶融して衝突溶融物が生成され、再固化する際に産出されたと考えられる。また、低カルシウム輝石はアポロ計画で取得された「雨の海」からの放出衝突溶融物にも多く含まれ、そのスペクトルは「かぐや」が測定した低カルシウム輝石に富む地点のスペクトルと一致している。
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図2 実験室で測定された主な鉱物の反射スペクトル |
図3に示すように、低カルシウム輝石に富む物質は、雨の海の周縁部、南極エイトケン盆地の内部、月の表側全体を覆うプロセラルム盆地周縁の3つの領域に集中していた。「雨の海」と「南極エイトケン盆地」は地形的な特徴などから、直径がそれぞれ約1000 km、2500 kmの衝突盆地であることが知られている。こうした大規模な衝突により、マントルの一部まで溶融し、衝突溶融物が再固化する際に低カルシウム輝石を産出したと考えられる。一方、「雨の海」と「南極エイトケン盆地」以外の表側全体の分布点は、プロセラルム盆地(図1左)を形成した超巨大衝突によるものと考えられる。直径3000 kmにも及ぶプロセラルム盆地を形成するためには、数百kmサイズの天体が衝突する必要がある。そのような衝突があったとすると、そこに存在していた「高地」はほぼ完全にはぎとられたはずである。また衝突によって地殻がはぎとられ深部の圧力が減少すると、溶岩がより噴出しやすく(海が形成されやすく)なる。つまり、月の二分性はプロセラルム盆地をつくった超巨大衝突によって生じたと考えられる。
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図3 低カルシウム輝石を多く含む物質の全月面上での分布 |
今回、低カルシウム輝石の偏在を発見したことで、月の二分性が超巨大衝突によるという仮説の物質科学的な裏付けが得られた。また、適用したデータマイニング手法が200億点ものリモートセンシングデータに対する解析法として有用であることが確かめられた。
月の形成条件をさらに調べるため、可視赤外線スペクトルだけではなく、地形や元素組成といった多種多様なデータを統合解析して、大規模な衝突が実際にどのように起こったのかを解明していく。産総研では、地球観測データ統合のためにGEO Gridの開発を進めているが、GEO Gridの手法を月探査データに応用して、惑星科学研究者が利用できる統合解析プラットフォームを構築し公開していく予定である。
また、今回開発したデータマイニングによる解析手法を、経済産業省が開発している地球観測衛星搭載ハイパースペクトルセンサー HISUI (Hyperspectral Imager SUIte) のデータに応用する。今回のデータマイニング手法をさらに発展させて、「かぐや」のスペクトルプロファイラの数万倍にも達するHISUIのデータ解析へ適用すれば、鉱物資源探査や環境モニタリングの精度や効率が格段に向上すると期待される。