大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK) 物質構造科学研究所の研究グループ(構造物性研究センター・小林賢介(こばやし けんすけ)研究員、熊井玲児(くまい れいじ)教授、村上洋一(むらかみ よういち)センター長)は、独立行政法人産業技術総合研究所(産総研) フレキシブルエレクトロニクス研究センター フレキシブル有機半導体チーム・堀内佐智雄(ほりうち さちお)研究チーム長、国立大学法人東京大学(東大) 大学院工学系研究科物理工学専攻 量子相エレクトロニクス研究センター・賀川史敬(かがわ ふみたか)特任講師、国立大学法人東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 量子エレクトロニクス研究センター・独立行政法人理化学研究所(理研) 基幹研究所強相関量子科学研究グループ グループディレクター・十倉好紀(とくら よしのり)教授と共同で、有機強誘電体※1の電気分極の大きさと方向が分子間の動的な電子移動によって決定される新たな分極発現機構を、電気分極測定と放射光X線回折※2実験を通じて明らかにした。この「電子型強誘電性※3」と呼ばれる現象は、結晶中のイオンの変位に伴い静電荷が偏り自発分極※1が生じるという古典的な描像(イオン変位モデル)に比べ、20倍以上もの大きな電場応答を実現したことから、今後の強誘電体の高性能化にも同原理を活かした展開が期待される。
この成果の詳細は、米国科学誌Physical Review Lettersにて受理され、近くオンライン版で公開される。
K. Kobayashi, S. Horiuchi, R. Kumai, F. Kagawa, Y. Murakami, and Y. Tokura
「Electronic Ferroelectricity in a Molecular Crystal with Large Polarization Directing Antiparallel to Ionic Displacement(イオン変位と逆向きに大きな自発分極が生じる分子結晶の電子型強誘電性)」
強誘電性※1は、不揮発性メモリー、キャパシタ、センサー、アクチュエータ、波長変換、光変調機能などのさまざまなデバイス機能発現の礎であり、現在の私たちの生活には欠かせないものとなっている。レアメタルなどの希少金属や有害な鉛を含まず、かつ軽量で柔軟な、印刷プロセスに適合した「有機」材料でその性能を向上させることは、情報化社会を支えるデバイスの開発にとって喫緊の課題である。本研究で対象とした電荷移動錯体※4テトラチアフルバレン(TTF)-p-クロラニル(CA)は、温度変化で分子の価数が劇的に変わる性質を持ち、伝導性や光学特性、誘電性など、多彩で特異な物性変化を現すことから、発見から30年余り経つ今日でもなお実験・理論両面で注目され続けている有機物質である(図1)。この物質は、室温では結晶中でTTF分子とCA分子が等間隔で交互に積層した構造をとっているが、相転移温度(81 K)以下まで冷却すると、平均で0.3価の中性分子が突然0.6価のイオン性状態へと変化するとともに、TTF分子とCA分子が積層内で互いにペア(二量体)を作るように分子配置が変位する。この中性-イオン性相転移※5に伴い、比誘電率※6が数百まで増大するほか、低温では結晶全体として電気的な極性が生まれる分子配置となるため、強誘電性の存在が示唆されてきた。強誘電性の存在を確かめるためには分極-電場特性(P-E特性)※7の測定が必要であるが、過大な電圧を加えると絶縁破壊を起こしやすい上、転移温度直下では電気伝導度(誘電損失)が強誘電体としては比較的大きいことから測定は困難とされてきた。
一方、理論研究では、2009年に近代的電子論(ベリー位相論)に基づいた第一原理電子状態計算※8により、TTF-CAが有機物としては極めて大きな自発分極の値(3~10 µC/cm2)をとることが予測された。また、自発分極の向きは、場合によっては静電荷の偏りによる古典的な描像(イオン変位モデル)とは正反対となりうることも示唆された。このような特異なTTF-CAの強誘電性の起源について、新たな学術的関心が集まっていた。
まず、TTF-CAの強誘電性の解明のために、電気的特性の測定と分子変位に基づく分極方向の決定を行った。産総研と東大、理研の研究グループは、良質なTTF-CA結晶を育成し、上記の絶縁性の問題を回避できる温度・周波数などの測定条件を精緻に設定することで、今回初めて十分なP-E特性を得るとともに、この物質が強誘電性を有することを評価・実証した。結果として今回得られた自発分極は6~7 µC/cm2で、その値は強誘電体ポリマー※9のポリフッ化ビニリデン類(~8 µC/cm2)と同程度であり、理論予測どおり大きな値を持つことが明らかになった。TTF-CAは、本来ほとんど極性を持たない分子から構成され、静電荷もわずか0.6価と小さく、イオンの変位量も小さいことから、イオン変位モデルから予測される分極の値は小さかったが、実測結果は予測値より20倍以上大きな値であった。
次に、KEKの研究グループは、イオン変位方向を確認するためにKEKの放射光科学研究施設のビームラインBL-8Aを用いて、放射光X線回折実験による絶対構造※10の決定を行った(図2)。実験は外部電場を加えることで結晶内における分極の向きを一方向に揃え、バイフットペア※11反射の強度比から外部電場の向きに対する分子変位の方向を決定した。実験から得られた結晶構造は、0.6価の陽イオンであるTTF+が正電極方向に、陰イオンであるCA-が負電極方向に引きつけられるという、一見すると電場の方向に逆らうような分子配置の変位が見られた(図3)。以上の事実を整理すると、静電荷の変位方向とは逆向きかつ巨大な自発分極が生じるというこれまでの強誘電体に見られなかった現象が明らかとなった。
その理由としては、この物質の強誘電性の発現が中性とイオン性の間の相転移に基づいており、ペアをなす分子の間でイオン性を強める動的な電子移動(図3)が生じたためと考えられる。電子的機構が巨大な電気分極の大きさと方向を決定するという、いわば「電子型強誘電性」が自発分極の評価とともに初めて実証できた。
小さな電荷や僅かな変位をきっかけに巨大な電気的応答=電気分極を、従来の誘電体描像に比べて著しく大きく引き出せる電子型強誘電性の発見は、強誘電体の本質に関わる新たな学術的視点を与えるだけでなく、今後の強誘電体材料の高性能化の新たな設計原理として活かされる可能性をも示している。
本研究の一部は、独立行政法人日本学術振興会の最先端研究開発支援プログラム(FIRST)、および独立行政法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)研究領域の「元素戦略を基軸とする物質・材料の革新的機能の創出」(研究総括:玉尾皓平(たまお こうへい))の研究課題「有機材料を用いた次世代強誘電物質科学の創成」(研究代表者:堀内佐智雄)の一環として実施された。