独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 鎌形 洋一】津田 栄 主任研究員、合成生物工学研究グループ 近藤 英昌 主任研究員らは、国立大学法人 北海道大学【総長 佐伯 浩】、独立行政法人 理化学研究所【理事長 野依 良治】およびカナダ クイーンズ大学と協力して、キノコ(イシカリガマノホタケ)が生産する不凍タンパク質の立体構造をX線結晶構造解析法によって決定し、氷の結晶へ吸着するメカニズムを解明した。
イシカリガマノホタケは寒冷地に生息しているキノコの一種である。今回の研究開発によって、このキノコが生産する不凍タンパク質が氷の成長を強く抑制でき、強力な不凍作用を示すことが明らかとなった。イシカリガマノホタケは大量培養が可能なので、このキノコを原料とすることで、強い不凍作用をもつ、新たな不凍タンパク質の低コスト生産や、食品や細胞を安定的に冷凍保存する技術の進展が期待できる。
なお、この研究成果は2012年5月29日(日本時間)に米国の学術誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」(米国科学アカデミー紀要)にオンライン掲載される。
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不凍タンパク質が氷結晶の成長を抑制する様子の模式図 |
通常の氷は無数の氷の粒子が成長しながら集合し、塊(氷塊)となったものである。氷の粒子が大きく成長すると水以外の物質を粒子から排除したり破壊したりするため、冷凍による劣化(食品の冷凍焼けや水分の流出)を引き起こす。そのため、食品や細胞などの品質を維持したまま冷凍するためには氷の粒子を小さい状態で保持することが重要であるが、これまでは液体窒素や消費電力量の大きい冷凍装置が必要であった。不凍タンパク質は氷の表面に強く吸着して、氷の粒子の成長を抑制するタンパク質である。不凍タンパク質を添加すると、氷の粒子は通常よりも小さくなり、冷凍による食品や細胞などの含水物へのダメージを低減できる。また、凍結によるダメージを受けやすく、従来は冷凍保存が困難であった加工食品、野菜、果実などの全く新しい省エネルギー型の冷凍保存技術ができると期待されている。国内では魚類または野菜から抽出した不凍タンパク質の応用技術開発が進んでいる。また、米国では遺伝子組換え技術を用いて生産した魚類不凍タンパク質を使った技術開発(アイスクリーム)が進んでいる。しかし、これまで安価で高性能の不凍タンパク質を生産する技術がないという問題があった。
産総研は、種々の細胞や食品を高品位で保存する技術の開発や、極地の菌類がもつ凍結耐性の機構解明の研究を行ってきた。従来、不凍タンパク質は極地に生息する生物だけが生産すると信じられていたが、2002年に産総研(当時 生物機能工学研究部門 蛋白質構造研究グループ)が国内で漁獲され安価に入手できる魚類から不凍タンパク質を発見し、大量生産技術、不凍機能の解明などの研究開発を行ってきた。一方、キノコが寒冷な環境下で生育する際に生産する有用物質の探索や低温耐性のメカニズムの解明も行ってきた。
既知の不凍タンパク質よりも優れた不凍タンパク質を探索するため、これまでに研究が進んでいなかったキノコが生産する不凍タンパク質に着目し、その分子構造と不凍機能のメカニズムの解明を進めてきた。
なお、本研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費補助金(基盤研究Bおよび基盤研究C)による支援を受けて行ったものである。
イシカリガマノホタケ (学名Typhula ishikariensis)は、約80年前に北海道の石狩平野で発見されたキノコで、積雪下の牧草類や小麦などの植物上で生育する代表的な好冷性生物である。このキノコが生産するイシカリガマノホタケ不凍タンパク質(Tis 不凍タンパク質)は、魚類や野菜などの既知の不凍タンパク質とは分子量やアミノ酸配列などの性質が異なる不凍タンパク質であり、魚類不凍タンパク質の約5倍強い不凍機能をもつ。また、イシカリガマノホタケは液体培養によって大量に培養できるため、不凍タンパク質の新たな原料として期待されている。しかし、Tis 不凍タンパク質が氷結晶の成長を抑制するメカニズムは明らかではなかった。
今回、イシカリガマノホタケの培養液から精製したTis不凍タンパク質を用いて単結晶を作成し、兵庫県にある大型放射光施設SPring-8の理研構造生物学ビームラインII(BL44B2)で、この単結晶のX線回折を測定してTis不凍タンパク質の立体構造を決定した。
Tis不凍タンパク質の立体構造は、これまでに知られていた他の不凍タンパク質の立体構造とは全く異なっており、「らせん階段」のような独特の分子骨格をもっていることが明らかとなった(図1a)。このらせん階段は全部で6段あり、下の段に行くほど膨らんでいるため、Tis不凍タンパク質は全体として洋梨のような形状である。また、このタンパク質表面の一部には、氷と強く結合できるように平面性の高い領域が形成されていることがわかった。さらに、この領域にある複数のミゾの中にいくつもの水分子が不規則に並んで埋もれていた(図1b)。この領域が氷の表面に接すると、ミゾの中の水分子はそのまま氷の一部となり、不凍タンパク質と氷を強く結びつける「錨(いかり)」のような役割を果たすと考えられる(図1c)。
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図1(a)Tis不凍タンパク質の立体構造、(b)Tis不凍タンパク質の分子表面。黄色の部分が氷の結晶に吸着する領域、(c)Tis不凍タンパク質の氷結晶への吸着の模式図 |
微細な氷の結晶の単位構造は、模式的に正六角柱として示される(図2a)。氷に吸着したTis不凍タンパク質を蛍光標識によって可視化することによって、Tis不凍タンパク質が氷結晶の複数の結晶面(正六角柱の側面と上下の面)に吸着する性質をもっていることが分かった(図2b)。魚類の不凍タンパク質は、上下の面には吸着できないことが知られている。Tis不凍タンパク質が強力な不凍機能を発揮するのは、氷結晶の複数の氷結晶面に吸着しその成長を強く抑制するため、と考えられる(図2c)。
以上のことから、Tis不凍タンパク質は魚類や野菜などの不凍タンパク質と並び、新たな高性能の不凍タンパク質として応用が可能と考えられる。
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図2(a)氷結晶の単位構造、(b)Tis不凍タンパク質が結合する氷結晶面、
(c)Tis不凍タンパク質が吸着する氷結晶面の模式図 |
Tis不凍タンパク質は、魚類や野菜の不凍タンパク質を遥かに凌ぐ性質を独自のメカニズムによって発揮する。また、不凍機能が強力なので、少量を添加するだけでも十分な効果を発揮できると考えられる。最少使用量がおよそ5分の1になると予想される。栽培や培養の技術を用いたキノコの不凍タンパク質の大量生産技術が確立すれば、その特徴を生かした新たな不凍タンパク質の応用技術が進むものと期待される。
Tis不凍タンパク質の氷に吸着する機構を人工的に変化させることによる高性能化を検討する。また、培地や培養条件を最適化することによって、大量の不凍タンパク質を低コストで生産できる技術の開発を行いたい。さらに、イシカリガマノホタケ以外の寒冷地で採取されるキノコを対象として、不凍タンパク質の性能や機能を詳細に解析する。これらの研究を通じて、キノコの不凍タンパク質を用いた冷凍保存技術の開発に取り組む予定である。