独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 八瀬 清志】ダイナミックプロセスシミュレーション研究グループ 宮本 良之 研究グループ長は、独立行政法人 海洋研究開発機構の「地球シミュレータ」を用いた数値計算で、極短パルスレーザーを用いた電子励起によって半導体型カーボンナノチューブに内包された2個のアセチレン分子にガス状態では実現できない協調的な回転運動を引き起こせること、分子が反応しやすい姿勢を保ったまま励起状態を保持できることを示した。
この研究成果により、フェムト秒レーザーとカーボンナノチューブを組み合わせた新しい合成技術への貢献が期待される。
なお、この技術の詳細は、2012年5月22日(日本時間)に米国の学術誌「Proceedings of the National Academy of Sciences USA」(米国科学アカデミー紀要)電子版に掲載される。
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概要図 (上)半導体カーボンナノチューブに内包されたアセチレン2分子
(下)レーザー照射後のカーボンナノチューブ内での分子の協調的な回転運動
(回転運動中のカーボンナノチューブの構造は表示を省略) |
カーボンナノチューブ(CNT)の中空構造に金属や有機分子が内包できることが実験的にわかってきた。あたかもナノチューブを試験管のように使って、内包された分子の光化学反応による新規材料の合成も期待できる。
極短パルスレーザーで分子を電子励起し非熱的に構造変化を起こせることは知られており、さらにガス状の分子に光を当てるよりもCNTに内包して光を当てる方が、光の照射効率が高いと期待される。しかし、CNTの存在による光電場の変調や、CNT内部の狭い空間のなかでどのようなダイナミクスが起こるかを実験的に検証することは困難である。そこで、電子と原子核のダイナミクスを同時に扱うことのできる第一原理計算の手法を用いて、極短パルスレーザー照射の効果を、ナノチューブに内包されたアセチレン分子の場合で調べることとした。アセチレン分子のナノチューブ内への内包は、分子貯蔵のほかにアセチレンポリマー重合の可能性の観点からも興味がもたれている問題であった。
産総研は、産業に貢献するCNTの革新的な技術開発と、そのために必要な基盤となる知識の構築を目指しており、CNTの性質を数値計算で予測できる第一原理計算技術による研究に取り組んでいる。
本研究は独立行政法人 海洋研究開発機構の保有する地球シミュレータを利用した平成23年度の一般公募プロジェクト「カーボンナノチューブの特性に関する大規模シミュレーション(代表:財団法人・高度情報科学技術研究機構 手島 正吾氏)」にて行ったものである。また、この研究は中華人民共和国 四川大学のHong Zhang教授とスペイン パイスバスコ大学Angel Rubio教授との共同研究で、地球シミュレータを用いた数値計算を産総研が担当した。
今回の研究では、図1の様な波形を持った極短パルスレーザーをCNTの軸に垂直な偏光方向で照射することでCNTに内包された分子を電子励起した後のダイナミクスを、数値計算でシミュレーションした。
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図1 アセチレン分子を含むCNTに印加するレーザー電場のパルス波形と分極方向 |
今回の計算に用いた(14,0)CNTは半導体的な電子構造をもつため、光の電場を遮蔽せずに内部の中空部にまで透過させることができる。(一方金属的ナノチューブは、ナノチューブの電子の運動が速く光の電場を遮断してしまう。)その直径は、アセチレン分子が2量体で内包できるほどの大きさで、これらの分子に図1の波形(波長は800 nm、半値幅は2 fs)を持つレーザーパルス印加を行うことで、どのようなダイナミクスが得られるかを調べた。このレーザー波形は電場の向きがある方向になっている時間が長いという特殊な状況にあり、通常のサイン波のように光電場の向きが双方向をなしていないのが特徴である。
比較のためにガス状アセチレン分子のダイナミクスを図1に示したパルス波形にて検証し、パルス印加後ただちに分子の端にある水素原子が分子から脱離することを発見した。さらに、(14,0)CNT内部の状況同様に、アセチレン分子2個がダイマーとなった構造を仮想的に想定しパルス印加後のダイナミクスを調べた。この場合、分子1個の場合と異なり、炭素原子と水素原子によるC-H結合が振り子のように振動しながら脱離することを発見した。さらにアセチレンダイマーが(14,0)CNT内部にいる場合に同じパルスを印加すると、先に述べたC-H結合の振り子運動が反対方向に誘起され、脱離は抑制されるという興味深い現象を数値計算は示した。これは、パルスレーザーがなす電場がCNTの壁における応答によって変調されたことを示しており、空間的にも非一様になっていることを間接的に示唆している。図2ではアセチレン2量体を、CNT軸に垂直な断面にて表示したもので、孤立分子、孤立2量体、CNTに内包された2量体、それぞれのダイナミクスの結果を図示したものである。
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図2 (上から)孤立した1個のアセチレン分子、2個のアセチレン分子と、CNTに内包された2個のアセチレン分子のレーザーパルス印加後の運動の様子 |
さらに長時間のシミュレーションを行うことで、2個のアセチレン分子の回転運動を追跡することを行った。図3は、異なる最大電場強度を持つレーザーパルス印加の結果を比較して示したものである。どちらの場合も、アセチレン分子を構成する炭素原子同士の結合軸(C-C結合軸)の極角(図2中に灰色の半円で表示)が、2個の分子は協調的に回転運動していることがわかる。そのあいだ、C-H振り子運動とC-H伸縮運動はこれら2個の分子の間に相関はないが、3重結合をもつC-C結合の向きが常にそろったままのダイナミクスが長時間続いていることと、その間にパルスレーザー印加で誘起された電子の励起状態が維持していることより、これらの分子の間の反応性は高いことが期待される。励起状態が維持されていることによりC-H反結合性がシミュレーション時間の間見られ、最大電場強度が12 V/Åの場合には2個のアセチレン分子のうちの一つから水素原子が飛び出すことがシミュレーションされた。この場合には、やがてCNTにも欠陥が導入されることもわかっている。
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図3 半導体(14,0)CNT内部のアセチレン2量体のパルスレーザー印加後のダイナミクス。
小さな丸が水素原子 (CNTの構造は省略) |
今後も、CNTに内包された分子の化学反応効率を最高にするための条件を数値計算で探索し、低次元新規材料の設計・合成の研究を加速する。また、CNT以外のポーラス物質においても同様の効果がないかを調べる予定である。パルスレーザーによる試験管たるCNTへのダメージの入り方において、CNT螺旋度依存性の有無も検証する。