JST 課題達成型基礎研究の一環として、大阪大学の水落 憲和 准教授と産業技術総合研究所の山崎 聡 主幹研究員らのグループは、人工ダイヤモンドを用いて室温で電気的に単一光子を発生させることに世界で初めて成功しました。
近年、量子暗号通信注1)は理論上、どのような技術でも盗聴できない究極の通信技術として期待されており、世界的にも多くの企業が研究開発を行っています。この実現には、情報を載せる光子の1個1個を必要なときに簡易かつ確実に発生させる単一光子源注2)が求められています。ところが、これまでの量子ドットや有機分子を用いた単一光子源は、室温では不安定でほとんど光らなくなるため、極低温での冷却が不可欠でした。また、室温で単一光子を発生できても、光励起のためのレーザーが必要なものしか実現されておりません。つまり、エネルギーやコストの制約が単一光子源の実用化・普及の課題となっていました。
今回、ダイヤモンドを材料とし、そこに埋め込まれている炭素原子の抜け穴と窒素原子の複合体(NV中心・図1)が室温でも安定に発光することに着目、単一光子源として用いて、電流で動作させることに挑戦しました。具体的には、高度な製造技術によって高品質ダイヤモンドの薄い発光層をn層とp層で挟み、発光層に電気が流せるLED素子を作製しました。さらに、光子相関法注3)などの精密な測定法により、単一光子源として世界で初めて室温で電気的に動作していることを実証しました(図2)。
世界トップレベルの技術の融合により、単一光子源で課題となっていた、極低温やレーザーを使用する際の問題を克服し、量子暗号通信の省エネルギー・低コスト化への道が開かれました。今後、素子の集積化によって、システムの高速化や効率化が進み、実証実験を経た近い将来には、国家機密の通信や個人情報に関わる秘匿通信などへの利用が期待されます。さらにNV中心には優れたスピン注4)の機能があります。これは本成果が量子暗号通信にとどまらず、将来的には室温で電気的にスピンや光を操作して演算や記録を行う量子コンピューター注5)や量子計測などで必要な素子の実現にも貢献する可能性を示すものです。
本研究成果は、2012年4月15日(英国時間)発行の英国科学雑誌「Nature Photonics」のオンライン版で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域:「革新的次世代デバイスを目指す材料とプロセス」
(研究総括:佐藤 勝昭 東京農工大学 名誉教授)
研究課題名:「ワイドギャップ半導体中の単一常磁性発光中心による量子情報素子」
研究者:水落 憲和(大阪大学 基礎工学研究科 准教授)
研究実施場所:大阪大学 基礎工学研究科
研究期間:平成21年1月~平成24年3月
この研究領域は、CMOSに代表される既存のシリコンデバイスを超える革新的な次世代デバイスを創成することを目標として、環境やエネルギー消費に配慮しつつ高速・大容量かつ高度な情報処理・情報蓄積・情報伝達を可能とする新しい材料の開拓およびプロセスの開発を図る挑戦的な研究を対象とするものです。
近年、インターネットの普及に伴い、より安全性の高い通信に対する需要が高まっています。現在の公開鍵暗号方式注6)では、将来的には技術の進歩に伴い解読されるリスクがあります。一方、量子暗号技術では、情報を光子一つ一つに載せて伝送するため、仮に盗聴が試みられても、その痕跡が絶対に残るという量子力学的原理によって、受信側で盗聴を確実に検知することができます。そのため、その原理を用いた量子暗号通信は、理論上盗聴できない究極の暗号通信として、その実現と普及が期待されています。また、将来的には現行通信を大幅に超えた低消費電力化も期待できるとの理論報告もあります。量子暗号通信については、基本的なシステムがすでに海外の数社のベンチャー企業から販売され、日本においても数多くの企業が関心を持ち、基盤技術開発や量子暗号鍵伝送実験を行っています。
従来の量子暗号鍵伝送実験では、レーザー光を極限まで弱めた擬似的単一光子源が主に使われています。擬似的単一光子源による問題点は、1パルスに2個以上の光子が入る場合があるため、盗聴の可能性が生じることです。従って量子暗号には、確実に1パルスに1個の光子のみが存在する単一光子を発生させる単一光子源の実現が期待されています。
ところが、これまで研究されてきた量子ドットや有機分子を用いた単一光子源は、室温では不安定でほとんど光らなくなるために極低温での冷却が不可欠なもの、室温で単一光子を発生できても、光励起のためのレーザーが必要なものしか実現されておらず、エネルギーやコストの制約が単一光子源の実用化・普及の課題となっていました。
今回研究グループはダイヤモンドを材料とし、そこに埋め込まれている単一発光中心(NV中心、図1)を単一光子源として用いることにより、デバイス集積化、低消費電力化といった実用化に要求される電流注入型の固体素子において、初めて室温での単一光子発生の実証に成功しました。
1つのNV中心のみを観測するためには、不純物のない極めて高品質なダイヤモンド(i層)にNV中心が埋め込まれていることが必要ですが、ダイヤモンドは不純物(ドーパント)がないと絶縁体であるため電気が流れません。今回、高品質ダイヤモンド(i層)を、リンをドープしたn層とホウ素をドープしたp層で挟んでpin構造の素子を作製することにより(図2)、i層に電気を流せるようにしたところが重要です。自作の共焦点顕微鏡装置を用いることにより、一つ一つのNV中心を光学検出できます。図3(a)は光励起による単一NV中心からの発光をモニターした蛍光像で、図3(b)は同じ位置での電流注入による単一NV中心からの発光をモニターした蛍光像です。電流注入による単一NV中心からの発光も光励起と同じ単一NV中心から光っている様子が見て取れます。光子相関法によるアンチバンチング注7)の観測から、単一のNV中心からの発光であることが証明され、単一光子源として動作していることが示されました(図4)。
今回の成果は、室温でも安定に発光するダイヤモンド中のNV中心に着目し、産業技術総合研究所の高品質ダイヤモンド半導体合成技術・デバイス作製技術と、大阪大学のNV中心を一つ一つ観測する技術を用いることにより得られました。
本成果によって、極低温などの制限のない室温で、しかもレーザーでなく電気を用いた単一光子源の動作が実証されたことで、省エネルギー・低コストの素子の集積化に道が開かれました。今後、さらなる通信速度の高速化やより確実な一つ一つの光子発生の制御に向け、ドーピング条件、素子作製プロセス工程、素子構造の最適化により、電気的特性、光学的特性の改善を図っていきます。また、光ファイバーを用いた量子暗号通信の長距離化には発光波長を通信波長帯の波長(1.5ミクロン帯)に変換にする必要性が考えられますが、その場合は、近年実現している量子波長変換素子注8)により、量子情報を保持したまま波長を変換できます。既存の量子暗号システムの高速化や効率化が進み、実証実験を経ることで、近い将来、国家機密の通信や個人情報に関わる秘匿通信などへの利用が期待されます。
また、NV中心は優れたスピンの特性も持っています。スピンは量子情報の演算や記録に使えるため、その機能を使った量子暗号通信のさらなる長距離化や、高速化に必要な量子中継器注9)の実現も期待されています。この場合、NV中心は単一光子源としてではなく、量子中継器としての機能を果たすことも期待されます。今回の成果は、このスピン特性を生かすことで、将来的には量子レジスタ、量子メモリー注10)といった、量子コンピューターや量子計測の実現に結びつく量子情報素子への展開を示唆するものです。
本研究において、LED製作にあたり、JST戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「二酸化炭素排出抑制に資する革新的技術の創出」研究領域(研究総括:安井 至 (独)製品評価技術基盤機構 理事長/国際連合大学 名誉副学長)における研究課題「超低損失パワーデバイス実現のための基盤構築」(研究代表者:山崎 聡)の支援を受けました。
"Electrically driven single photon source at room temperature in diamond"
(ダイヤモンドを用いた室温動作する電流注入型単一光子発生源)