独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)バイオメディカル研究部門【研究部門長 織田 雅直】今村 亨 主幹研究員 兼 シグナル分子研究グループ 研究グループ長らは、シグナル分子(細胞制御因子)であるFGF18が、毛の成長周期のうち、休止期を維持する重要な役割を果たしていることを明らかにした。
毛の成長は成長期、退行期、休止期の3相を周期的に繰り返す(毛成長周期)。この周期が適切に制御されることで、一生にわたって動物の体毛や頭髪が維持される。これまでに成長期を制御する分子は複数見つかっているが、幹細胞の静止を伴う休止期を生理的に維持するシグナル分子については、これまで個体レベルで明確に示されたものはなかった。
細胞の増殖や分化を制御するシグナル分子群の一員であるFGF18が、休止期における毛包幹細胞領域で発現することは、既に発見されていた。しかし、FGF18の遺伝子を欠失させた実験動物では健康な個体が成長できないため、FGF18の生理的機能は十分に分かっていなかった。今回、皮膚の細胞のFGF18の遺伝子を特異的に欠失させたマウス(遺伝子ノックアウト動物)を作成しその性質を調べることで、FGF18が毛成長周期の休止期を維持するシグナル分子であることを初めて示した。これにより、脱毛症などの疾病の診断・治療や創薬、毛包幹細胞を用いた神経損傷治療など再生医療に向けた貢献が期待される。
本成果の詳細は、平成24年2月2日(日本時間)にJournal of Investigative Dermatology(米国研究皮膚科学会誌)のオンライン版に掲載される。
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図1 皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスの1週間分の毛成長の様子 |
脱毛症は、単に毛髪による保護・保温効果などが失われるだけでなく、しばしば心理的な影響が大きいために、広く社会的関心事となっており、その診断・治療法の開発や創薬が強く継続的に求められている。逆に、近年では不要な毛成長を抑制したいという社会的ニーズも大きくなっている。
これまで、毛が伸びる期間である成長期を促進する分子や、成長期から毛の成長の止まる退行期に移行する分子機構については、かなり明らかになってきている。しかし、退行期から次の発毛までの準備期間である休止期を維持する分子機構についてはほとんど分かっていない。休止期を維持する機構を解明し、これを阻害または促進する技術を開発できれば、脱毛症の治療やむだ毛の成長抑制に有用であると期待される。さらに最近、毛包にある幹細胞が損傷した神経機能の再生に利用できることが示され、ガン化する心配が少ない安全な再生医療用の幹細胞として期待されている。休止期の維持の背景には毛包幹細胞の静止状態の維持がある。そこで、休止期を維持する分子機構の解明が待たれていた。
産総研では細胞や個体の働きを制御するシグナル分子の機能を明らかにし、新たな診断・治療・創薬のターゲット分子の同定や治療法への応用を目指している。これまでにFGF5の2種の遺伝子産物の発見とそれらによる毛成長の退行期誘導の制御について報告してきた。
FGF18は、ヒトやマウスの体内で合成されるシグナル分子であり、骨の形成や肺の器官形成にとって重要な因子であることが既に分かっていたが、毛や皮膚における生理的機能は全く不明だった。産総研ではこれまでに、FGF18が休止期の毛包で高いレベルで発現していることを発見し報告してきたが、その生理的機能の詳細は不明であった。
FGF18は、繊維芽細胞増殖因子(fibroblast growth factor:FGF)ファミリーという分子群に属するシグナル分子である。FGFの活性は主に、標的となる細胞表面のFGF受容体を介して細胞内に伝達されるため、生理的な活性は、FGF自身の発現制御と、対応する複数種のFGF受容体や補助受容体の発現制御によって決まる。本研究ではまず、毛の幹細胞の存在する領域に高いレベルで局在しているFGF18とそれに対応する受容体について、その機能を解析するため、皮膚の細胞で特異的にFGF18遺伝子がノックアウトされる実験動物(マウス)を作成し、そのマウスを長期間にわたって詳細に解析した。
この皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスは長寿で、健康上の問題は見つからなかった。しかし、このFGF18遺伝子ノックアウトマウスの背部の毛を、週に1度刈ると、毛成長周期の相が揃った毛包が整列しつつ速やかに毛成長が進行して、縞状のパターンが見られた(図1、2)。
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図2 (上)皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスと(下)野生型マウスの背部の毛成長の様子
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この縞状のパターンができる原因は、毛成長周期が短期間で繰り返し起こり、また、マウスの背部の皮膚の毛成長周期に、首に近いほど短く、尾に近いほど長いといった周期長の差があるため、マウスが加齢するほど発毛部位が波状の模様になることによる。また、毛成長周期のうち、休止期が顕著に短くなっていた(図3上)。野生型マウスでは休止期は3週間から数ヶ月にわたって持続する。これに対し、皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスでは、休止期は1週間前後にまで短くなり、わずか3~4週間で1回の毛成長周期を完了して、速やかに次の毛成長周期に移行することが分かった。
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図3 (上)皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウス (下)野生型マウスの毛成長周期の比較
Mは毛包の器官形成期、*は各成長期後に来る休止期。皮膚特異的FGF18遺伝子ノックアウトマウスでは休止期が野生型マウスに比べて著しく短縮し(赤色矢印部分)、頻繁に毛成長周期を繰り返す。なお、毛包の器官形成期と第1毛成長周期の間の休止期にはほとんど差はなく、もともと極めて短いことが知られている。
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これらの結果から、野生型マウスに見られるような長期間に及ぶ休止期が生理的に維持されるためには、FGF18が必要であるという新たな分子機構が明らかになった(図4)。近年、休止期は毛包幹細胞の静止状態の維持によることが明らかになってきている。FGF18とその受容体は休止期の毛包幹細胞領域に高いレベルで発現していることから、FGF18は毛包幹細胞の静止期の維持に極めて重要な因子であると考えられる。
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図4 今回の発見を基にした毛成長周期制御モデル |
今後、ヒトの毛髪関連疾患とFGF18との関係などをより詳細に解析し、関連疾患の診断、予防、治療などへの応用や創薬につなげることが可能かを調べる。また、FGF18と他のシグナル分子による毛包幹細胞の静止期制御の機構などを明らかにすることにより、再生医療への応用につなげることを目指す。