独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)フレキシブルエレクトロニクス研究センター【研究センター長 鎌田 俊英】長谷川 達生 副研究センター長、山田 寿一 主任研究員、峯廻 洋美 産総研特別研究員らは、新たなインクジェット印刷法を用いて、シート上の任意の位置に有機半導体単結晶薄膜を作製する技術を開発した。この技術により、薄型ディスプレーなどの大面積電子機器に必須である薄膜トランジスタ(TFT)の性能を、従来の印刷法による有機TFTに比べて100倍以上向上させることができた。さらに、薄膜の単結晶性を大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構(以下「KEK」という)の施設を用いて確認できた。
印刷法による電子デバイス製造技術(プリンタブルエレクトロニクス技術)は、軽い・薄い・落としても壊れないという特徴を備えた情報通信端末機器(フレキシブルデバイス)の実現や、それらの省資源・省エネルギー製造を可能にする近未来技術として期待されている。今回、有機半導体を溶解させたインクと有機半導体の結晶化を促すインクをミクロ液滴として交互に印刷する新手法(ダブルショットインクジェット印刷法)により、分子レベルで平坦な有機半導体単結晶薄膜の作製に成功した(図1)。この技術により作製した有機TFTは、移動度が最高で31.3 cm2/Vsと現在の液晶ディスプレーに用いられているアモルファスシリコンTFTを大幅に超える性能を示した。また、従来の印刷法で作製した有機TFTと比較すると100倍以上の性能であり、有機TFTとしては世界最高性能を示した。この技術は、フレキシブルデバイスの研究開発を大きく加速すると期待される。
この成果の詳細は、英国の学術誌Natureに 2011年7月14日(日本時間)にオンライン掲載される予定である。
(参照URL:http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature10313.html)
|
図1 新しいインクジェット印刷法で各位置に形成した有機半導体単結晶薄膜
|
文字や写真などの画像を紙の上に再現する印刷技術は、シート上にマイクロメートル(µm)レベルの微細電子回路を描画形成する電子デバイス製造に応用できる技術として注目されている。例えば、真空成膜技術とリソグラフィーを印刷技術で置き換えると、ディスプレーなどの大型電子機器製造の際に、大量の電力を消費する大規模な真空設備が不要になる。さらに、プラスチックのシートを用いることによって、軽い・薄い・落としても壊れないという特徴を備えたフレキシブルデバイスの実現につながり、今後のエレクトロニクス産業に大変革をもたらすと期待されている。
このようなプリンタブルエレクトロニクス技術の実現には、薄型ディスプレーなどの大面積電子機器に必須であるTFTを印刷法で作製することが必要であり、特に、印刷法によるTFTの大幅な性能向上が強く求められている。半導体は、原子や分子が規則正しく配列することで初めてその性能を発揮するが、シート上に印刷法で塗布したミクロ液滴から、均質性の高い半導体層をいかに形成するかが、プリンタブルエレクトロニクス技術の成否を握る主要な課題となっていた。
産総研では、プリンタブルエレクトロニクス技術の実現を目指した研究開発を幅広く行っている。その一環として、プリンタブルエレクトロニクス技術に最適な半導体材料である、有機溶剤によく溶け、かつ常温・常圧でのデバイス加工に適した有機半導体を対象とした研究開発を進めてきた。有機半導体は、結晶性の高い低分子系材料ほど高いデバイス性能が得られるが、液滴内部の対流やランダムな結晶化のため、溶液からの半導体の析出を制御することが難しく、通常の印刷法では均質な半導体層の形成が極めて困難とされてきた。今回、有機半導体を溶解させたインクと有機半導体の結晶化を促すインクの2種類のインクによるミクロ液滴を交互に印刷するダブルショットインクジェット印刷法を開発し、分子レベルの平坦性を持つ半導体単結晶薄膜を作製した。半導体単結晶薄膜の試作に用いた有機半導体C8-BTBTは、日本化薬 株式会社の提供によるものであり、半導体単結晶薄膜のX線回折測定には、KEK放射光科学研究施設フォトンファクトリーのシンクロトロン放射光を用いた。
なお、この研究は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の産業技術研究助成事業(平成20~24年度)による支援と独立行政法人 日本学術振興会の最先端研究開発支援プログラム「強相関量子科学」(平成21~25年度)の助成により行われている。
図2に今回開発したダブルショットインクジェット印刷法による半導体単結晶薄膜作製の模式図を示す。有機半導体C8-BTBTを含む半導体インクと結晶化インクの2種類のインクを用い、2基のインクジェットヘッドから塗布する。まず1基目のインクジェットヘッドから結晶化インクを塗布し、続いて2基目のヘッドから半導体インクを結晶化インク上に重ねて塗布してシート上にミクロな混合液滴(体積は液滴全体で約3ナノリットル)を形成した。混合液滴の内部では有機半導体は直ちに過飽和状態になり、液滴表面において緩やかに半導体結晶の成長が始まる。最終的には半導体結晶が液滴表面全体を覆う。最終的に得られた薄膜は、膜厚が条件により30~100ナノメートル(nm)で均質性は極めて高く、表面は分子レベルで平坦である。さらに、シート上にあらかじめ親水/疎水表面処理を施して塗布した液滴の形状を制御することにより、半導体結晶の成長方向を制御できることがわかった。こうした結晶薄膜を得るための加工温度は、最高でも30 ℃程度で、ほぼ室温領域で作成できるという特徴を備えている。このように2種類のインクを用いて半導体の結晶成長と溶剤の蒸発を別々に行うことで、従来の印刷法では困難であった膜厚均質性の高い半導体薄膜を任意の位置に再現性よく作製できた(図1)。
|
図2 ダブルショットインクジェット印刷法による半導体単結晶薄膜形成の概念図
|
作製した有機半導体単結晶薄膜について、シンクロトロン放射光を用いてX線回折測定を行ったところ、全ての回折点が明瞭なスポットとして観測された(図3)。これは、半導体薄膜が高い結晶性を持っていることを示す。また、回折点の解析から求めた単位格子がC8-BTBTの単位格子と一致した。さらに、異方性のある結晶の観察に適したクロスニコル顕微鏡で、作製した半導体薄膜を観察したところ、薄膜を表面に対し垂直な方向を軸として回転させると、半導体薄膜全体が明るい色から暗い色に一様に変化する様子が見えた(図4)。これらの結果から、半導体薄膜全体が単一ドメインの単結晶からなると結論された。さらに光学顕微鏡、原子間力顕微鏡で半導体単結晶薄膜を観察すると数µmから数十µmの間隔の縞模様が見られた(図5)。この縞模様は、C8-BTBT半導体の1分子層の厚みに対応した段差によるもので、半導体単結晶薄膜に特有なステップ・テラス構造であることがわかった。
|
図3 有機半導体単結晶薄膜のX線回折写真。面間(上)と 面内(下)。
|
|
図4 有機半導体単結晶薄膜のクロスニコル顕微鏡像
|
|
図5 光学顕微鏡(左)と原子間力顕微鏡(右)で観察した
有機半導体単結晶薄膜のステップ・テラス構造
|
今回作製した有機半導体単結晶薄膜上に電極(金)とゲート絶縁層(有機高分子層)を形成し、電界効果トランジスタを作製した(図6左)。このトランジスタの飽和領域における移動度は、最高で31.3 cm2/Vs(平均16.4 cm2/Vs)であった。このデバイス性能は、現在の液晶ディスプレーに用いられているアモルファスシリコンTFTの性能(およそ1 cm2/Vs)の10倍以上であり、従来の印刷法で作製した有機TFTの性能と比較すると100倍以上で、有機TFTとしては世界最高の性能値である。オン/オフ比は5~7桁であり、サブスレッショルドスロープは2 V程度、閾ゲート電圧は10 V程度であった。伝達特性に電流ヒステリシスはほとんど見えず、正スイープと逆スイープで閾ゲート電圧のシフトは0.1 V以下であった。また、8ヶ月間、空気中に放置した後も特性の劣化は10%以下にとどまることがわかった。
以上のように、2種類のインクによるミクロ液滴を交互に印刷するダブルショットインクジェット印刷法を開発することによって、プリンタブルエレクトロニクス技術の主要な課題となっていた高い膜厚均質性を持つ有機半導体薄膜の印刷と、それを用いた有機TFTの大幅な高性能化に成功した。
|
図6 電界効果トランジスタの模式図と伝達特性の測定結果
|
今後は、印刷条件・半導体材料・デバイス構造を一層最適化し、性能と安定性の向上を図る。さらに、金属配線、電極などの印刷法による作製技術と組み合わせて、全印刷による高性能アクティブバックプレーンの試作に取り組む。