独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノスピントロニクス研究センター 湯浅 新治 研究センター長、半導体スピントロニクスチーム Ron Jansen 招聘研究員、齋藤 秀和 研究チーム長は、オランダ基礎科学財団(The Foundation for Fundamental Research on Matter)と共同で、熱エネルギーをスピンに変換する新現象「ゼーベック・スピントンネル効果」を発見した。
近年、電子が持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)の両方を活用したスピントロニクス技術を用いて、IT電子機器の大幅な省電力化を目指した研究が盛んに行われている。磁性体中のスピンを用いた不揮発性メモリーにデジタル情報を記憶し、そのデジタル情報を半導体中に入力して演算できれば、省電力化が可能となる。これまでの研究では、磁性体から半導体シリコン中にスピン情報を入力するのに電流が用いられてきたが、多くの電気エネルギーが熱になって浪費されてしまう。抜本的な省電力化のために、廃熱を再利用する方法の開発が望まれてきた。
今回、ゼーベック・スピントンネル効果を利用することにより、電流を使わず、熱エネルギーによって磁性体の電子スピンが持つデジタル情報をシリコン中に入力することに成功した。この発見により、廃熱を再利用する新しいグリーン情報技術(グリーンIT)実現への道が拓かれた。
この成果の詳細は、英国の学術誌「Nature」に2011年6月30日(日本時間)にオンライン掲載される予定である。
|
図1 ゼーベック・スピントンネル効果を観測するための素子の構造。 磁性体/トンネル絶縁膜/シリコンの3層で構成される。磁性体とシリコンの間に温度差があると、ゼーベック・スピントンネル効果により磁性体のスピン情報がシリコン中に入力される。 |
IT社会の急速な発展に伴って情報通信機器の消費エネルギーは増加の一途をたどり、このままでは、今後10数年以内に全電力消費量の10~20%に達すると見込まれている。従って、より消費エネルギーが小さく、二酸化炭素排出量削減に貢献するグリーンITの実現が急務となっている。
グリーンITデバイスの実現を目指す中、電子が持つ電荷とスピンの両方を活用するスピントロニクス技術が注目されている。スピンは「0」と「1」のデジタル情報を記憶でき、両状態の切り替えに必要なエネルギーは非常に小さいことが理論的に示されている。一方、シリコンは最も重要な半導体材料であり、半導体LSIを構成する主要材料である。従って、スピントロニクス技術とシリコンLSI技術を融合させてシリコン・スピン融合デバイスを実現することができれば、グリーンIT化に向けての大きな推進力となると期待されている。
磁性体からシリコン中へのスピン情報の入力(スピン注入)は、シリコン・スピン融合デバイスを実現するための基盤技術となるが、これまでの研究では電流によってスピン注入を行ってきた。しかし、素子に電流を流すと熱が生じてしまうという問題があり、発熱の問題を抜本的に解決するために、電流を用いない新しいスピン注入手法の開発が望まれてきた。
産総研ナノスピントロニクス研究センターでは、これまで電子が持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)の両方を活用するスピントロニクス技術の研究に力を注ぎ、スピントロニクスを応用した素子を実用化してきている。今回、オランダ基礎科学財団(The Foundation for Fundamental Research on Matter, FOM)と共同で、ゼーベック・スピントンネル効果という新現象を発見し、この効果を利用して電流を用いずに磁性体からシリコン中へのスピン注入に成功した。
ゼーベック・スピントンネル効果の観測に用いた素子は、磁性体(ニッケルと鉄の合金)、トンネル絶縁膜(厚さ1.5~2ナノメートルの酸化アルミニウム層)、シリコンの3層で構成されている(図1)。これまで、シリコンへのスピン情報の入力は、磁性体とシリコンの間に電圧をかけて電流を流して行われてきた。これに対して、今回発見したゼーベック・スピントンネル効果では、電流を用いることなく、磁性体とシリコンの間に温度差を生じさせるだけで磁性体のスピン情報をシリコンに入力することが可能になる。ゼーベック・スピントンネル効果とは、2枚の電極(この場合、磁性体およびシリコン)の間に温度差があると、上向きのスピンを持つ電子がトンネル絶縁膜を越えて磁性体からシリコンへ流れ、逆に下向きのスピンを持つ電子がシリコンから磁性体へ流れる現象である。従って、2枚の電極間に流れる電流は相殺してゼロとなるが、スピン情報は磁性体からシリコンに伝達されることになる。(ここで、スピンの上向き、下向きが、デジタル情報の「0」と「1」に相当する。)
今回の実験では、図2左に示した構造の素子のシリコン内に電流を流して加熱し、シリコンの温度を磁性体よりも高温にした。磁性体からシリコンにスピン情報が入力されたかどうかを調べるために、シリコン面に垂直方向に磁界をかけながら磁性体とシリコンの間の電圧を測定した。シリコン中にスピン情報が入力されている場合には、数100エルステッドの垂直磁界を加えると発生電圧がほとんど消失する。この現象はハンル効果と呼ばれ、スピン情報の有無を調べるために標準的に用いられている。図2右に示すように、垂直磁界が強くなると発生する電圧が急激に減少した。また、シリコンを加熱するための電流の向きを反転しても、同じように垂直磁界による発生電圧の変化が観測された。これは、測定された電圧はシリコンを加熱する電流により直接的に生じたものではなく、シリコンと磁性体の間の温度差によって生じたものであることを示している。これらの結果から、ゼーベック・スピントンネル効果によって磁性体からシリコンにスピン情報が入力されたことが確認された。
|
図 2:ゼーベック・スピントンネル効果を観測するための素子構造(左)。磁性体とシリコンの間に温度差を与えたときに発生する電圧(右)。 磁性体からシリコンにスピン情報が入力されると、電圧が磁界に依存して変化する。
|
今回発見したゼーベック・スピントンネル効果を用いることにより、熱を利用してシリコン中にスピンのデジタル情報を入力することが可能であることが示された。これは、シリコンLSI中に生じる廃熱を再利用してスピン情報の入力を行う革新的な省エネルギー技術の実現に繋がるものであり、将来のグリーンIT研究に大きく貢献する可能性を秘めている。