発表・掲載日:2011/03/08

テラヘルツ波による危険ガスの遠隔検知に成功

-火災現場での二次災害リスクの大幅な軽減に期待-


 日本電信電話株式会社(以下、「NTT」 東京都千代田区、代表取締役社長:三浦惺)は、独立行政法人産業技術総合研究所(以下、「産総研」 東京都千代田区、理事長:野間口有)および、有限会社スペクトルデザイン(以下、「スペクトルデザイン」 栃木県大田原市、代表取締役:深澤亮一)とともに、テラヘルツ波※1を用いた遠隔分光センシングシステム※2のプロトタイプを開発しました。また、学校法人東京理科大学(東京都新宿区、理事長:塚本桓世)総合研究機構 火災科学研究センターにおいて本システムの評価実験を行った結果、火災現場などで発生する危険ガスの一種とされる、シアン化水素ガス※3の遠隔検知に有効であることが検証されました。本システムにより、火災現場に足を踏み入れることなく危険ガスを検知できるようになることから、火災現場で救助活動にあたる消防士の二次災害リスクを大幅に軽減できることが期待されます。

 本開発の一部は、独立行政法人情報通信研究機構からの委託(「ICTによる安全・安心を実現するためのテラヘルツ波技術の研究開発」)を受け実施されたものです。

 また、開発を進めるうえで、国立大学法人東京大学(東京都文京区、総長:濱田純一)大学院総合文化研究科小宮山研究室の指導を受けました。


開発の背景

 周波数軸上で電波と光の間に位置するテラヘルツ波は、赤外線や可視光に比べると波長が長いため、粉塵や煙、炎を伝播しても、散乱されて減衰することがほとんどない、という性質を持っています。

 また、多くの物質は、それぞれ異なる周波数のテラヘルツ波を吸収する性質を持っていることから、テラヘルツ波の吸収パターンを測定することで、有毒ガスなどの危険物質を識別することが可能であることが知られています。

 しかし、テラヘルツ波にはこのような有用性がある一方で、発生・検出の技術が未成熟で、産業的な応用が難しいという課題がありました。NTTでは、2006年よりテラヘルツ波の有用性を災害現場に適用すべく、課題であった発生・検出技術の研究を進め、従来、二次災害の危険を冒しながら災害現場に足を踏み入れてサンプリング調査しなければ検知できなかった危険ガスを、遠隔でリアルタイムに検知するシステムの実現を目指してきました。

今回の成果

 今回、要素技術として高出力・広帯域テラヘルツ波発生器※4低雑音・広帯域ミキサ※5スペクトル解析技術※6を開発し、これらをシステム統合することにより、遠隔分光センシングシステムのプロトタイプを実現し、危険ガスの一種であるシアン化水素ガスの模擬火災環境下での遠隔リアルタイム検知に成功しました。

成果のポイント

1. 光からテラヘルツ波を発生させる技術(NTT)

 1台の波長可変光源と2台の波長固定光源から発生する光信号の波長配置と合波の工夫、NTTが光通信用に独自開発した単一走行キャリア・フォトダイオードの動作周波数の改良により、200から500GHzまでを1秒で周波数掃引する、高出力・広帯域のテラヘルツ波発生器を実現した。

2. 低雑音・広帯域ミキサ(産総研)

 超伝導デバイス技術を用いて、テラヘルツ帯で汎く使われる半導体ミキサに比べ、 低雑音性・広帯域性に優れた超伝導ミキサを開発するとともに、 その動作に必要な摂氏マイナス269度の極低温環境を提供する 小型機械式冷凍機に、そのミキサを実装した可搬型受信器を開発した。

 これにより、可搬型システムでの微弱なテラヘルツ波の受信が可能になった。

3. スペクトル解析技術(スペクトルデザイン)

 危険ガスや建築材料・煤などのテラヘルツ帯分光スペクトルのデータベース※7を構築した。また、データベースを基に、遠隔分光スペクトルを数学的に解析し、危険ガスの濃度を定量的に算出するための解析アルゴリズムとソフトウェアを開発した。

4.評価実験(東京理科大学 火災科学研究センター※8

 同センターの大型実験設備を利用して、実スケールの模擬火災環境下で遠隔分光センシングシステムの評価実験を行った。

今後の展開

 今回開発した、遠隔分光センシングシステムに対する現場のニーズなどを収集するとともに、分析可能なガス種類を拡大し、現場に持ち運びやすいサイズまで小型化するなど、実用化に向けた研究開発に引き続き取り組んでいきます。

【参考】実験の詳細

1. 火災現場を再現した環境での試験

 6畳間を模して造られた構造物(ルームコーナー試験機と呼ばれる)内部で、ウレタンブロックを燃焼させ、内部に煙を充満させる。この状態で、試験機入り口から5mほど離れたところに設置した、テラヘルツ帯遠隔分光センシングシステムからテラヘルツ波を照射、反射して戻ってきたテラヘルツ波のスペクトルから試験機内部に存在するガスを調べた。

 なお、本実験では、金属製コーナーリフレクタを用いて人為的にテラヘルツ波を反射させているが、本来は、部屋の角などでのテラヘルツ波の反射を利用することを想定しており、金属製コーナーリフレクタは必ずしも必要ではない。

火災現場の再現イメージ図
火災現場の再現イメージ

模擬火災環境下での実験の様子の写真
模擬火災環境下での実験の様子

2.シアン化水素ガスの遠隔検知に成功

 下記の図は、模擬火災環境下で得られたスペクトルを示している。燃焼開始70秒から160秒にかけて、265と355、444GHzに、周波数が上がるにつれて強度が強くなる吸収ピークが観測されている。

 これは、シアン化水素ガスのスペクトルの特徴によく一致している。

 また、この実験では同時に、燃焼中のルームコーナー試験機内の気体をサンプリングし、別途化学分析によりシアン化水素ガスの濃度を調べたが、これにより得たシアン化水素ガスの濃度が、スペクトル分析により得たシアン化水素ガスの濃度とほぼ一致した。このことは、テラヘルツ帯遠隔分光センシングシステムにより、模擬火災によりで発生したシアン化水素ガスを遠隔から検知することに成功したことを示している。

模擬火災環境下で得られたスペクトル図
模擬火災環境下で得られたスペクトル

用語解説

※1 テラヘルツ波
103を「キロ(k)」と呼ぶのと同様に、109を「ギガ(G)」、1012を「テラ(T)」と呼ぶ。「ヘルツ(Hz)」は交流電気信号や電磁波が、0.5秒間に何回極性(プラスとマイナス)を変えるかを示す、周波数と呼ばれる物理量の単位。つまり、0.5テラヘルツ(1THz=1,000GHz)は、1秒間に1×1012回極性を変える電磁波の周波数である。周波数範囲が0.1~10THzの電磁波を総称して、テラヘルツ波と呼ぶ。
周波数軸上で見た場合、テラヘルツ波よりも低い周波数に電波があり、高い周波数に光がある(図1参照)。つまりテラヘルツ波は、光と電波の中間の周波数を持つ電磁波ということになる。そのためテラヘルツ波は電波と同様の物質透過能力と光同様の空間分解能を併せ持つことになる。一方で、テラヘルツ波はガス分子の回転/振動運動と共鳴するため、ガスはその種類に応じて、それぞれに固有の周波数のテラヘルツ波を吸収する。
しかし、これまでこのテラヘルツ波を産業的に利用した例はほとんどなかった。これは、テラヘルツ波を発生・検出する技術が十分に発達していなかったためである。[参照元へ戻る]
テラヘルツ波の図
図1:テラヘルツ波
※2 遠隔分光センシングシステム(図2参照)
離れたところから対象物の吸収スペクトルを測定し、目標とする物質の有無を明らかにするシステム。遠隔での測定を可能とする広帯域の高出力送信器・高感度受信器、吸収スペクトルから目標とする物質の有無を判定するためのスペクトル解析技術が、その実現には必要となる。[参照元へ戻る]
遠隔分光センシングシステムの写真
図2:遠隔分光センシングシステム
※3 シアン化水素ガス
炭素原子に水素原子と窒素原子が一個ずつ結合した化合物。分子式はHCN。猛毒である。沸点は26℃であるが、室温でも飽和蒸気圧が高く揮発しやすいため、常温でもガス状で存在し、吸い込んだ人を死に至らしめる。火災によってアクリルやウレタン、ナイロンなどが燃焼する時に発生して中毒を引き起こすことがある。[参照元へ戻る]
※4 高出力・広帯域テラヘルツ波発生器
波長の異なる2つの光を光電変換素子に与えると、その周波数差に一致する電磁波を得ることができる。光の波長を適切に選択し、周波数差をテラヘルツ帯にすることで、光信号からテラヘルツ波を得ることができる。光デバイスは、電子デバイスと比較すると、桁違いに広い動作帯域を有しているため、光の領域での信号処理を工夫することで、発生するテラヘルツ波の周波数を広い範囲にわたって正確にコントロールすることができる。本研究では、このような方式を用いてテラヘルツ波を発生させている。具体的には、1台の波長可変光源と2台の波長固定光源からの光信号の組み合わせを工夫することにより、センシングに用いる送信用テラヘルツ波と受信器を励起する局部発振信号用のテラヘルツ波を同時に発生させている(図3参照)。この2つのテラヘルツ波の周波数差は、テラヘルツ波の周波数がいかなる値になっても、一定で不変である。これにより、送信用テラヘルツ波の周波数を高速に掃引した際にも、テラヘルツ波を安定に受信することが可能となった。
また、光電変換素子には、NTTが開発した単一走行キャリア・フォトダイオード(UTC-PD、図4参照)を用いた。大容量光通信システム用に開発され、超高速・高飽和出力という特徴を持ったこの素子の動作帯域をテラヘルツ帯に改良することにより、他に類を見ない高出力・広帯域のテラヘルツ波発生器を実現した。[参照元へ戻る]
(a)光信号発生部のブロック図と(b)光信号の波長配置とテラヘルツ波の周波数配置図
図3:  (a)光信号発生部のブロック図と(b)光信号の波長配置とテラヘルツ波の周波数配置

単一走行キャリア・フォトダイオード(UTC-PD)の写真
図4:単一走行キャリア・フォトダイオード(UTC-PD)
※5 低雑音・広帯域ミキサ
2つの異なる周波数の電磁波を入力し、その差や和の周波数の出力信号を高効率に出力するデバイスがミキサである。高い周波数を検出する受信器では、主に差の周波数を取り出すミキサが使われ、受信信号に混合される信号を局部発振信号と呼ぶ。通常広い周波数で動作するミキサを実現することは困難であるが、産総研は、複数の超伝導接合からなる低雑音ミキサと受信アンテナ、整合回路の集積により低雑音ミキサの広帯域化に成功した(図5参照)。[参照元へ戻る]
低雑音・広帯域ミキサの写真
図5:低雑音・広帯域ミキサ
※6 スペクトル解析技術
複数の物質からなる混合物の吸収スペクトルは、もとの物質の吸収スペクトルを重ね合わせたものとなる。測定により得られたスペクトルを数学的手法により、もとの物質の吸収スペクトルに分解し、混合物の組成を明らかにすることをスペクトル解析技術と呼ぶ。[参照元へ戻る]
※7 スペクトルのデータベース
物質を透過や反射する、または吸収される電磁波の強度の周波数依存性は、その物質ごとに異なっている。スペクトル解析(※6)を行う際に参照可能な数値化されたデータ集として各物質の特性を集めたものをスペクトルのデータベースと呼ぶ。[参照元へ戻る]
※8 東京理科大学 総合研究機構 火災科学研究センター
火災科学に関する研究・教育活動を行っている組織。同分野に特化した研究組織や大型実験施設を持つのは国内の大学では同センターのみ。これまでに火災安全に関する多くの研究成果と人材を輩出してきた成果が認められ、様々な拠点(グローバルCOE、共同利用・共同研究拠点)として活動を行っている。[参照元へ戻る]


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