独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【研究部門長 赤松 幹之】マルチモダリティ研究グループ 氏家 弘裕 研究グループ長、小早川 達 主任研究員は、学校法人 自治医科大学付属病院 耳鼻咽喉科と共同で嗅覚機能の他覚的検査方法を開発した。
今回開発した検査方法は、特殊な嗅覚刺激装置と産総研が独自に開発したニオイセンサーを用いて嗅覚誘発脳波・脳磁場の同時計測を行うものである。嗅覚脱失患者4名と健常者5名に対して計測を行ったところ、両者に計測値の明確な差が認められた。今回開発した技術は嗅覚検査における詐病の発見に用いることも可能である。また、アルツハイマー病、パーキンソン病では早期に嗅覚減退が起こるといわれ、これらの診断・疾病の発見につながるとともにそのメカニズムの解明に役立つと思われる。
本技術の詳細は、2009年10月1~3日に島根県民会館で開催予定の第48回日本鼻科学会 学術講演会で発表される。
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図1 脳磁波の計測
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五感の中で視覚、聴覚や触覚と比較して人間の嗅覚機能の検査は難しく、交通事故による嗅覚脱失や風味障害があっても、それを適切に診断できる医療機関が日本では数少ないのが現状である。通常の医療機関では多くの場合、定性的な静脈性嗅覚検査が用いられ、定量的な診断が可能なT&Tオルファクトメーターを備えた施設は少数である。また、これらの嗅覚検査は自覚的な検査方法であり、詐病などの恐れもある。視覚、聴覚、触覚などでは他覚的な診断法が存在するが、嗅覚の場合は刺激が気体によるものであり、その制御が難しいために他覚的診断法は確立していない。
一方、最近ではアルツハイマー病やパーキンソン病の初期段階において嗅覚が減退することが知られるようになり、嗅覚能力の測定が通常の嗅覚障害のみならず、アルツハイマー病やパーキンソン病の早期発見においても重要になってきているが、日本国内ではその報告例はごくわずかである。
産総研では、自覚的または他覚的嗅覚検査法の開発を行ってきた。産総研の開発した、自覚的な嗅覚能力検査法についてのデータベースは下記ウェブサイトで公開されている。
【嗅覚変化データベース】http://riodb.ibase.aist.go.jp/db068/db2/main.html
他覚的嗅覚検査法としては、嗅覚刺激提示システムと脳波・脳磁場の同時計測を組み合わせ、嗅覚異常者と健常者における嗅覚認知の観点から研究している。
自治医科大学付属病院の嗅覚外来においてT&Tオルファクトメーターおよび静脈性嗅覚検査によって嗅覚疾患と診断された患者4名、ならびに産総研で集めた健常者5名に対して計測を行った。自覚的検査として、産総研で開発したニオイマイクロカプセルをカードに印刷したものを被験者に提示して、8/12以上の正答数のものを正常とみなした。これらの実験参加者に対して嗅覚誘発脳波・脳磁場の同時計測を実施した。
ニオイにはT&Tオルファクトメーターの中の一嗅素である2-フェニルエチルアルコール(バラ様の香り)を用いた。同一の刺激を1回の実験で40回、1人の実験参加者に提示した。刺激の時間間隔は30秒、1回の刺激は0.4秒間である。嗅覚刺激の提示にはドイツで開発された嗅覚刺激提示装置を用い、産総研で独自に開発した超音波高速嗅覚センサーを用いて、実際の刺激の変化(空気からニオイつきの空気に変わる変化)をリアルタイムにモニタリングした(図2)。
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図2 上:嗅覚刺激提示装置
下:超音波高速嗅覚センサー
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図3:脳磁場の計測
超伝導量子干渉計 (SQUIDs)を用いる
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脳波は国際的な手法により計測した。脳磁場計測は64chの全頭型の超伝導量子干渉計 (SQUIDs)を用いた(図3)。1秒間に625個のデータを取得し、100Hz以上と0.16Hz以下の信号はカットした。上記の計測で得られたデータから目の瞬きなどによる妨害信号が含まれている試験を除き、刺激提示のタイミングで平均加算した。
脳磁波測定の結果は図1に示した。嗅覚脱失者の脳磁波は刺激提示前後で脳磁波の振幅は変化しないが、健常者では刺激提示後に振幅が大きくなっている。脳磁場計測は脳活動の時間だけでなく、活動部位も知ることができるため、パーキンソン病やアルツハイマー病の初期段階における、嗅覚減退の発生するメカニズムの解明にもつながると考えられる。
脳波測定の結果を図4に示す。嗅覚脱失者の脳波はニオイ刺激提示の前後で信号振幅に変化がないことがわかる。一方、健常者5名中4名において刺激提示後振幅が大きくなる応答が見られた。
これらの結果から嗅覚誘発脳波、脳磁場計測により、嗅覚機能の他覚的な検査が可能であることが示された。脳磁波の計測には超伝導磁石を用いる大規模な装置が必要であるが、脳波のみの計測でもかなりの確率で、嗅覚脱失の他覚的計測が可能であることを示している。結果を次の表にまとめる。
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図4 4名の嗅覚脱失者の脳波(左図)と、 5名の健常者の脳波(右図)
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被験者の数を増やし嗅覚機能の他覚的診断法の普及に力を入れる。今回の技術の鍵になるのは嗅覚の刺激方法にある。今回の実験で用いられた嗅覚刺激システム(装置とニオイセンサーの組み合わせ)の安価な値段による製品化を目指す。それと同時に、より被験者に対して負担をかけない検査方法の開発を行う。また、パーキンソン病やアルツハイマー病の早期における嗅覚減退のメカニズムを調べることで、これらの疾病の早期発見に貢献したい。