独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)情報技術研究部門【研究部門長 関口 智嗣】高速電力線通信連携研究体 樋口 哲也 連携研究体長らは、東京電力株式会社【社長 清水 正孝】と共同で、家電機器による伝送障害に対して強いキロヘルツ帯電力線通信方式(Power Line Communication:PLC)の物理層を開発した。今回の技術は、無線LANの電波が届かない場所でもデータ通信を可能とする電力線通信であり、屋内外使用が認められているキロヘルツ帯PLCとしては、家電機器からの伝送障害に対して従来にない強さを持つ通信方式である。
450kHz以下の周波数を電力線に乗せて通信するキロヘルツ帯PLCは、家電機器からの雑音の影響が大きく、また一部の家電機器による通信信号の吸い込みもあるため、通信可能になるタイミングの予測もできないという課題があった。そこで、(1)障害のない通信可能な時間帯(ミリ秒単位)を見つけ次第すばやくデータ通信し、(2)従来のデータの送信サイズより小さいデータ単位に順序情報を持たせて送信することで、伝送に失敗したデータ部分の効率的な再送信を可能とする通信方式の物理層を開発した。これにより伝送障害に対して頑健な通信性能が実現でき、市販のキロヘルツ帯PLCとの比較実験によって今回開発したPLCの有効性を確認した。また本PLCは従来のキロヘルツ帯PLCでは最速の、最大200kbpsの伝送にも対応できる。
このため、家電機器のトレーサビリティや環境モニタリング・防災など無線LANやメガヘルツPLCが使用できない屋内外での様々な状況でのセンシング応用や家電制御が新たな通信ケーブルを敷設しなくても可能となる。なお本PLCはキロヘルツ帯を使用するため、アマチュア無線等に対する障害は発生しない。今回、電力線に近い通信階層(物理層)の方式検証に成功したので、今後はインターネットに近い通信階層(MAC層)の方式改良を進め、完成度を高める予定である。
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家電機器からの伝送障害に極めて強く、加えて最大で200kbpsの伝送速度を持つ屋内外用キロヘルツ帯PLCとその応用イメージ
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PLCは電力線を通じて信号をやり取りできるため、例えばLANケーブルを引かなくても電源コンセントに接続するだけで通信することができる。このため、ビル地下など電波が届きにくくて無線LANが使いにくい環境や、新たなLANケーブル敷設工事が行えない建物では特に有効である。ただし、高速通信が可能なメガヘルツ帯PLCは、我が国では屋内の使用だけに限られている。現在、家庭での使用用途で市販されているPLCモデムはメガヘルツ帯PLCである。
一方、屋外でも使用できるキロヘルツ帯PLCは、家電機器からの強い伝送障害のため、十分な伝送能力と通信の頑健性を備えておらず、これまでに商用化された例が少ない。しかしながら、伝送障害の課題を克服すれば、屋外でも使用できるメリットは大きく、ユビキタスなセンシングが可能になって新たな通信インフラとして利活用されると期待できる。
産総研では、IEEE1394やUSB等の高速シリアル通信における伝送波形の整形や伝送距離の延長を可能とする方式の提案、また10ギガビットイーサネット(ツイストペア線)のIEEE規格提案活動など、先進的な通信方式に関する研究をこれまで行ってきている。
産総研と東京電力株式会社は、平成18年度より家電制御用途等、頑健な通信性能を持つPLCの研究開発を、メガヘルツ帯PLCおよびキロヘルツ帯PLCについて共同で行っている。
PLCモデムは電力線と通信ネットワークをつなぐ部分にあたり、電力線に近いハードウェア中心の階層(物理層)と、通信ネットワーク側に近いソフトウェア中心の階層(MAC層)の二つの階層からなる。今回のPLC試作機は、物理層の方式設計の有効性を実証することを主目的として作成した。
(1)キロヘルツ帯PLCの技術的課題
キロヘルツ帯PLCの研究開発にあたり、大きな技術的課題が二つある。第一の課題は、データ通信に使用する450kHz以下の周波数帯域には、家電機器からの大きな雑音が、頻繁に、かつ不規則に混入することである。このため、これらの雑音の影響を逃れて安定的にデータを通信できる時間帯が短く、しかもその時間帯を事前に予測することができない(図1)。第二の課題は、充電機能を持つ家電機器の抵抗(インピーダンス)が時間によって変動するために、著しく信号電力が吸い取られ、結果的に雑音に対して脆弱になることである(図2)。
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図1 家電からの雑音が不規則に頻発する様子
(15種類の家電を同時に接続した場合の一例)
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図2 家電機器(充電器)のインピーダンス変動による受信信号の吸い込み
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このため、キロヘルツ帯PLCは、家電機器からの不規則、かつ予測不能な伝送障害が弱まり次第、すばやく自動的に正しいデータをやり取りできる通信方式が求められる。
(2)従来技術の問題点
- 直交周波数分割多重方式
現在、メガヘルツ帯PLCで主に用いられている通信方式は、直交周波数分割多重方式(OFDM)と呼ばれるものである。OFDMは、データ伝送のための周波数帯域(2MHzから30MHz)を、より小さな周波数帯に分けて、それら多数の搬送波(サブキャリア)に分担させてデータを伝送する。もし、ある搬送波の分担する周波数帯で雑音が激しく送信エラーが多発する場合には、その搬送波を用いない。
しかし、キロヘルツ帯PLCの扱う450kHz以下の周波数帯域では、雑音の発生が不規則で予想できないため、OFDMで使用する搬送波が、ある時間帯では雑音の影響がなくても別の時間帯では激しく雑音の影響を受ける可能性がある。従って事前に搬送波の使用・不使用を打ち合わせることは難しいため、OFDM方式をキロヘルツ帯PLCにそのまま用いることは容易ではない。
- フレーム同期
データの送受信は、一般にフレームというデータのかたまりを単位として行う。各フレームを送受信する際には、伝送路(PLCの場合は電力線)の特性ひずみを補正するための処理を行う。送信側から受信側に対してトレーニング信号を送ることで受信機器のパラメーターを調整し、正しくデータ波形を受信できるようにする。その後、フレームの先頭を検出して(これをフレーム同期と呼ぶ)、データの受信が開始される。しかし、キロヘルツ帯では家電からの伝送障害が不規則かつ頻繁に起こるため、補正の処理自体が正常に終わらず、フレーム同期を取ることが困難となる。
(3)本通信方式の特長
家電機器による伝送障害の問題を解決するための新しい通信方式を開発した。その技術的ポイントは二つある。
第一のポイントは、通信可能な時間帯を見つけ次第、すばやくデータを送受信する技術である。これは、トレーニング信号を送信しないで、受信側だけで受信機器のパラメーターを最適値に設定し、通信可能な時間帯(ミリ秒単位の短さ)のデータをすばやく受信する方法である。従来の方式では、フレーム同期を行っていたが、450kHz以下の周波数領域では家電機器からの雑音によりトレーニング信号自体の送受信すら阻害され、補正処理そのものができない可能性が高い。そこで本技術開発では、受信側だけの調整ですばやく正しい波形が受信できるようにした。
第二のポイントは、従来のフレームよりもデータ長の短いスロットと呼ぶ単位(フレームの大きさの数百分の1)でデータ伝送を行う点である。従来のフレーム単位での伝送ではデータのサイズが大きいので伝送時間が長く、キロヘルツ帯PLCの場合は、この間に家電機器の雑音によりデータの一部が確実に損なわれる。より短いスロット単位に分割して伝送することで、たとえ短時間であっても通信可能な時間帯が見つかれば、それを確実に利用してデータを受信機に伝送できる。また、本技術開発では、スロット自体にスロット順序(位置情報)の情報を持たせる方法を新たに考案した。これは、スロット順序検出可能な符号系列とデータ系列を組み合わせるものである。これにより、受信側では正しく受信できたスロットの順序情報がわかるので、伝送に失敗したスロットの再送信要求を速やかに行え、従来のようなフレーム同期を取る必要がなくなった。正しく受信できたかの確認は、符号系列から予測できる順序情報と実際に受信したスロットの順序情報との比較、加えてスロット内の誤り検出により行い、従来のように誤り訂正を行う必要はない。(図3)。
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図3 本技術開発の特徴
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今回試作したキロヘルツ帯PLC(図4)は型式認定を取り、スパイク状雑音の激しい蛍光灯製品と、抵抗(インピーダンス)変動の激しい充電器製品を対象として、市販のキロヘルツPLCモデムとの比較実験を行った。蛍光灯では市販モデムよりも20~45デシベル小さい送信信号でも通信可能であることを確認した。充電器では同じ出力パワーにおいて、市販PLCモデムよりも大幅な通信速度の向上を確認した。
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図4 試作機
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今回は物理層の方式設計の有効性を実証できたので、今後はMAC層のソフトウェア開発を中心に行う。屋外での様々なケースでの性能評価実験を増やし、そこでの知見を新たな試作機の開発にフィードバックする予定である。また、屋内だけではなく屋外でも使用可能というキロヘルツ帯PLCの利点を活かしたアプリケーションでの性能評価に取り組む。キロヘルツ帯PLCの応用は多岐にわたると予想される。
例えばリコール家電機器のトレーサビリティである。所在がわからないリコール機器でも、PLCを家電機器に内蔵し、識別番号を通知する機能を付加すれば、使用時に電源コンセントに接続した時点でその所在を知ることができる。また地震が起こった際に、地下やビルなど無線では届きにくい環境下でのPLCによる電熱系家電の遮断や非常出口の開放といった制御を行うことが期待される。他にも気象、大気等の環境モニタリング、防災での各種センシングといった無線による通信機器が設置しにくく、電力線しかないような自然環境下でのPLC利用が期待できる。