独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)セルエンジニアリング研究部門【研究部門長 三宅 淳】弓場 俊輔 研究員(現 独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)、川﨑 隆史 研究員、藤森 一浩 研究員、出口 友則 研究員は、京都大学放射線生物研究センター 亀井 保博 助教(現 大阪大学)、名古屋大学大学院理学研究科 高木 新 准教授、東京大学大学院薬学系研究科 船津 高志 教授と共同で、顕微鏡下で赤外線レーザー照射によって単一の細胞を加熱して、熱ショック応答を引き起こし、単一細胞内で調べたい遺伝子を発現させる方法(IR-LEGO顕微鏡)を開発した。
ほとんどの生物は熱ショックに応答して遺伝子発現のスイッチをON状態にする遺伝子配列をもつ。この遺伝子配列に解析したい遺伝子をつないでおけば、細胞を加熱することで解析したい遺伝子を発現させることができる。しかし加熱し過ぎると細胞は死んでしまうため、ねらった細胞だけを熱ショック応答させる温度範囲に加熱する必要がある。これまで単一細胞の温度を測定する方法はなかったが、今回、緑色蛍光タンパク質(GFP)を利用してこれを実現した。GFPは温度変化によって蛍光強度が変化するため、赤外線レーザーで単一細胞の加熱される様子を蛍光強度から解析し、光強度を制御して単一細胞だけに熱ショック応答を起こさせることに成功した。その例として動物の発生や分化の研究に用いられている線虫(長さ1mm)を材料にして単一細胞での遺伝子発現を確認した。
この新しい顕微鏡技術により、広範な生物のさまざまな遺伝子を「ねらった単一細胞内」で発現させ、生きた生物の中でその機能を解明することができるようになった。
本研究成果は、米国の科学雑誌『Nature Methods』(2009年1月号)に掲載されるに先立ち、オンライン版(日本時間2008年12月15日)に掲載される。
IR-LEGO顕微鏡システム
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IR-LEGOを用いて1つの細胞だけを温めることでGFPを発現させた線虫の神経細胞。 右側の丸い大きな緑の輝点が神経細胞の細胞体、そこから左に細い神経軸索が伸びている。
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さまざまな生物でゲノムプロジェクトが進み、多くの新しい遺伝子の存在が明らかになるとともに、包括的な遺伝子機能解析がプロテオーム解析(ある生物がもつすべてのタンパク質の網羅的な解析)をはじめ、さまざまな方法で進められている。遺伝子機能の解析は生命科学の発展のために必要不可欠であるだけでなく、その先には生命メカニズムの理解を通じた「病態解明」や、「創薬」そして、生命原理を応用した新たなアルゴリズムの開発といった社会への研究成果の還元へとつながる。
しかし、現在の遺伝子機能解析は物質としてのタンパク質(遺伝子発現の産物)の分子相互作用や、組織ごとの発現パターンからの機能予測といったいわゆる「試験管内」での解析が主であり、生きた生物個体内での機能を反映しているかどうかを証明することは難しい。したがって遺伝子機能解析を「生体内」で、つまり、実際に遺伝子が働く細胞内で、遺伝子を発現させることで本来のその役割(機能)を直接的に証明する方法を開発する必要があった。
レーザー光を細胞に照射することで遺伝子を発現させるアイデア自体は10数年前からあった。しかし、これらは波長の短い光を使用した細胞焼殺装置を転用し、弱い光で細胞を少しだけ傷つける方法であり、一時的に細胞は遺伝子発現するが、光によるダメージはその後の細胞分裂などの正常な活動を妨げることから、実際には有効な手段とはならなかった。
研究グループは、新たに遺伝子発現のために特化した顕微鏡の開発に乗り出した。まず用いる光の波長は、細胞を傷つけることなく効率よく加熱できることを念頭にして、細胞成分の半分以上を占める水の吸収波長である赤外線領域を選択した。
レーザー照射による微小領域の加熱特性(時間経過による温度変化および微小領域の温度分布)の解析を重ねてきたが、顕微鏡下で細胞の温度が変化する状況を測定する温度計などは存在しなかった。そこで、緑色蛍光タンパク質(GFP)の蛍光物質としての性質を利用することで細胞の加熱特性の解析を行うことにした。まず、GFP蛍光の温度依存性から研究をスタート(産総研および京都大学が担当)し、装置の重要評価項目である赤外線照射時の三次元温度分布測定を可能にした(東京大学が主に担当)。最終的には装置が実際に生体で使用可能かどうかの試験を遺伝子導入した線虫で行った(名古屋大学が主に担当)。
なお、本研究は独立行政法人 科学技術振興機構のさきがけ(PRESTO)および、独創的研究成果育成事業の支援を得て行ったものである。
ほぼすべての生物がもっている熱ショックに反応する細胞機構に着目し、顕微鏡下で赤外線レーザーを照射してねらった細胞だけを加熱、それによって起こる熱ショック応答により調べたいタンパク質を作らせる方法を開発した。これを赤外線レーザー誘起遺伝子発現操作法 Infrared laser evoked gene operatorから、IR-LEGO顕微鏡と名付けた。
赤外線(波長1480nm)は紫外線や可視光線と異なり細胞への障害(紫外線などは細胞のDNAの損傷などを起こす)がほとんどない上、効率よく水分子を温めることができる。しかし加熱し過ぎると細胞は死んでしまうため、厳密な温度制御が要求される。つまり、加熱に伴う細胞の温度変化(時間的温度変化)を測定し、ねらった細胞のみが熱ショック応答を起こす温度範囲に保ち、隣の細胞は加熱し過ぎないという、微細な「三次元温度分布」を達成しなければならない。そのためには顕微鏡下の微細領域の温度変化を測定する技術が不可欠だった。
研究グループは緑色蛍光タンパク質(GFP)を温度計として利用してこれを実現した。分子生物学の研究においてGFPは遺伝子の形で細胞内に導入され、調べたい遺伝子が発現したときにGFPも合成されるようにしておき、その緑色蛍光から遺伝子が発現したか否かを見るために広く使われている。一方GFPは温度変化によって蛍光強度が変化する性質をもつ。今回、この性質を利用して、赤外線で局所的に加熱し蛍光強度の減少をビデオ記録して、蛍光強度の減少量から温度を算出した。さらに空間的な熱の広がり具合を顕微鏡レベルで解析し、単一細胞でだけ熱ショック反応を起こさせる温度範囲に加熱を制御することに成功した。
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図1 GFPを発現させた大腸菌(長さ約1µm)に赤外線レーザー照射した時の連続顕微鏡像(蛍光強度の低下を強調している)。矢印↑の大腸菌にだけ赤外線レーザーを照射する(ON)と蛍光強度が低下し、その大腸菌だけの温度が上昇したことがわかる。
下のグラフは蛍光強度減少から計算した大腸菌温度の時間変化。レーザー照射により瞬時に温度がジャンプすることがわかる。
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図2 線虫(C. elegans)
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次に、この顕微鏡を利用して実際に生きている線虫(C. elegans)の単一細胞で遺伝子発現を起こさせてみた。線虫(長さ1mm)は動物の発生や分化の研究によく利用される実験動物で、成虫では1000個ほどの細胞から成り立っているが、幼少の各細胞の運命(将来どのような体の部分になるか)が分かっている。そのうち遠位端細胞(DTC)と呼ばれる細胞は体の中を移動しながら生殖器官を作り上げる。DTC細胞の移動方向は別の細胞で発現している細胞誘導にかかわる遺伝子(UNC-6)によって制御されており、UNC-6遺伝子が欠損した線虫の変異体ではDTC細胞の移動もおかしくなり、正常な生殖器官が形成されない。
このUNC-6欠損変異体に、熱ショックでUNC-6を発現する遺伝子を導入し、本来UNC-6を発現するはずの細胞に赤外線を照射してその細胞にだけUNC-6を発現させると、DTC細胞は高い確率で正しい方向に移動できるようになり正常な生殖器官を形成した。この実験は、UNC-6にはこの細胞において特定の時期に発現することでDTC細胞の移動を誘導するという本来の機能があることを、初めて直接的に証明したものである。他の細胞でUNC-6を発現させてもDTC細胞の移動を正しく誘導しなかった。このようなことは試験管内の実験では証明することはできないことであり、今回開発したIR-LEGOの技術が生体の細胞内における遺伝子の機能解析に大変有効であることを示している。
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図3 IR-LEGOによる赤外線照射でUNC-6遺伝子の発現(GFPも発現)を誘導させた線虫の筋細胞(右下↓緑色蛍光部分)と、UNC-6の発現により正常(弓型)に形成された生殖腺(左)。
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今後は将来の医学応用を視野に入れ、より人に近い脊椎(せきつい)動物での応用が重要になるため、メダカを中心に応用を検討する。そして、基礎研究のためにも他の生物への応用にも協力する体制を整える。
線虫だけでなく、メダカ、ゼブラフィッシュ、ショウジョウバエでの応用研究をスタートさせている。これらはモデル動物と呼ばれ、ゲノム情報や遺伝子機能の研究情報が蓄積されており、人の疾患モデルとなりうる実験動物である。将来的にはこれらの動物を使って、脳のごく限られた領域だけにある神経細胞で働く遺伝子の機能を個々に調べることで、パーキンソン病などの神経疾患の分子・細胞レベルでの病態の解明につながる研究の強力なツールとなると考えている。