独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)環境管理技術研究部門【研究部門長 原田 晃】計測技術研究グループ【研究グループ長 田尾 博明】 青木 寛 研究員は、複数のキャピラリー(毛細管)を吐出口とし、その間隔を自由に変えて微量液体試料を分注できるアレイスポッターを開発した。
近年、質量分析装置やDNAマイクロアレイなど、生体関連物質を多数網羅的に分析する技術が広まっている。また、患者由来の検体をこれらの装置で分析しやすい形態に前処理する技術開発も進んでいる。しかしながら、前処理した後の液体試料を分析装置に導入する、いわば装置を“つなぐ”技術については、従来の方法では迅速性に欠け、微量液体試料の取り扱いが難しく分注精度も低いため、分析技術全体のパフォーマンスが著しく損なわれていた。
今回、8本のキャピラリーを吐出口とし、その間隔を自由に変更できる分注ヘッドを開発し、ナノリットルレベル(ナノは10億分の1)の多数の極微量液体試料を高精度かつ迅速に分注できるアレイスポッターを作製した。これにより、環境やバイオ、医療の分野におけるDNAマイクロアレイあるいはソフトイオン化質量分析法などで、多数の検体を迅速かつ網羅的に分析・診断できるようになると期待される。
本研究成果の一部は、2008年10月20、21日に産総研つくばセンターで開催の「産総研オープンラボ」で公開する予定である。(詳細情報:「ハイスループット分析のための微量サンプル高集積スポッタ」として研究室公開予定)
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今回開発した、キャピラリー間隔を自由に変更できる分注ヘッド
キャピラリーを支持するアームを開閉することで、キャピラリー間隔を自由に変更可能。
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近年、生体関連物質を網羅的に分析する技術が成熟しつつあり、創薬分野における医薬品代謝物の分析など研究室での利用に留まらず、集団検診で採取した検体の検査など臨床検査の一環として利用されるケースも目立ち始めている。一方、患者由来の検体を装置で分析しやすい形態に前処理する技術開発も進んでいる。この前処理技術では検体管理システムや自動分注装置を始めとするラボオートメーション技術が主に活躍しており、マイクロプレート上で望みの液体試料を望みの量だけ効率良く、しかも確実に取扱うことが行われている。しかしながら、前処理装置と分析装置とをつなぐスポット技術が未熟であり、迅速性に欠け、微量液体試料の取扱いが困難で精度も低いため、分析装置の性能を十分に生かせず分析全体の効率を大きく下げていた。今後、創薬分野や集団検診など、より多数の検体の高速スクリーニングが必要な分野では、網羅的分析技術のさらなる向上が望まれている。
化学物質の最適なリスク管理を実現するための評価・計測手法の開発が強く望まれる中、環境管理技術研究部門では環境診断技術を始めとする網羅的分析技術の開発に取り組んできた。このような分析技術は一般的に試料前処理装置とのスムーズな連携が肝要であるが、従来の分注技術では、マイクロプレート上のウェル(凹み)から分析装置の試料基板上に液体試料を分注する場合、分注の迅速性と分注の高精度・集積度とが互いに打ち消しあうトレードオフの関係になり、分析技術全体のパフォーマンスを著しく制限していた。そこで、網羅的分析技術の発展には新しい分注技術の開発が不可欠であると考え、迅速・高精度・高集積を同時に実現するアレイスポット技術の開発研究を進めた。
今回、キャピラリーを吐出口として用い、複数のキャピラリーの間隔を自在に変更できる仕組みを考案した。これにより、市販の全てのマイクロプレートに対応し、異なる配列規格で作製された試料容器-試料基板間をフレキシブルにつなぐことで、液体試料の迅速な同時分注が可能となった。また、キャピラリー間隔を最大9 mmから最小0.9 mm(キャピラリー外径:360 µm)の間で拡大縮小させることができた。さらに、キャピラリー先端から試料溶液を吸引・吐出するためにキャピラリーにシリンジポンプを接続して送液系を構築した。その際送液系内部の残留空気を完全に除去することで、液体試料の分注量を小スケールから大スケールまで自由に選択できるだけでなく、ナノリットルレベルという高精度な極微量分注も実現した。すなわち、微量の液体試料を高精度かつ高集積度で迅速に分注できる技術開発に成功した。
従来の分注技術では、吐出口にピペットチップ、ピン、ニードルおよびインクジェットヘッドを用いている。そのうちのピペットチップ式、ピン式、ニードル式の分注技術では、マイクロプレート間での吐出や分注を主な目的としており、試料基板の大きさやスポット間隔など配列規格がマイクロプレートと異なる場合には、装備した吐出口の全てを使用できず、分注工程が分析全体の効率低下を招いていた。また、近年開発されたインクジェットヘッド式の分注技術は、微量液体試料の高精度な吐出が可能であるが、吸引は技術的に不可能であり、吐出する液体試料を予め分注ヘッド内に充填しておかねばならないため、マイクロプレート上の液体試料を対象とした多検体処理にはそもそも適していない。今回開発した技術では、マイクロプレートから複数の液体試料を同時に吸引した後、キャピラリー間隔を変更することで、任意の間隔で直接試料基板上に複数の液体試料を分注することが可能である。
今回の分注技術では従来よりも微量の液体試料を取扱えるようになり、同時に分注精度も向上した。従来の容量可変な分注技術であるピペットチップ式では最少分注量500 nL、分注量の相対誤差は500 nL分注時で5~8%(25~40 nL)である。また、従来の固定容量スポット技術であるピン式では、最少分注量は数nLであるものの相対誤差は数十%と大きい。ニードル式は両者の中間的な性能を持つ。これらに対し、本アレイスポッターの最少分注量は10 nL、相対誤差は20 nL分注時で2.7%(0.54 nL)である(表1)。すなわち本技術を用いれば、個々の分析に必要な試料量が少量となるため、より多種類の検査を繰り返し行うことが可能で、精度の高い分析・診断が容易になると期待される。
表1 本アレイスポッターの分注精度
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20、50、100 nLの水溶液をスポットした場合の相対誤差と分注量誤差(計算値)。
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本アレイスポッターを用いて、高速な分析技術として現在注目を浴びつつあるソフトイオン化質量分析法への応用を試みた。その代表的な方法であるMALDI-TOFMS(マトリックス支援レーザー脱離イオン化飛行時間型質量分析法)では、現行の分注技術により1スポットあたり500 nL程度の液体試料を用いており、試料基板上での試料の広がりを考慮すると、スポット径は2 mm程度、分注間隔は4~5 mm程度までになっていた。これは、通常のMALDI-TOFMSに装備されているレーザー照射径である100~300 µmと比較すると明らかに過大であり、測定に供されない無駄なスペースが試料基板上に存在していることになる。本装置を用いて現行よりはるかに狭い間隔で試料分注を行うことで、試料基板や分析装置そのものの小型化に有効であることを確認した(図1)。
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図1 ソフトイオン化質量分析用に自作した小型試料基板上への8×8スポットアレイ(10 nL、1 mm間隔)
刻印のある下地は現行の試料基板で5 mm間隔。
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また、MALDI-TOFMSでは質量数のわかっている標準物質を液体試料に混合する内部標準質量校正法が一般的に適用されるが、プロテオーム解析やメタボローム解析など質量数や濃度が未知の試料を対象とする場合には、標準物質の最適化が困難であり障害となっていた。これを回避する方法として、試料基板上に標準物質と液体試料とを別々に塗布する外部標準質量校正法があるが、両スポット間の距離に依存して質量精度が著しく低下することが問題であった。そこで、本装置によりごくわずかな間隔で試料スポット近傍に標準物質を分注することで、高精度な外部標準質量校正が可能となり、迅速性が増し分析性能向上に有効であることを見出した。このように現行の質量分析装置は、従来の分注技術の規格に適合するようにいわば妥協して設計されており、本来の性能を十分に発揮できていないと思われるが、本アレイスポッターを用いれば、従来の試料前処理法の規格に対応しながら、よりコンパクトかつ高性能な試料基板や測定装置を利用することが可能になる。
微量液体試料を高精度かつ高集積度に迅速分注可能という本技術の特徴を生かすことにより、例えばDNAマイクロアレイに基づく網羅的遺伝子診断技術である個々人の体質に合ったテーラーメイド医療の実現に大きく貢献するものと期待できる。また、質量分析装置等で使用される試料基板をすばやくしかも簡便に準備することが可能となるため、劣化しやすい生体関連物質などの微量液体試料の迅速分注に大きく貢献できると考えられる。
今後はこのような応用の展開および分注量・キャピラリー間隔のさらなる微量化・微細化に努めるとともに、本技術に興味を持つ企業等と連携することにより、実用化研究を進める予定である。