発表・掲載日:2008/09/25

薬剤、膜タンパク質の網羅的機能解析を実現へ

-ゲノム、プロテオーム解析に替わる新しい立体配座コード解析-


【新規発表事項】

 独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO技術開発機構)の産業技術研究助成事業(予算規模:約50億円)の一環として、独立行政法人産業技術総合研究所 環境管理技術研究部門 励起化学研究グループ(茨城県つくば市)は、生理活性物質注1の立体配座コード化に世界で初めて成功しました。今後は、立体配座コード化された生理活性物質の機能発現に関する構造変化や代謝反応を網羅的に解析するためのソフトウェアを開発し、様々な有機化学物質のライブラリーを構築し、2018年を目処に立体配座コードの国際基準の採用を目指します。

 現在、ゲノム解析には核酸塩基注2簡易コード、プロテオーム解析にはアミノ酸注3簡易コードがありますが、環境中に存在する生理活性物質、特に薬剤や膜タンパク質などの複雑な環や枝分かれ構造を有する有機化学物質の分子全体を網羅的に解析するための簡易コードはありませんでした。本研究グループは、赤外円二色性注4分光法を使用して、環境中キラル注5化学物質の分子構造体の立体配座コード化を実現しました。立体配座コード化は、製薬企業から求められている薬事申請に不可欠なキラル合成医薬品の絶対配置を決定するための基盤ツールとして活用できるほか、抗体医薬注6を含む新薬の次世代設計・開発支援ツールとして応用が期待されます。

 2008年11月26日より東京ビッグサイトで開催される「全日本科学機器展in東京2008」にて、立体配座コードを活用したキラル医薬品絶対配置決定法を披露します。


立体配座コードの表示例の図

図1.立体配座コードの表示例(抗癌剤タキソールの場合)
(タキソールの構造は日本蛋白質構造データバンク(PDBj)から引用)

 抗癌剤(生理活性物質)の一つであるタキソールは化学結合が自由回転できるため理論上は図1で示した分子モデルを始めとする膨大な数の分子構造体が存在可能ですが、溶液中のフリーな状態では赤枠の分子構造体として主に存在することを世界で初めて実験的に証明しました。図1の分子構造体においてフラグメント注7(アルファベット部分)とそのフラグメントに含まれる結合の中から構造を指定するために選択された結合角度(数値部分)をアルファベットと数値の組み合わせによる簡易コードで表しました。溶液中のフリーな状態で最も存在比率が高い「bacc-233323」では、赤枠の分子構造体部分の中のアセトキシ基注8(Eの枝分かれ部分)がなす結合角度は数値5桁目の“2”で表されますが、タンパク質に取り込まれたタキソールでは数値5桁目の“5”で表される部分にあたり、溶液中のフリーな状態とは構造が異なることを示しています。この相同性の解析から、タキソールはタンパク質に取り込まれると水素結合注9が切断される構造変化を起こし、赤枠の分子構造体部分の水素結合がスイッチのような働きをしていることを発見しました。

(注1)生物に対して活性を有する、すなわち生物に作用することで生物体に何らかの変化を誘起し得る物質のこと。[参照元へ戻る]
(注2)核酸塩基は核酸 (DNA、RNA) を構成する塩基成分のこと。主なものにアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)がある。[参照元へ戻る]
(注3)アミノ基とカルボキシル基(カルボン酸構造 (R-COOH) の酸成分からなる官能基(-COOH)のこと)の両方の官能基を持つ有機化合物の総称のこと。生体のタンパク質を構成する最小ユニットを指す。[参照元へ戻る]
(注4)試料分子中にキラルな(不斉な)構造があると赤外領域の左右円偏光(偏光板を通過した直線偏光には左回り成分と右回り成分があるが、それぞれの成分のみを抽出したもの)に対する試料の吸収の差として観測される現象。[参照元へ戻る]
(注5)一時期サリドマイドの催奇性で社会問題化し認知されるようになった、2種類の鏡像関係の分子構造をとりうる性質のこと(例えば、右手と左手の関係)。[参照元へ戻る]
(注6)人が本来持っている免疫システムを活用した医薬品のこと。体内に侵入・発生した異物や微生物 (抗原)から細胞を守る「抗体」を人工的に作製し、医薬品として加工したもの。[参照元へ戻る]
(注7)タキソール特有のバッカチンIIIと呼ばれる特徴的な環骨格「bacc-」やtail(尾)と呼ばれる側鎖部分「tail-」等、分子構造中で一塊となっている小分子部品のこと。[参照元へ戻る]
(注8)カルボン酸の一つである酢酸構造 (CH3COOH) の酸成分から水素(H)がはずれた官能基(CH3COO-)のこと。[参照元へ戻る]
(注9)窒素、酸素、硫黄、ハロゲンなどの原子(陰性原子)に結びついた水素原子が、近傍に位置した他の原子の孤立電子対とつくる引力的相互作用のこと。タンパク質が二次構造以上の高次構造を形成する際、あるいは核酸が二重らせん構造を形成する際の重要な駆動力となっている。[参照元へ戻る]



1.背景及び研究概要

 ポストゲノム創薬の観点から、生理活性物質の機能発現に関与する構造変化、それに続く代謝反応を網羅的かつ簡便に解析できる手法の確立が求められています。既に、遺伝子情報についてはゲノム解析(核酸塩基簡易コード)、タンパク質の機能発現については、プロテオーム解析(アミノ酸簡易コード)によって簡易コード化されていますが、環境中に存在する生理活性物質、特に薬剤やタンパク質などの複雑な環、枝分かれ構造を有する有機化学物質の分子構造を網羅的に解析するための簡易コードはありません。簡易コード化するための立体配座自体はIUPAC(国際純正・応用化学連合)により1970年代に定義されていたものの、分子構造全体をどのように表すかは示されていませんでした。有機化学物質の分子構造の解析には、主にX線結晶構造解析や核磁気共鳴(NMR)分光解析が利用されてきましたが、数値化あるいはコード化されていないため、無数に存在する分子構造の違いを網羅的に比較するのが難しいという課題がありました。

 本研究グループでは、赤外円二色性分光法を用いて環境中キラル化学物質の解析を進める中で、溶液中においてキラルアルコールの直鎖アルキル鎖注10炭素数による偶奇効果注11を観測することに成功し、キラル化学物質の分子構造体をアルファベットと数値を用いてコード化(立体配座コード化)できることを見出しました。この発見に基づく立体配座コードの応用として、薬事申請に不可欠なキラル合成医薬品の絶対配置決定ツールや、抗体医薬を含む新薬の次世代設計・開発支援ツールなどへの活用が期待されます。将来的には、2018年度目処に立体配座コードの国際基準としての採用を目指して取り組んで行きます。

(注10)鎖状に繋がった構造の炭化水素基のこと。[参照元へ戻る]
(注11)アルキル鎖炭素数(n)が偶数か奇数かにより分子配向注12や物性が変化する現象。 [参照元へ戻る]
(注12)高分子、薄膜、液晶などにおいて分子が並ぶことで形成された分子集合体の中の分子がなす向きのこと。
[参照元へ戻る]

2.競合技術への強み

 本技術の特徴は以下の通りです。

表1 本技術(コンフォモーム)とゲノム、プロテオームの特徴

 
簡易コード
対象
特徴・制約
コンフォモーム注13
【本技術】
立体配座コード
bacc-233323等)

化学物質(立体配座異性体)全般
薬剤、代謝物質を含む化学物質の構造変化の網羅的解析
ゲノム 核酸塩基簡易コード
(A, G, C, T)

遺伝子(ジーン)のみ
遺伝情報の網羅的解析に特化
プロテオーム アミノ酸簡易コード
(GLY, ALA, VAL等)

タンパク質のみ
機能発現に係るタンパク質の網羅的解析に特化
  1. 生体分子、生理活性分子に限らず、これまで困難であった高分子、液晶、超分子、有機ナノ材料等の3D分子構造を持つ有機化合物の立体構造を立体配座コード化(簡易コード化)して表現(測定)することができます。
  2. これまで分子は3Dでの重ね合わせでしか構造の違いを比較できませんでしたが、立体配座コード化により細部にわたって相同性の比較を行うことができ、構造の違いを視覚的に解析できます。
  3. 立体配座コード化することで、生理活性物質の機能発現に関与する構造変化、それに続く代謝反応を網羅的かつ簡便に解析することができるようになります。
  4. 将来的には、構造活性相関解析の精度を高めることで環境中化学物質のベネフィット-リスク評価への活用にも期待されます。

(注13)本研究グループが提唱。conformer(立体配座異性体)+ -ome(総体(オーム))をあわせた造語。[参照元へ戻る]

3.今後の展望

 今後は、生理活性物質の機能発現に関与する構造変化、それに続く代謝反応の網羅的解析を行うための立体配座コード化を進めます。具体的には、機能発現に関与する生理活性物質や膜タンパク質の分子構造データから立体配座コードを自動変換するソフトウェアの開発に興味を持つ企業や研究開発機関との協働で生理活性物質-膜タンパク質間相互作用の立体配座コード解析システムを構築して行きます。将来的には、環境中化学物質のベネフィット-リスク評価に活用することを視野に技術開発を進め、立体配座コードをコアとしたブレークスルーを起こしたいと考えています。

4.その他

(1)研究者の略歴
 1995年 東北大学大学院理学研究科前期課程化学専攻修了、1995-2001年 通商産業省工業技術院資源環境技術総合研究所大気圏環境保全部研究員、2001-2004年 独立行政法人産業技術総合研究所環境管理研究部門研究員、2004-2005年 独立行政法人産業技術総合研究所評価部リサーチャー、2005-現在   独立行政法人産業技術総合研究所環境管理技術研究部門研究員
東北大学理学博士(有機化学)取得

(2)受賞
 第22回 独創性を拓く 先端技術大賞、企業・産学部門 特別賞
 (表彰制度HP: http://www.fbi-award.jp/sentan/jusyou/index.html

5.問い合わせ先

(1)技術内容について
 産業技術総合研究所 環境管理技術研究部門 励起化学研究グループ:和泉 博
 TEL:029-861-8636 FAX:029-861-8866
 e-mail和泉連絡先
 研究紹介HP: http://staff.aist.go.jp/izumi.h/ 産業技術総合研究所 環境管理技術研究部門 励起化学研究グループ

(2)制度内容について
 NEDO技術開発機構 研究開発推進部 若手研究グラントグループ
 村上、松崎、千田
 TEL:044-520-5174  FAX:044-520-5178
 個別事業HP:産業技術研究助成事業(若手研究グラント)(http://www.nedo.go.jp/itd/teian/index.html

6.参考





お問い合わせ

お問い合わせフォーム