独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)ナノチューブ応用研究センター【研究センター長 飯島 澄男】カザウィ・サイ(Said Kazaoui)主任研究員とナノテクノロジー研究部門 研究部門長 南 信次は、選択的に抽出した高純度の半導体単層カーボンナノチューブ(以下「SWCNT」という)を用いた高性能トランジスタを開発した。
優れた電気的特性を持つSWCNTを、トランジスタに応用するためには、高純度の半導体SWCNTを用いる必要がある。今回、ポリフルオレン(以下「PFO」という)という共役高分子を分散剤に用いて、SWCNTを溶液中に分散し、次いで、超遠心分離を行うことにより、極めて高純度の半導体SWCNTを分離・抽出した。さらに、共役高分子を除いた後、半導体SWCNT分散液をシリコン基板等にコーティングすることにより、SWCNT薄膜を形成することにも成功した。この高純度半導体SWCNT薄膜を用いて作製したトランジスタは、On/Off比105以上、移動度2cm2/Vs以上、という優れた特性を示した。本成果は、量産に適した溶液プロセスによるSWCNT薄膜トランジスタの実現に大きく貢献するものと期待される。
本研究成果は、2008年6月9日に、米国物理学会発行のApplied Physics Letters誌のオンライン版に掲載される予定(日本時間6月10日)。
※ Appl. Phys. Lett. 92(24), 243112 (2008) に掲載
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図1 SWCNTの分散、超遠心分離の手順と、SWCNTトランジスタ
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近年、電気的特性や機械的特性が優れるSWCNTが次世代のナノ電子デバイス材料として注目を集めている。特に、半導体SWCNTを用いたトランジスタは高移動度・高速・透明なトランジスタとして期待されている。既に、一本の半導体SWCNTを用いた高性能トランジスタが報告されているが、一本のSWCNTでトランジスタを作るには多大な手間とコストを要し、実用的なデバイスにつなげることは極めて困難である。一方、SWCNT薄膜を用いるトランジスタは、低コストで量産性に優れ、大面積化も容易なことから、実用的なデバイスを実現する方法として有望視されている。しかし、一般にSWCNT原料には、半導体SWCNT以外に、金属SWCNTや不純物が多く含まれる。極微量の金属SWCNTや金属性不純物が混入するだけで、トランジスタの性能は著しく低下するため、極めて高純度の半導体SWCNTを分離・抽出する技術の開発が強く望まれていた。
産総研では、SWCNTを用いた電子デバイスを実現するためには、その分散化・薄膜化技術の確立が必須と考え、さまざまな手法によるSWCNT分散液やSWCNT薄膜を開発してきた。共役高分子を用いる分散化・薄膜化手法も成果の一つであり、本手法によるSWCNT薄膜を用いた光電変換素子や電界発光素子を2005年に報告した。そこでは、ポリフェニレンビニレン系の共役高分子を用いて分散を行い、通常の遠心分離によって不溶成分を除去した後、SWCNT薄膜を形成した。その後、2007年になって、英国の研究グループが、産総研の開発した分散化手法を、別種の共役高分子であるPFOに適用し、遠心分離後の上澄み液中には、半導体SWCNTが選択的に分散していることを報告した。しかし、高純度半導体SWCNTの抽出や薄膜化には至らなかった。産総研は同グループの実験結果を追試により確認した上で、さらに作製したSWCNT分散液に超遠心分離を施すことにより、極めて高純度の半導体SWCNTを分離・抽出し、次いで、半導体SWCNTを薄膜化する研究に取り組んできた。
高純度の半導体SWCNTを選択的に抽出する手順は以下の通りである。市販のSWCNT原料粉末(直径0.8-1.2nm)とPFOを有機溶媒中で混合し、超音波によって強力に分散する。(なお、原料粉末中には半導体SWCNT、金属SWCNTの他に、炭素性不純物や触媒由来の金属性不純物が含まれている。)生成した黒色の分散液を、超遠心分離機(加速度15万g=地表の重力の15万倍)にかけると、上澄み液中に、良好に分散した半導体SWCNTだけが残り、他の成分(金属SWCNT、分散が不十分な半導体SWCNT、不純物)は、すべて容器の底に沈殿する。これは、PFOが、半導体SWCNTだけを選択的に分散させるためである。
金属SWCNTが沈殿する過程を、上澄み液の吸収スペクトルを測定することによって追跡した。図2のスペクトルの四角で囲った部分には金属SWCNTによる信号、それよりも長波長側には半導体SWCNTによる信号が現れることが知られている。選択性のない分散剤(界面活性剤)を用いた場合(青線A)には、両者の信号(細かいピーク群)はほぼ同等の強度となっている。一方、PFOを用いた場合(赤線B、黒線C)には、金属SWCNTの信号がほとんど現れない。詳細に検討すると、超遠心時間が30分の場合(赤線B)には、ごくわずかに金属SWCNTの信号が残っているが、超遠心時間が60分の場合(黒線C)には、金属SWCNTの信号は完全に消失していることがわかった。すなわち、PFOを用いて分散し、さらに60分の超遠心分離を行うことによって、金属SWCNTの濃度を検出限界以下にできた。また、バックグラウンドの吸収は炭素性不純物によると思われるが、A→B→Cの順で、大幅に減少しており、金属SWCNTだけではなく不純物も除去できることがわかる。
図2 超遠心分離後の上澄み液の吸収スペクトル: 青線Aは、選択性を持たない分散剤(界面活性剤)を用いた場合、赤線Bと黒線Cは、PFOを用いた場合で、Bは遠心分離時間が30分、Cは同60分。
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図3 トランジスタを流れる電流(ID)が、ゲート電圧(VG)によって制御される様子。Cの場合、電流が5桁以上変化する(On/Off比105以上)のに対し、Bの場合は、高々5-6倍の変化にとどまる。これは、Bに極微量残留する金属SWCNTや不純物が、トランジスタの性能を著しく低下させるためである。
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図4 半導体SWCNTトランジスタの詳細な特性(チャンネル幅:400µm、チャンネル長:5µm、シリコン酸化膜厚:500nm):(a)ドレイン電流(ID)対ゲート電圧(VG)曲線、On電流値(ION)、Off電流値(IOFF)、およびThreshold Slope(Sp)。(b)ドレイン電流(ID)対ドレインーソース電圧(VDS)曲線、ゲート電圧(VG)は-15V、-20V、-25V、-30V。
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このように作製した半導体SWCNT分散液には、分散剤であるPFOが多量に残存している。SWCNTトランジスタを作製するためには、残存するPFOを取り除く必要がある。ろ過、洗浄、加熱処理等の手法を組み合わせ、最適な条件を探索することにより、大部分のPFOを除去することに成功した。また、スピンコート等による薄膜化の条件についても検討を行い、PFO残存量が少なく、かつ高品質な半導体SWCNT薄膜を作製することにも成功した。
半導体SWCNTのスピンコート薄膜から作製したトランジスタの特性の一例を図3に示す(図2の上澄み液BとCから作製したもの)。これはゲート電圧の変化によって、流れる電流をどの程度制御できるかを示すもので、トランジスタとして最も重要な特性の一つである。黒線Cの場合には、電流が5桁以上変化する(On/Off比105以上)のに対し、赤線Bの場合には高々5-6倍しか変化しない(対数目盛りに注意)。これは、Bの中に残存する極微量の金属SWCNTや不純物によって漏れ電流が生じ、トランジスタの特性を著しく低下させるためである。すなわち、優れたトランジスタ特性は、60分の超遠心分離を行い、金属SWCNT等を検出限界以下にまで除去したことによって初めて実現したものである。On/Off比105以上という結果は、溶液プロセスで作製したSWCNT薄膜トランジスタとしては、これまでで最高の性能である。同じ方法で作製した10個のトランジスタのうち、5個が105以上のOn/Off比を示し、他は103-104程度であった。このように、現時点ではデータ再現性は不十分ではあるが、製造プロセスの改善により向上できるものと考えている。半導体SWCNTトランジスタの詳しい特性を図4に示しておく。
スピンコート法で薄膜を作製した場合、SWCNTはランダムな方向を向いている。これを一方向にそろえれば、さらなる特性の向上が見込まれる。そこで、誘電泳動法と呼ばれる手法を用いて薄膜化と同時に配向化を試みた。具体的には、あらかじめ作製した電極対(チャンネル幅:60µm、チャンネル長:5µm)の上に、半導体SWCNT分散液を滴下し、電極間に交流電場を加えながら溶媒を蒸発させた。交流電場の作用により、SWCNTが電極間に集中すると同時に電場方向に配向させることができた(図5)。この配向薄膜によるトランジスタの特性を評価したところ、On/Off比はスピンコート膜と同程度で、伝導特性は向上していることが判明した。この結果から見積もった移動度は、2cm2/Vsという良好な値となった。この値は、従来報告されている溶液プロセスによるSWCNT薄膜トランジスタと同程度であるが、On/Off比が105と、従来に比して大きいことが実用上大きな利点である。
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図5 (a)誘電泳動法によってソース電極とドレイン電極の間に配向させたSWCNTネットワーク(AFM像)。(b)シリコン基板上に作製したSWCNTトランジスタ。赤丸部分を拡大したのが(a)のAFM像。
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今後は、半導体SWCNTの抽出効率向上を目指して、半導体SWCNTだけがPFOによって分散されるメカニズムを解明するための基礎的研究にも取り組む。一方、応用面では、基板の表面処理、電極材料の検討、SWCNT密度の増大、SWCNTの直径の最適化等を行うことにより、トランジスタ性能のさらなる向上を目指す。企業等と連携してこれらの研究開発をすすめ、SWCNTデバイスの実用化、用途開拓に向けた研究を推進する。
なお、産総研ナノテクノロジー研究部門では、SWCNTの分離技術として、密度勾配遠心分離法やゲル電気泳動法の開発も推進している。これらは、半導体、金属の両者が回収でき、収率が高いという利点がある。一方今回の手法は、現時点では収率は低いが、半導体SWCNTの純度が高いという利点がある。今後とも連携を保ちつつ、応用目的に応じた相補的な技術として発展させていく計画である。