独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)計測フロンティア研究部門【部門長 一村 信吾】ナノ移動解析研究グループ 藤久 裕司 主任研究員、本田 一匡 研究グループ長は、兵庫県立大学【学長 熊谷 信昭】(以下「兵庫県立大」という)との共同研究、および財団法人 高輝度光科学研究センター【理事長 吉良 爽】(以下「JASRI」という)との協力により、長年の謎であった固体酸素ε相の結晶構造の解明に成功した。
10GPa(ギガパスカル:ギガは10億倍)から96GPaの高圧力下で出現する固体酸素のε相は、27年前の1979年に発見され、これまで多くの実験と理論研究が行われてきたにもかかわらず、その構造は不明のままであった。産総研は、兵庫県立大およびJASRIと協力し、大型放射光施設SPring-8の高輝度放射光を用いた粉末X線回折実験と構造解析を行い、ついにその構造を決定することに成功した。
その構造の中には、これまで誰も理論予想しなかった4個のO2分子が集まったO8クラスター(図1)が存在することが発見された。これは二原子分子の新規形態、オゾンに次ぐ新しい酸素の形態として、元素の構造研究に大きな影響を与えると考えられる。
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図1 固体酸素ε相中で発見されたO8クラスターの構造
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分子性固体の分子解離や金属化の研究は固体物理学、地球惑星科学の長年のテーマとなっている。特に最も単純な分子である二原子分子、水素(H2)、窒素(N2)、酸素(O2)、フッ素(F2)、塩素(Cl2)、臭素(Br2)、ヨウ素(I2)の分子性固体の圧力誘起金属化過程や分子解離の研究は古くから注目されてきた。酸素については、これまでにも室温で酸素に圧力を加えると固化しβ相という状態をとり、さらに圧力を増すと9GPaでδ相、10GPaでε相へと相転移し、分子間相互作用の増大により、色がピンク(β相)、オレンジ(δ相)、赤(ε相)と、多様に変化し、初め赤であったε相の色は加圧と共に黒くなることが知られていた(図2矢印)。
最近になって、ε相の酸素を96GPaまで加圧するとさらに相転移を起こし、ζ相が出現することを兵庫県立大が発見した。このζ相は金属光沢を示し低温にすると超伝導特性を示すことが知られている。酸素分子O2は磁気モーメントを持つ数少ない分子であり、分子磁性と結晶構造、電子構造、超伝導との関連性において注目が集まっていたが、ε相の結晶構造は、多くの実験、理論研究にもかかわらず謎のままであった。
これまでの酸素の状態に関する研究では、酸素ε相の構造の候補としては、酸素分子O2がペアになったO4モデル(光学測定に基づく予測)や、O2が一次元的につながったチェーンモデル(理論計算による予測)が提唱されてきた。しかし、これらの構造モデルから計算される回折パターンが、これまでの実験で得られた回折パターンと一致せず、これらの構造モデルを疑問視する声が大きかった。
そこで、兵庫県立大、SPring-8/JASRI、産総研は、3機関が持つ技術をベストマッチングさせることで、これまで国内外の組織ではうまくいかなかった酸素ε相の粉末X線回折実験と構造解析に挑んだ。まず、兵庫県立大が持つ高圧実験技術は、常温常圧においては気体である酸素をダイヤモンドアンビルセルという高圧装置に封じ込め固体にする技術である。ただし、この技術で作成できる試料は極めて微量(直径60µm、厚さ30µm程度)である上に、酸素は軽元素であるためX線回折強度が弱く、質の高い回折パターンを得ることは難しい。しかし大型放射光施設SPring-8高圧構造物性ビームラインBL10XUの高輝度放射光を利用することで、このような極微量な粉末試料からでも十分な強度と分解能を有する粉末X線回折パターンを得ることが可能となる。さらに産総研の特殊環境下で得られた粉末X線回折パターンから様々な手法で結晶構造を解く解析技術を用いることで、長年の懸案課題を解決できる見通しが得られると考えた。
酸素ε相の作成は次のように行った。まず、液体窒素で酸素ガスとダイヤモンドアンビルセルを冷却し、酸素を液化させる。液体酸素をダイヤモンドアンビルセル内の試料室に封入し、圧力を加えると液体酸素は固体になる。圧力を加えた状態なら温度が室温に戻っても酸素は固体状態で存在することができる。こうして得られた固体酸素粉末のX線回折パターンをSPring-8高圧構造物性ビームラインBL10XUにおいて測定した。
得られた粉末回折パターンから結晶構造を得るための解析の手順は以下の通りである。まず、酸素ε相の結晶構造は最も対称性が低い空間群P1であると仮定してシミュレーテッドアニーリング法で初期構造モデルを立てた。次に、その構造の持つ特徴を考慮しながら対称性を徐々に上げてゆき、空間群C2/mの構造モデルにたどりついた。最後にリートベルト法を用いて酸素ε相の構造を精密化したところ、得られた構造は、4個の酸素分子が箱状のO8クラスターが存在していることを示していた(図3)。
こうしてε相の構造は、これまで光学測定より予想されたO4モデルでも、また理論予測されていたチェーンモデルでもなく、O8クラスターを基調としていることが分かった。この構造は96GPaまで保たれていることも確認した。このような箱状のクラスターは、酸素で初めて発見されたのみでなく、これまであらゆる二原子分子において理論的にも実験的にも報告されていないユニークな形態である。
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図3 固体酸素ε相の11GPaでの結晶構造。(a)ab面への投影図。(b)ac面への投影図。酸素分子内結合距離は0.120nmである。O8クラスター内の結合距離(オレンジ棒線d1 )は0.234nm、クラスター間の距離(点線d2 )は0.266nmである。 |
今回3機関の連携により、固体酸素ε相の構造解析の成功に至った。このε相の構造を手がかりに、96GPa以上で出現する金属化かつ超伝導を示す酸素のζ相の構造解析を試みる予定である。これに成功すると酸素の金属化、超伝導の機構解明に重要な情報を与えることができる。また今回の二原子分子の新しい形態が発見されたことで、今後水素を初めとする他の元素の構造研究に弾みが付くと考える。
今回見つかったO8クラスターの形成機構はまだ明らかではないが、酸素分子間の電荷移動または酸素分子の持つ磁気モーメントが重要な役割を果たしていると思われる。この機構についての解明も行っていく。