独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)健康工学研究センター【センター長 国分 友邦】生体ナノ計測チーム 石川 満 研究チーム長、ラジャン ジョセ 産総研特別研究員(現在、豊田工業大学 物質工学分野 博士研究員)および、国立大学法人 東北大学【総長 吉本 高志】大学院理学研究科化学専攻 福村 裕史 教授、ノルボシン ザンペイソフ 助手は、CdSeの量子ドットのコロイド合成法において、結晶核の生成とそれに続く結晶成長過程を初めて実験および理論の両面から系統的に解析し、結晶成長の初期過程における結晶のサイズと構造および光吸収特性の関係を解明することに成功した。
いままで量子ドットのサイズ、構造と機能の関係は不明であったが、従来法よりも低温(200℃以下)で合成することによって、反応時間を遅くし(~40分)、反応の途中経過を光吸収スペクトルよって追跡できるようにした。結晶核が形成される核生成過程と、その結晶核が成長する結晶成長過程を区別して観測することに成功し、さらに、計算化学により結晶の形成と成長の過程における結晶構造と光吸収特性の関係を解明した。図1に計算で推定した結晶構造を示す。
量子ドットに代表されるナノスケールの電子材料を設計・創製するためには、物理的に現実的なナノ構造とその機能との関係を適切に把握しておくことは極めて重要である。本研究によってサイズと光吸収波長だけでなく、構造と光吸収波長の関係が明らかになった。これにより、構造と機能の関係の評価法の確立につながるものと考えられる。また、本研究成果は、米国化学会誌(Journal of American Chemical Society)に掲載された(2006年2月)。
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図1. 計算によって推定し、物理的に妥当であることが確認されたCdSeの結晶構造。
(A) (CdSe)3、(B) (CdSe)6、(C)(CdSe)13、(D)(CdSe)16。
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健康工学研究センターでは、疾患に関係する生体分子を検知して診断に役立てるため、生体分子を1分子レベルでリアルタイムイメージングする技術の開発を目指している。生体分子を可視化する方法である蛍光標識技術開発の一環として量子ドット技術を開発している。
生体ナノ計測チームでは、前身の単一分子生体ナノ計測研究ラボが設立された2002年以来、CdSeを中心として、蛍光性半導体量子ドットの調製からその生体分子標識、細胞の可視化の研究までを幅広く展開して現在に至っている。生体分子標識応用のみならず、独創的な合成方法を見出し(特願2004-129843)、またその方法を用いて得られた従来知られていなかった、蛍光プローブとして有用な新規な物性を発現させることにも成功している。この研究は、文部科学省科学研究費 特定領域研究「極微構造反応」(H16-18)の一環として行われた。
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図2.代表的な3種類の量子ドットの直径-極大波長の検量線
Yu, W. W., Qu, L., Guo, W. Peng, X.Chem. Matter 2003, 15, 2854.
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コロイド法で調製した半導体量子ドットのサイズと光吸収スペクトルの長波長側で観測される
HOMO-LUMO遷移と呼ばれる特徴的な極大波長の間には相関があることが経験的に知られていて、その結果は、図2に示すサイズ-極大波長の検量線としてまとめられている。しかし、構造に関する情報が欠落していたために、量子ドットのサイズと構造および機能の関係が不明なままであった。例えば、直径が~2CdSe量子ドットは~75個のCdSe単位から構成されるという報告、あるいは37-125個の範囲のCdSe単位が含まるという報告がある。これらの結果は、サイズを特定しただけではCdSe単位の個数がはっきりと定まらないことを示している。
本研究では、量子ドットの結晶構造を計算化学の手法を用いて推定した。さらに、この結晶構造が非現実的なものではなく、物理的に妥当な構造であることを、(i)推定された構造が与えるHOMO-LUMO遷移波長と実験で得られたHOMO-LUMO遷移波長がよく一致すること、(ii)HOMO-LUMO遷移波長に対応する結晶のサイズと計算した結晶構造のサイズがよく一致することによって示した。例えば、直径~2nmのCdSe量子ドットでは16個のCdSe単位を含んでいることが示された。
【CdSe量子ドットの調製】
カドミウム前躯体は酸化カドミウムをオレイン酸(CH3(CH2)7CH=CH(CH2)7COOH)に溶解して調製する(Cd:oleic acid)。セレン前躯体はセレンを配位性溶媒の一種トリオクチルホスフィン(TOP:[CH3(CH2)7]3P)に溶解して調製する(TOP:Se)。ついで、Cd:oleic acidをTOPおよびもうひとつの配位性溶媒の一種、酸化トリオクチルホスフィン(TOPO: [CH3(CH2)7]3PO)と混合する。この混合溶液にTOP:Seを素早く注入して攪拌する。この混合溶媒中に、もうひとつの配位性溶媒ヘキサデシルアミン(HDA:CH3(CH2)15NH2)の添加有無による、反応過程の違いも調べた。反応は120、150、および180℃で、溶液の酸化および発火を防ぐために、すべてアルゴン雰囲気で行った。初期のコロイド法ではHDAは添加されていなかった。その後、HDAの添加によって、発光効率の向上が見出されたという経緯がある。CdSe量子ドットの調製手順を図3に要約する。
【実験結果】
HDAの有無にかかわらず結晶核は(CdSe)3である。続いて形成される結晶構造はHADの有無によって異なる。HDAがない場合、次の構造は(CdSe)6で(CdSe)13まで成長するが、それ以上は大きくならない。一方、HDAがある場合、次の構造は(CdSe)14で温度と時間に依存してさらに大きくなる。
HDAの有無に依存する結晶成長過程が異なる理由は現在のところ不明である。配位性溶媒によって結晶核の周囲に形成される溶媒のケージ構造の違いが関係していると推定される。発光の有無、発光がある場合、スペクトルがシャープかブロードかどうかはCdSe単位の数に依存する。結晶核(CdSe)3は発光を示さない。このサイズでは、そもそも励起子が形成されないことがその理由である。励起子による本来の発光スペクトルはシャープなものである。(CdSe)14以上のサイズでは励起子による発光が支配的なのでそのスペクトルがシャープになっていると説明される。(CdSe)13以下のサイズでブロードな発光が観測されるメカニズムは、結晶の表面に露出しているセレン原子に存在する不対電子対の存在に起因すると推定される。この不対電子対は、配位性溶媒と強く相互作用する能力によって特徴づけられる。実験結果の要約を図4に示す。HDAを加えない場合の吸収・発光スペクトル(120℃)を図5、HDAを加えた場合の吸収・発光スペクトル(120℃)を図6に示す。同じく、HADを加えた場合で結晶核の形成およびそれに続く結晶成長過程(120、150、180℃)の解析結果を図7に、核形成と結晶成長の模式図を図8に示す。
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図5.(A)HDAを加えないで、TOPとTOPOのみを用いて120℃で合成したCdSe量子ドットの吸収スペクトルの時間変化、(B)対応する発光スペクトル。解析の結果、CdSe単位の個数は、それぞれ3個(3min)、6個(5min)、13個(10min)であった。
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図6. (A)TOPとTOPOにHADを加えて120℃で合成したCdSe量子ドットの吸収スペクトルの時間変化、(B)対応する発光スペクトル。解析の結果、CdSe単位の個数は、3個(3、5、10min)、そして14個(15min)であった。HDAを加えると、3個の次は14個以上で、HADを加えない場合に見出された6個の場合は見出されない。吸収スペクトルの10分までの変化はCdSeの結晶核(CdSe)3の数が増加する過程である。発光スペクトルでは、励起子の直接的な再結合による短波長側のシャープなスペクトルに加え、トラップ準位からのプロードな発光が長波長側に観測される。ブロードな発光は反応温度が180℃の場合には、ほぼ消滅した。
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図7. TOP、TOPO、およびHDAを加えて調製したCdSe量子ドットの結晶核形成および結晶成長過程の温度依存性。サイズ(直径)は図2の検量線とHOMO-LUMO遷移の波長の値を用いて評価した。
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図8.結晶核の形成と増加、結晶核の成長過程の模式図。AからBで結晶核の数が増加しているが、そのサイズは一定である。BからC,Dではサイズは増大しているが、結晶核の数は一定である。
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図9に示したように、(CdSe)13以下のサイズの結晶の計算結果には、HOMO-LUMO遷移(●印)よりも長波長側に比較的大きな振動子強度をもつ遷移(×印)が現れる。HOMO-LUMO遷移よりも長波長側に現れる遷移は、結晶の表面に露出しているセレン原子に存在する不対電子対の存在に起因することが知られている。結晶のサイズが大きくなるにつれて、表面に露出しているセレン原子の寄与が相対的に小さくなるので、この長波長の遷移が現れなくなったとして、図9の結果は説明される。
【理論計算の手順】
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CdSe結晶のモデル構造をエネルギーが最小になるように最適化する。最適化された構造から、結晶の直径を評価する。
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最適化した結晶構造の規準振動を計算して、赤外吸収スペクトルを評価する。物理的に存在しえない符号が負の振動数が現れる構造は放棄する。正の振動数を与える構造を採用する。
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上記の検定で採用された構造について、計算機の能力に依存して数10個を上限とする励起状態への遷移の振動子強度(f)を計算して、便宜上以下のように分類する:f<0.02、0.02
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0.06
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同定したHOMO-LUMO遷移の波長に対応する結晶の直径を、検量線を用いて評価し、理論計算によって推定された結晶構造の直径を比較して、大きな隔たりがないことを確認する。
・ HOMO-LUMO遷移の同定
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最適化された結晶構造の直径に対応するHOMO-LUMO遷移の波長を図2の検量線を用いて評価する。
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上記で評価した波長と近い波長をもつ、計算によって得られた遷移(f>0.06)を探して、これに着目する。
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上記で着目した遷移が、エネルギーが近接する(<3meV)等しい大きさの2つの振動子強度から構成されている(Doublet構造)かどうかを調べる。
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Doublet構造が見つかれば、それをHOMO-LUMO遷移と同定する。
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図9. 実験で得られた吸収スペクトルと計算で得られた電子遷移の振動子強度の分布。(A)HDAなし3min、120℃;(B)HDAなし5min、120℃;(C)HDAなし10min、120℃;(D) HADあり2min、150℃。寄与しているCdSe単位の個数は、それぞれ3、6、13、16個.HOMO-LUMO遷移は●印で示した。結晶の表面に露出しているセレン原子に存在する不対電子対の存在に起因する遷移を×印で示した。各図の挿入図は、HOMO-LUMO遷移がdoublet構造を呈することを表す。
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HDAの有無に依存する結晶成長過程が異なる理由は現在のところ不明である。この問題を解決することが次の課題のひとつである。結晶成長過程には、配位性溶媒によって結晶核の周囲に形成される溶媒のケージ構造の違いが影響していると考えられている。本研究では比較的球に近い量子ドットについて考察した。一方、本研究では扱わなかった棒状の量子ドットの合成においても、反応前駆体としてのカドミウム化合物の違い、配位性溶媒の組み合わせ、反応温度に依存してアスペクト比が制御できることが知られている。反応条件の違い、特に、溶媒に依存する結晶のサイズと構造を計算化学の手法で解明することは極めて重要であるとともに、チャレンジングな課題である。より身近な問題として、通常使用する配位性溶媒が比較的高価であることが、量子ドット製造のコストを高くしているという指摘がある。結晶のサイズと構造とに及ばす溶媒効果に対する理解が深まると、より安価な溶媒を用いて量子ドットを製造することが可能になることが期待される。