発表・掲載日:2006/02/17

バイオから環境まで応用可能な新しい質量分析技術の開発に成功

ポイント

  • 量子ドットを用いて、高分子量化合物を分解せずに質量分析する技術を開発
  • タンパク質解析などバイオ関連分野への応用が可能
  • 国際規制物質である臭素系難燃剤の簡易迅速分析など環境関連分野への応用も展開予定

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)環境管理技術研究部門【部門長 山崎 正和】計測技術研究グループの佐藤 浩昭 研究員ら及びエネルギー技術研究部門【部門長 大和田野 芳郎】熱電変換研究グループの山本 淳 研究員は、量子ドット技術を応用して作成したゲルマニウムナノドットを用いたソフトイオン化質量分析法の開発に成功した【図1参照】。

ゲルマニウムナノドットの原子間力顕微鏡画像
ソフトイオン化質量分析の原理の図
シリコン単結晶基板上に形成したゲルマニウムナノドットの原子間力顕微鏡(AFM)画像。
試料を塗布したゲルマニウムナノドット基板にレーザー光を照射すると、高分子量化合物を分解せずにイオン化して、分子量情報をもつマススペクトルが観測できる。
図1 ゲルマニウムナノドット(左)とソフトイオン化質量分析の原理(右)

 2002年に田中耕一氏らがノーベル化学賞を受賞して注目を集めたマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS)は、タンパク質解析や糖鎖解析などのバイオ分析や、合成化学物質の構造解析などに広く利用されている。しかしながら、MALDI法では、試料に加える補助剤の選択に試行錯誤が要求されるうえ、補助剤由来の妨害ピークが発生するため、補助剤を用いない新しい質量分析技術の開発が望まれていた。産総研は、シリコンウェハ上に直径数十ナノメートル(ナノは10億分の1)のゲルマニウムドットを成長させた基板(ゲルマニウムナノドット基板)に試料を塗布し、レーザー光照射するだけで、タンパク質などのバイオ関連物質から合成ポリマーなど合成化学物質まで様々な高分子量化合物を分解せずにイオン化できる質量分析技術を開発した。

 今後、この測定法を用いて、本年7月から欧州連合が実施する特定有害物質規制によって電気・電子機器への使用が禁止される臭素系難燃剤など、高分子量化合物の簡易迅速分析法の実用化を目指す。

 なお、本研究成果の一部は、国際ナノテクノロジー総合展・技術会議「ナノテク 2006」(2006年2月21~23日、東京ビックサイト)にて発表予定である。



研究の背景

 タンパク質や合成ポリマーなどの高分子量化合物の質量分析には、試料にイオン化補助剤を混合してレーザー光を照射するMALDI法が利用されている。しかしながら、MALDI法では、試料にイオン化補助剤を混合して測定する必要があり、補助剤の種類や混合比などの最適な条件を測定ごとに検討しなければならず、分析にはある程度の予備検討時間や熟練が要求されていた。さらに、補助剤に由来する妨害ピークが多く発生するため、分子量が1000以下のペプチドや添加剤などの分析が困難であるという課題があった。そのため、新しい医薬の開発のためにタンパク質の網羅的な解析(プロテオーム解析)を行うバイオ関連分野や、有害な化学物質の迅速・簡易分析を行う環境関連分野をはじめ、現在MALDI法を利用している多くの分野で、補助剤を用いない新しいイオン化法を用いた質量分析技術の開発が望まれていた。

研究の経緯

 補助剤を用いないソフトイオン化法の先行技術として、数十ナノメートル(数億分の1メートル)の微細な細孔構造をもつ多孔質シリコンに試料を塗布し、レーザー光を照射してイオン化する方法が提案されている。しかしながら、レーザー光照射によって多孔質シリコンの微細構造が容易に破損するため、測定の妨げとなることが多かった。産総研では、質量分析法による環境計測技術開発を行ってきた環境管理技術研究部門と、ナノ構造設計を利用したエネルギー変換技術開発を行ってきたエネルギー技術研究部門との共同研究として、ナノ構造素子を利用した新しいソフトイオン化質量分析技術の開発研究を進めてきた。

研究の内容

 本研究では、単結晶シリコン上に数十ナノメートルのゲルマニウムドットを成長させた「ゲルマニウムナノドット」をイオン化に利用することを考えた。これは、次世代コンピュータの記憶素子やレーザーの発光素子などへ応用が期待されている「量子ドット」の新しい利用方法である。ゲルマニウムナノドットは、基材の単結晶シリコンと連続した結晶構造によって強固に結合しているため、多孔質シリコンを用いる方法で課題であった、レーザー光照射によるナノ構造の破損は起こらない。

 ゲルマニウムナノドット基板は、分子線エピタキシー法と呼ばれる薄膜成長法を用いて作製した。この基板に試料を塗布し、レーザー脱離イオン化質量分析装置に装着して質量分析を行った。なお、この基板は、機種を問わず市販のレーザー脱離イオン化質量分析装置を利用することができる。

 本法により、タンパク質・ペプチド、糖質、合成ポリマー、添加剤など、様々な化合物の測定を試みたところ、補助剤を用いないで試料を分解せずにイオン化することが可能であった(図2参照)。MALDI法で課題であった補助剤由来の妨害ピークの影響を受けることなく、1ピコグラム(1兆分の1グラム)のペプチド試料を高感度に検出でき、プロテオーム解析への応用が期待される。また、MALDI法では不可能であった臭素系難燃剤のポリブロモジフェニルエーテル(PBDE)の測定も容易に行うことができた。PBDEは、本年7月に欧州連合で発効予定のRoHS指令(欧州連合が実施する特定有害物質規制)の規制対象物質であり、PBDEを含む電子・電気製品が我が国から欧州へ輸出できなくなるため、製品中のプラスチック部分にPBDEが含まれているか否かを迅速に判定する分析手法の開発が急務である。従来法ではPBDEの分析に1週間以上の時間を要していたが、本法ではわずか10分程度で分析できるため、PBDEの迅速・簡便な分析手法への応用が期待される。

ペプチド試料と臭素系難燃剤の測定例の図
図2(左)ペプチド試料(アンジオテンシンI)の測定例: 800アトモル(1兆分の1グラムに相当)の高感度測定が可能であった。(右)臭素系難燃剤(ポリブロモビフェニルエーテルの10臭素化体)の測定例: [上段]ナノドット基板によるソフトイオン化質量分析法では、本試料の特徴的な同位体分布が観測できた。[下段]従来のMALDI法では全くイオン化できなかった。

今後の予定

 本法は補助剤の混合が不要であるため、多検体試料の迅速な自動分析に適しており、バイオ関連分野や環境関連分野でのハイスループット分析への応用が期待される。既存の質量分析法では分析が困難であった臭素系難燃剤なども測定可能であることから、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の産業技術研究助成事業「マイクロ抽出分離/表面ソフトイオン化質量分析法による潜在的有害性高分子量化合物の解析技術」により、本法の実用化と、臭素系難燃剤を始めとする様々な高分子量添加剤の簡易分析法の開発に関する研究を2006年から開始したところである。



用語の解説

◆量子ドット
電子の波長と同じかそれ以下のサイズを有する微小な半導体を、エネルギーギャップの大きな別の半導体単結晶の中に埋め込んだ構造である。一般に数~20ナノメートル(ナノメートルは10億分の1メートル)程度以下のサイズをもつドット状の構造であり、電子が3次元方向に閉じ込められて量子効果が顕著になるため、通常の半導体では得られない機能が発現する。量子コンピュータの記憶素子や面発光レーザー等に応用が期待されている。[参照元へ戻る]
◆ ゲルマニウムナノドット
分子線エピタキシー法により、高真空中で単結晶シリコン基板上にゲルマニウムを蒸着すると、シリコン結晶とゲルマニウム結晶の格子定数の違いから、微細な凸状のゲルマニウム表面構造が出現する。はじめは一辺が十nm程度のピラミッド状の微細構造が現れ、次第に数十~数百nmのドーム状の構造に成長する。このように形成されたゲルマニウムのドット構造はシリコン基板に強固に結合しているため、剥離することはない。ゲルマニウムの蒸着量やシリコン基板の温度によりドット構造のサイズや分布を制御することができる。[参照元へ戻る]
◆ソフトイオン化質量分析法
試料分子の分解が起こりにくい温和な条件でイオン化して質量分析する方法を総称して、ソフトイオン化質量分析法という。分解しやすい高分子量化合物の分子量を決定することができるため、タンパク質や合成ポリマーなどの分析に利用される。マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS)は、その代表的な方法である。[参照元へ戻る]
◆マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS)
マトリックス剤とよばれるイオン化補助剤と試料を混合して調製した結晶にレーザー光を照射することによって、高分子量の化合物をほとんど分解せずにイオン化するソフトイオン化質量分析法の一種。タンパク質の分子量を決定できる画期的な方法であり、プロテオーム解析における有力な分析手段であることが評価され、2002年のノーベル化学賞が田中耕一氏らに授与された。[参照元へ戻る]
◆プロテオーム解析
細胞や生体内の組織などに含まれるタンパク質の全体を遺伝子情報と関連付けて総合的に解析するバイオ技術であり、proteome(プロテオーム)とはprotein(タンパク質)とgenome(遺伝子情報の総体)を組み合わせた造語。例えば、疾患の原因となるタンパク質を同定し、遺伝子情報と関連付けてその構造や機能を解析し、その情報をもとに新しい医薬品を設計・開発することが行われている。プロテオーム解析技術を用いれば、試行錯誤的な有効成分の探索を行わずに、難病に対する特効薬をいち早く開発できる可能性がある。
プロテオーム解析では、タンパク質を特殊な酵素によって切断して得られるペプチドをMALDIなどのソフトイオン化質量分析法により分析し、インターネット経由でデータベース検索して、タンパク質を同定する。すなわち、ペプチドを正確に質量分析する技術開発が、プロテオーム解析技術を向上させるために重要な鍵となる。[参照元へ戻る]
◆分子線エピタキシー法
半導体の結晶成長に使われている手法の一つで、超高真空中(10-8Pa程度以下)に保たれた装置の中で、原料を加熱し蒸発させ、発生したビーム(分子線)を基板に照射して結晶を成長させる方法である。真空度が高く、不純物が混入しないため、他の薄膜成長法に比べて成長速度を遅くできる利点があり、シャッターの開閉によりビームを制御することで原子層を1層ずつ制御しながら単結晶を成長することも可能である。[参照元へ戻る]
◆ポリブロモジフェニルエーテル
プラスチック材料は燃焼しやすいため、電気・電子機器、建材、車両などに含まれるプラスチック部材には、火災を防止するために難燃剤が加えられている。臭素や塩素などのハロゲン元素を含む有機化合物は高い難燃効果をもつため、特に広く用いられている。ポリブロモジフェニルエーテルは、その代表的な難燃剤である。ジフェニルエーテルに最大で10個の臭素原子が結合しており、臭素の数や結合位置の違いにより、数多くの異性体が存在する。高い難燃効果を有するため多量に使用されていたが、人体への悪影響が懸念されるため、欧州連合ではRoHS指令により本年7月から電子・電気製品へ、PBDEおよび臭素化ビフェニルの2種の難燃剤の使用が禁止される。規制対象から除外されたデカブロモジフェニルエーテル(DeBDE)とそれ以外を識別して定量するためには、現在、ガスクロマトグラフ-質量分析装置(GC/MS)が用いられているが、試料の前処理を含めて分析に1週間以上の時間を要する上、分析過程で分解しやすいため、分析が難しい化合物である。 [参照元へ戻る]

ポリブロモジフェニルエーテルの化学構造
ポリブロモジフェニルエーテル(PBDE)の化学構造。x+y = 1~10。

◆RoHS指令
欧州連合で本年7月から施行される、電気・電子機器における特定有害物質の使用制限指令(Restriction of the use of certain Hazardous Substances in electrical and electronic equipment)。鉛、カドミウム、水銀、六価クロム、ポリ臭化ビフェニル(PBB)、およびポリ臭化ジフェニルエーテル(PBDE, 次項参照)の6種が規制対象となる。欧州連合諸国内での規制であるが、規制物質を含む電気・電子機器の欧州連合への輸入も禁止されるため、我が国の産業界にも大きな影響がある。PBDEには数多くの異性体が存在するが、それらの中で10臭素化体(デカブロモジフェニルエーテル, DeBDE)は規制対象から除外されることが昨年秋に決定されたため、DeBDEとそれ以外のPBDEを見分ける必要性が生じた。全臭素量を定量する既存の簡易分析法では対応できないケースが出てくるものと考えられ、異性体を迅速に識別できる簡易分析法の開発が急務である。[参照元へ戻る]


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