独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)環境管理技術研究部門【部門長 山崎 正和】計測技術研究グループの佐藤 浩昭 研究員ら及びエネルギー技術研究部門【部門長 大和田野 芳郎】熱電変換研究グループの山本 淳 研究員は、量子ドット技術を応用して作成したゲルマニウムナノドットを用いたソフトイオン化質量分析法の開発に成功した【図1参照】。
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シリコン単結晶基板上に形成したゲルマニウムナノドットの原子間力顕微鏡(AFM)画像。
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試料を塗布したゲルマニウムナノドット基板にレーザー光を照射すると、高分子量化合物を分解せずにイオン化して、分子量情報をもつマススペクトルが観測できる。
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図1 ゲルマニウムナノドット(左)とソフトイオン化質量分析の原理(右)
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2002年に田中耕一氏らがノーベル化学賞を受賞して注目を集めたマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析法(MALDI-MS)は、タンパク質解析や糖鎖解析などのバイオ分析や、合成化学物質の構造解析などに広く利用されている。しかしながら、MALDI法では、試料に加える補助剤の選択に試行錯誤が要求されるうえ、補助剤由来の妨害ピークが発生するため、補助剤を用いない新しい質量分析技術の開発が望まれていた。産総研は、シリコンウェハ上に直径数十ナノメートル(ナノは10億分の1)のゲルマニウムドットを成長させた基板(ゲルマニウムナノドット基板)に試料を塗布し、レーザー光照射するだけで、タンパク質などのバイオ関連物質から合成ポリマーなど合成化学物質まで様々な高分子量化合物を分解せずにイオン化できる質量分析技術を開発した。
今後、この測定法を用いて、本年7月から欧州連合が実施する特定有害物質規制によって電気・電子機器への使用が禁止される臭素系難燃剤など、高分子量化合物の簡易迅速分析法の実用化を目指す。
なお、本研究成果の一部は、国際ナノテクノロジー総合展・技術会議「ナノテク 2006」(2006年2月21~23日、東京ビックサイト)にて発表予定である。
タンパク質や合成ポリマーなどの高分子量化合物の質量分析には、試料にイオン化補助剤を混合してレーザー光を照射するMALDI法が利用されている。しかしながら、MALDI法では、試料にイオン化補助剤を混合して測定する必要があり、補助剤の種類や混合比などの最適な条件を測定ごとに検討しなければならず、分析にはある程度の予備検討時間や熟練が要求されていた。さらに、補助剤に由来する妨害ピークが多く発生するため、分子量が1000以下のペプチドや添加剤などの分析が困難であるという課題があった。そのため、新しい医薬の開発のためにタンパク質の網羅的な解析(プロテオーム解析)を行うバイオ関連分野や、有害な化学物質の迅速・簡易分析を行う環境関連分野をはじめ、現在MALDI法を利用している多くの分野で、補助剤を用いない新しいイオン化法を用いた質量分析技術の開発が望まれていた。
補助剤を用いないソフトイオン化法の先行技術として、数十ナノメートル(数億分の1メートル)の微細な細孔構造をもつ多孔質シリコンに試料を塗布し、レーザー光を照射してイオン化する方法が提案されている。しかしながら、レーザー光照射によって多孔質シリコンの微細構造が容易に破損するため、測定の妨げとなることが多かった。産総研では、質量分析法による環境計測技術開発を行ってきた環境管理技術研究部門と、ナノ構造設計を利用したエネルギー変換技術開発を行ってきたエネルギー技術研究部門との共同研究として、ナノ構造素子を利用した新しいソフトイオン化質量分析技術の開発研究を進めてきた。
本研究では、単結晶シリコン上に数十ナノメートルのゲルマニウムドットを成長させた「ゲルマニウムナノドット」をイオン化に利用することを考えた。これは、次世代コンピュータの記憶素子やレーザーの発光素子などへ応用が期待されている「量子ドット」の新しい利用方法である。ゲルマニウムナノドットは、基材の単結晶シリコンと連続した結晶構造によって強固に結合しているため、多孔質シリコンを用いる方法で課題であった、レーザー光照射によるナノ構造の破損は起こらない。
ゲルマニウムナノドット基板は、分子線エピタキシー法と呼ばれる薄膜成長法を用いて作製した。この基板に試料を塗布し、レーザー脱離イオン化質量分析装置に装着して質量分析を行った。なお、この基板は、機種を問わず市販のレーザー脱離イオン化質量分析装置を利用することができる。
本法により、タンパク質・ペプチド、糖質、合成ポリマー、添加剤など、様々な化合物の測定を試みたところ、補助剤を用いないで試料を分解せずにイオン化することが可能であった(図2参照)。MALDI法で課題であった補助剤由来の妨害ピークの影響を受けることなく、1ピコグラム(1兆分の1グラム)のペプチド試料を高感度に検出でき、プロテオーム解析への応用が期待される。また、MALDI法では不可能であった臭素系難燃剤のポリブロモジフェニルエーテル(PBDE)の測定も容易に行うことができた。PBDEは、本年7月に欧州連合で発効予定のRoHS指令(欧州連合が実施する特定有害物質規制)の規制対象物質であり、PBDEを含む電子・電気製品が我が国から欧州へ輸出できなくなるため、製品中のプラスチック部分にPBDEが含まれているか否かを迅速に判定する分析手法の開発が急務である。従来法ではPBDEの分析に1週間以上の時間を要していたが、本法ではわずか10分程度で分析できるため、PBDEの迅速・簡便な分析手法への応用が期待される。
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図2(左)ペプチド試料(アンジオテンシンI)の測定例: 800アトモル(1兆分の1グラムに相当)の高感度測定が可能であった。(右)臭素系難燃剤(ポリブロモビフェニルエーテルの10臭素化体)の測定例: [上段]ナノドット基板によるソフトイオン化質量分析法では、本試料の特徴的な同位体分布が観測できた。[下段]従来のMALDI法では全くイオン化できなかった。
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本法は補助剤の混合が不要であるため、多検体試料の迅速な自動分析に適しており、バイオ関連分野や環境関連分野でのハイスループット分析への応用が期待される。既存の質量分析法では分析が困難であった臭素系難燃剤なども測定可能であることから、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構の産業技術研究助成事業「マイクロ抽出分離/表面ソフトイオン化質量分析法による潜在的有害性高分子量化合物の解析技術」により、本法の実用化と、臭素系難燃剤を始めとする様々な高分子量添加剤の簡易分析法の開発に関する研究を2006年から開始したところである。