独立行政法人産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)糖鎖工学研究センター【センター長 地神 芳文】糖鎖生合成チーム 地神 芳文 チーム長、横尾 岳彦 研究員および国立大学法人筑波大学【学長 岩崎 洋一】生命環境科学研究科大学院生 藤田 盛久 は、細胞内において正しく折り畳まれない異常タンパク質を設計し、細胞内で合成された異常タンパク質の新たな排除機構を発見した。
細胞内にはGPIアンカーという糖脂質が付加している一群のタンパク質が存在する。この研究は、この一群のタンパク質について人工的に設計した異常タンパク質を細胞内で発現させることによって、タンパク質の新たな品質管理機構を発見したものである。これはカンジダ症など真菌感染症の新規な治療薬の開発に貢献するものである。さらにはヒトの低フォスファターゼ症やプリオン病の発症メカニズムの解明につながり、治療方法のないこれら疾患の治療方法にも道を開くものと期待される。
本研究の詳細は、平成17年11月30日に、米国の国際雑誌『細胞の分子生物学』(Molecular Biology of the Cell)電子版に掲載される。
タンパク質は、われわれの体内で重要な役割を果たしている。筋肉などはタンパク質から成っており、各種の生体反応を進める酵素も、タンパク質から成っている。このタンパク質の一部は、細胞内の小胞体と呼ばれる小さな部屋で合成される。合成されたばかりのタンパク質は、ひも状の構造をとっており、これが正しく機能するタンパク質になるためには、正しく立体的に折り畳まれる必要がある。このために、「分子シャペロン」と呼ばれる、いわば「介添え人」のような働きをする分子が小胞体の中に存在して、正しく立体的に折り畳まれるのを助けている。しかし、その介添え人の力をもってしても正しく折り畳まれないタンパク質がときどき出てくる。このような異常なタンパク質は、小胞体の外に引き出されて、プロテアソームと呼ばれるタンパク質分解工場で分解される運命にある。つまり、小胞体には正しく折り畳まれたタンパク質とそうでないタンパク質とを見分けて、正しく処置するメカニズムが存在するのである。この機構を、小胞体におけるタンパク質の品質管理機構と呼ぶ。これが破綻すると、細胞はどのタンパク質が正しい「製品」であるかを見分けることができず、ひいては生命に重篤な影響をもたらす。小胞体における品質管理機構についてはこれまで膜タンパク質や可溶型タンパク質では知られていたが、この二つでは説明できない事象がたくさんあった。
タンパク質はアミノ酸がつながってできたもので、それだけでは完成しない。これに、糖鎖付加などさまざまな修飾がなされて初めて、機能を持つタンパク質となる。その修飾のひとつに、GPIアンカーと呼ばれる糖脂質の付加がある。
GPIアンカー型タンパク質と病気との関係はいろいろあるが、牛海綿状脳症(BSE)を起こすプリオンタンパク質もこれに該当する。近年、ヒトの低フォスファターゼ症とよばれる疾患の原因も、GPIアンカー型タンパク質の異常によるものであることがわかりつつある。また、ヒトの体内に侵入するカンジダ酵母やマラリア病原虫、睡眠病を引き起こすトリパノソーマ原虫などの細胞表層にもGPIアンカー型タンパク質が存在しており、ヒトへの病原性の発現に重要な役割を果たしている。このように、GPIアンカー型タンパク質の合成メカニズムの研究は、様々な疾患のメカニズムを解明する上でも重要である。GPIアンカー型タンパク質の合成過程を明らかにし、この過程を標的とした化合物を検索することにより、カンジダ症などの治療薬、すなわち抗真菌剤の開発や、抗マラリア薬、抗原虫薬の開発が期待される。
以上のようなことを踏まえ、産総研糖鎖工学研究センターでは、GPIアンカー型タンパク質の合成メカニズムの研究を行ってきており、特に出芽酵母をモデル系とした研究においては、世界をリードする研究室の一つとなっている。
GPIアンカー型タンパク質の品質管理が、いつ、どこでどのように行われるのかは、これまで不明であった。そこで私たちは、GPIアンカー型タンパク質の品質管理機構の解明を目指して、出芽酵母の系へ人為的な変異を導入することにより、小胞体において正しく折り畳まれないようなGPIアンカー型タンパク質を発現させた。
この異常タンパク質が、細胞内のどこでどのように分解されるかを、時間を追って調べた。プロテアソームの阻害剤や変異株を用いることにより、図2に示すように正常に折り畳まれなかった場合には小胞体から引き出され、プロテアソームで分解除去されることを発見した。この分解系は今まで知られている膜タンパク質や可溶型タンパク質の系とは異なった、新たな第3の品質管理機構であることがわかった。
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図2 産総研が作製した異常タンパク質(変異GPIアンカー型タンパク質Gas1*p)の挙動
この時、正しいタンパク質と異常タンパク質がどのように判別されるのか阻害剤や変異株を用いることにより詳細な研究を行った。図3に示すように、GPIアンカー型タンパク質が小胞体から次のプロセスに進むためには、GPIアンカーの一部、図では赤い部分で示された、「補助の錨」(アシル基)の除去が必要である。この「補助の錨」はBst1pという酵素によって除去される。正常タンパク質も異常タンパク質も「補助の錨」の除去が行われて次のステップに進むのであるが、この時Bst1pが「介添え人」分子シャペロンからタンパク質の折り畳み状況の情報を受け取り、次のプロセスに進むか、それとも小胞体から引き出されて分解除去されるかの鍵を握っていることを明らかにした。いわば、Bst1pが小胞体におけるGPIアンカー型タンパク質の品質管理の最終責任者の役割を担っているのである。 |
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図3 品質管理責任者Bst1pは「折り畳み完了です」あるいは「折り畳み失敗です」の情報を受け取り、タンパク質の行き先を決める。
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GPIアンカー型タンパク質の生合成系の研究は、生体機能を知るための基礎研究として重要であるばかりか、GPIアンカー型タンパク質合成系を標的とした化合物の探索などにより、カンジダ症やマラリア、睡眠病の克服に貢献するものである。カンジダ症に有効な新規抗真菌剤の開発につながるような研究を進めていく予定である。
さらには近年、プリオンタンパク質もGPIアンカー型であり、この折り畳みが異常になることによりプリオン病が引き起こされること、そして、低フォスファターゼ症という疾患の原因が、やはりGPIアンカー型タンパク質の異常によることが明らかになり、GPIアンカー型タンパク質の生合成機構の解明は重要になってきている。この研究の推進により、これらの疾患の治療法の確立につなげてゆきたい。