発表・掲載日:2004/11/24

テラヘルツ帯で発振可能な新しい負性抵抗ナノトランジスタの開発に成功

-超高周波発振素子を持つ化合物半導体ICの実現へ-

ポイント

  • 超高周波発振素子や超高速論理素子として利用可能な新しいタイプの3端子負性抵抗素子を開発
  • 新開発の高品質なナノ細線構造を用いることで、電子が通路内のサブバンド間で遷移する現象を利用した全く新しい速度変調トランジスタの実現に成功
  • 集積化に最適な3端子構造を持ち、超高周波(テラヘルツ)帯で発振可能な素子を持つ新しい化合物半導体集積回路、超高速論理回路の実用化に道を拓く

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)光技術研究部門【部門長 渡辺 正信】光電子制御グループ 菅谷 武芳 主任研究員は、素子内の電子通路が原子レベルで平坦なナノ細線構造を用いて、極めて明瞭な負性抵抗【図1参照】を示す全く新しい速度変調ナノトランジスタの開発に成功した。ノーベル賞受賞の対象ともなった江崎ダイオードで知られる負性抵抗素子は、数100GHzの超高周波を発振できるため、今日でも、高性能のガンダイオード共鳴トンネルダイオードの開発が世界中で進められている。しかし、これまでの負性抵抗素子は2端子のダイオード構造が主であり、集積化に有利な3端子のものはほとんどなかった。今回開発に成功した負性抵抗素子は3端子構造で、ダイオードと違って負性抵抗を自由・自在に制御できる。これは素子内の電子の通路を原子レベルの平坦性で加工する技術を確立したことにより得られた成果であり、電子の通路であるナノ細線中のサブバンド間を電子が遷移する現象を利用し、外部電圧の変化で電子が高移動度の基底レベルから低移動度の高次サブバンドレベルに移ることによって負性抵抗を発現するものである。

 今回開発した素子は、通常の電界効果トランジスタと同じ製作プロセスが使えるため集積化に適しており、これによって超高周波(数100GHz)発振素子を搭載した本格的な化合物半導体集積回路を実現できる目処が立ったといえる。

 また、テラヘルツ帯(100GHz~10THz)の超高周波の電磁波は、光と電波の中間領域に属し、その発生技術及び検出技術が未開拓な周波数帯であり、半導体素子やICカード、郵便物等の非破壊検査や、生体への安全性からX線に変わる医学分野への応用など、幅広い分野でその応用が期待されている。しかし、現在小型で安価なテラヘルツ電磁波発生源がなく、その実現が望まれている。

 今後は、今回開発した素子についてさらに検討を加えることで、これらテラヘルツ分野への応用を可能としていく考えである。

負性抵抗ナノトランジスタの電流・電圧特性の比較図
図1 負性抵抗ナノトランジスタの電流・電圧特性の比較

研究の背景

 テラヘルツ電磁波と呼ばれる100GHzから10THz(波長30µm~3mm)の周波数領域は、光と電波の中間領域に属し、その発生技術及び検出技術が未開拓な周波数帯である。光では不透過なため測定できない半導体素子やセラミック材料の測定が可能であり、また生体に安全であるためX線に変わる医学分野への応用など、幅広い分野でその応用が期待されている。現在は、半導体素子のパッケージ後の非破壊検査やプロッピーディスク、ICカードの検査などに利用されており、X線に代わる癌の早期発見や虫歯の診断などにも応用されている。また最近では、郵便物内にある麻薬など有害薬物の同定が、郵便物を開封せずに可能であることもわかってきており、その応用範囲は多岐にわたる。しかし既存の測定系やシステムにおいては大型で高価格となる大出力レーザが必要であり、テラヘルツを応用したシステムの普及には支障が多い。

 高周波の発振・増幅などに用いられる負性抵抗素子は、唯一単体で高周波を発振させることができるため、ノーベル賞受賞対象となった江崎ダイオードに代表されるように世界中で研究されている素子である。

 負性抵抗素子としては、ガン効果を利用したガンダイオードがよく知られているが、その発振周波数は最大で100GHz程度にとどまっている。また、速度変調トランジスタは、電子が行き来できる高移動度と低移動度のチャネルを近接して作製し、その移動度の違いによって負性抵抗を発現させるという素子である。速度変調トランジスタの提案以来、量子井戸のダブルチャネル(高移動度と低移動度の二つのチャネル)を使った負性抵抗素子の作製が試みられているが、低移動度のチャネルに電子を完全に遷移することが難しく、結果としてピーク/バレイ比が小さい、負性抵抗発現電圧が大きいなどの問題点があり、実用化には至っていない。また、負性抵抗を発現する素子としては共鳴トンネルダイオードがあり、ピーク/バレイ比も大きく、700GHzを超える超高速の発振動作などが報告されている。

 今回産総研で開発した負性抵抗素子も、サブバンド間遷移という超高速現象を利用しているため、テラヘルツ帯での発振の可能性を持つ。また、この素子は3端子構造であり、素子製作プロセスも通常のトランジスタと同様に簡単であるため、集積化に適し、テラヘルツ発振素子を搭載した集積回路への応用が可能である。このような小型で安価なテラヘルツ発振素子が実現できれば、システム全体の大幅なコストダウンが可能となり、上記のような様々な分野での応用が期待される。

 負性抵抗素子の超高速論理素子への応用という点では、共鳴トンネルダイオードは2端子構造であるため増幅効果が見込めず、集積化にも適さない。そのため、第3の外部電極を付加し、トランジスタ構造とすることによって負性抵抗を制御する試みが多数なされてきた。例えばトランジスタと共鳴トンネルダイオードを組み合わせた超高速論理回路では、回路の素子数を大幅に低減した例が報告されているが、その作成工程の複雑さから実用化には至っていない。これに対し、今回開発した負性抵抗素子は3端子構造であり、素子自体が制御電極を持っている。従ってトランジスタと共鳴トンネルダイオード双方の特性を持っているため、さらなる素子数の低減化や、回路作製の簡素化が期待できる。

研究の経緯

 産総研は、従来から、新しい光・電子素子システム実現のため量子効果を利用した新しい光・電子素子の開発を行ってきた。特に平成11年より、本研究で用いた産総研独自の高品質ナノ細線構造の作製に着手し、今回新しい動作原理に基づく負性抵抗ナノトランジスタの開発に成功した。本素子は、集積化可能なテラヘルツ帯超高周波発振トランジスタの基礎素子として大変興味深い。

 なお、本研究の一部は独立行政法人 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(チーム型研究)の支援を受けて行われた。

研究の内容

 産総研はこれまで、原子状水素を添加した分子線エピタキシー装置による選択成長法を用いて、高品質なInGaAsナノ細線構造(幅25nm、厚さ10nm:1nmは百万分の1mm)を作製することに成功していた。【図2】は本素子で用いたInGaAsナノ細線構造の断面透過電子顕微鏡写真である。図の中心部に見える黒い部分がナノ細線構造で、電気は紙面に垂直の方向に流れる。これまで、非常に細く小さなナノ細線構造を作製すると、その境界面での凹凸が電子の運動の妨げとなり、高品質で高移動度なナノ構造が作製できないという問題があったが、これを独自の分子線エピタキシー技術を用いて解決し、高品質なナノ細線構造の作製を可能にした。

 電気的・光学的に非常に優れたナノ細線構造を利用し、それをチャネルとするトランジスタ構造を作製したところ【図3参照】、 【図1】に示すような低電圧(0.17V)、高ピーク/バレイ比(13.3)で顕著な負性抵抗を示す素子が得られた。また、ピーク/バレイ比では、参考のため示した3端子構造の従来素子に比べて、約4倍の特性を実現している。一般に知られる負性抵抗効果が発現する要因としては、加速された電子の低移動度障壁層への実空間遷移やガン効果があり得る。しかし本素子では負性抵抗発生時にゲートリーク電流が認められないため障壁層への移動ではなく、発現電圧が低いためガン効果でも説明できない。またその構造より共鳴トンネル効果によるものでもない。

ナノ細線構造の断面透過電子顕微鏡写真と今回開発した負性抵抗ナノトランジスタの模式図
図2 ナノ細線構造の断面透過電子顕微鏡写真 図3 今回開発した負性抵抗ナノトランジスタの模式図

 本研究におけるInGaAsナノ細線構造の基底レベル、高次サブバンドレベルの電子分布を【図4(a),(b)】に示す。図の縦軸、横軸は図2の断面写真の空間座標に相当し、ナノ構造中の青で示した部分に特に電子が分布している。基底レベルの電子はナノ構造中の底に分布し、この部分は高品質であり電子移動度が高い。ドレイン電圧が低い場合、電子はエネルギー的に安定なこの部分に分布している。一方高次サブバンドの電子分布はナノ構造の側面に主に分布しているのがわかる。側面の部分は2nmの量子井戸から成っており、その厚さが非常に薄いため、電子移動度が極めて低い。基底レベルとのエネルギー差は約0.2eVであり、ナノ細線中の電子がドレイン電圧によってそのエネルギーを得ると、低移動度の高次サブバンド領域に遷移することができる。移動度が低いため電流は流れにくく、結果として負性抵抗が発現するものと考えられる。その様子を模式的に示したのが【図4(c)】である。負性抵抗発現電圧以上のドレイン電圧では、電子が高次サブバンドに遷移し、その移動度差により負性抵抗を発現する。

 サブバンド間遷移はピコ秒程度(1ピコ秒は1兆分の1秒)の超高速で動作することが知られており、素子のピーク/バレイ比も大きく負性抵抗の傾きも大きいことから、今回開発した素子はテラヘルツの発振素子として応用可能であり、3端子素子であるため集積化にも適する。またサブバンド間遷移による負性抵抗の実現は世界で初めてであり、応用的・物理的にも興味深い。

ナノ細線構造の基底レベル、高次サブバンドレベルの電子分布図
図4 ナノ細線構造の(a)基底レベル、(b)高次サブバンドレベルの電子分布。青で示した部分に電子が主に分布することを示している。高次サブバンドレベルでは厚さが薄く電子の移動度が小さい斜面部分に電子が分布する。
(c)負性抵抗メカニズム。負性抵抗発現電圧以下のドレイン電圧では電子は基底レベルに存在し、それ以上になると高次サブバンドレベルに存在できるようになる。その移動度の差によって負性抵抗が発現する。

今後の予定

 今回開発した負性抵抗ナノトランジスタでは、負性抵抗現象は260Kまで観察されている。今後は、さらに検討を加え素子構造を最適化することで室温での可動化を目指していく。

 本素子が実用化されることにより、集積回路に搭載された小型で安価なテラヘルツ発振素子として、将来は半導体素子やセラミック材料などのイメージング、郵便物などの非破壊検査や医学分野への応用など幅広い分野への応用が期待され、化合物半導体素子の新たな可能性の道を拓く。



用語の説明

◆負性抵抗
ある電圧において、素子に流れる電流が減少する現象。(このときの電圧を発現電圧といい、この値が小さいほど応答性が良く高性能といえる。)江崎ダイオードが有名。高周波の発振、増幅素子として応用される。[参照元へ戻る]
◆速度変調トランジスタ
高移動度と低移動度のチャネルを近接して作製し、ゲート電極で電子を低移動度側に遷移させ、その移動度の違いによって負性抵抗を発現させる素子。今回開発した素子も基本的にこの原理で動作するが、高品質ナノ細線構造の基底レベルを高移動度チャネル、高次サブバンドレベルを低移動度チャネルとして用い、サブバンド間の遷移を利用している。[参照元へ戻る]
◆ガンダイオード
ガン(Gunn)によって発見されたGaAsやInPなどのバルク半導体でも生じる負性抵抗(ガン効果)を利用したダイオード。ガン効果は化合物半導体のバンド構造に起因して起こる。InGaAsの場合、電子は少なくとも0.55eVのエネルギーを得ることが必要で、本素子の負性抵抗の要因には当てはまらない。[参照元へ戻る]
◆共鳴トンネルダイオード
量子井戸の両側の障壁層が十分に薄い構造(二重障壁構造)では、井戸中の電子はトンネルにより障壁の外側に抜けることができる。一方の障壁から電子が入射した場合、もとの量子井戸に形成されていた量子準位に対応してもう一方の障壁を透過していく確率が、入射電子のエネルギーにより共鳴的に増大する。この効果が共鳴トンネル効果であり、これをダイオードとして使えば負性抵抗素子が実現できる。[参照元へ戻る]
◆サブバンド間遷移、基底レベル、高次サブバンドレベル
半導体ナノ構造中に電子を閉じ込めると、量子力学的に電子はあるエネルギー状態しか取り得なくなり、離散的なエネルギー状態(量子準位)を持つようになる。この量子準位のことをサブバンドという。今回開発した素子では、エネルギー的に最も低い基底レベルが高移動度の準位に相当し、電子がドレイン電圧で加速されると移動度が低い高次サブバンドレベルに電子が遷移、その移動度の差によって負性抵抗が出現すると考えられる。[参照元へ戻る]
◆チャネル
電子が走行する層のこと。一般的な速度変調トランジスタでは量子井戸部、今回開発した素子ではナノ細線部がチャネルに相当する。[参照元へ戻る]
◆量子井戸、障壁層
バンドギャップの小さな半導体(井戸層)をバンドギャップの大きな半導体(障壁層)で挟むと、電子はバンドギャップの小さな半導体に閉じ込められる。膜に垂直な方向の電子の運動が量子化されて、離散的なエネルギーをもつようになる。このような特性をもつ構造を量子井戸という。[参照元へ戻る]
◆ピーク/バレイ比
負性抵抗の特性を表すパラメータ。負性抵抗発現時の最大電流と最小電流の比。[参照元へ戻る]
◆論理素子
1と0で表されるディジタル論理回路を構成する素子のこと。負性抵抗素子の場合、電流値が高い状態(ピーク)が1、低い状態(バレイ)が0に対応する。[参照元へ戻る]
◆分子線エピタキシー装置
超高真空で行う分子線強度を精度良く制御した蒸着法による薄膜結晶成長法のこと。原子層オーダーでの膜厚制御が可能である。[参照元へ戻る]
◆選択成長
分子線エピタキシーのような薄膜結晶成長法において、基板の任意の部分にのみ半導体結晶を選択的に成長する技術。本素子ではV溝型に加工した基板の底部にのみ、ナノ細線構造を選択成長している。[参照元へ戻る]
◆実空間遷移
電子が素子中で空間的に移動すること。高移動度の井戸層から低移動度の障壁層に電子が遷移し、負性抵抗の起源となる。障壁層に移動するためには高い電圧が必要で、負性抵抗発現電圧も高くなる。[参照元へ戻る]
◆ゲートリーク電流
実空間遷移による負性抵抗の場合、低移動度の障壁層に電子が遷移すると、その直上にゲート電極が存在するため、ゲート電極にも電流が流れるようになる。これをゲートリーク電流と言い、実空間遷移負性抵抗素子では通常観察される。本素子ではこれが観察されない。[参照元へ戻る]


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