発表・掲載日:2004/03/17

世界最高分解能の磁気力プローブ顕微鏡を開発

-超高密度磁気記録研究開発が加速-

ポイント

  • 次世代磁気記録媒体の開発には20nm以下の磁性体ナノ構造を評価出来る装置の開発が必須であったにもかかわらず、汎用性の高い評価装置は存在しなかった。
  • 新規磁気力プローブ顕微鏡探針をカーボンナノチューブと磁性体蒸着の技術を用いて開発し、磁気記録媒体を10nm程度の分解能で評価することに成功した。
  • 磁気記録分野、スピンエレクトロニクス分野における強力な研究ツールとなることが期待される。


概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という) ナノテクノロジー研究部門【部門長 横山 浩】は、エスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社【代表取締役社長 船本 宏幸】及び富士通株式会社【代表取締役社長 黒川 博昭】と共同で、世界最高分解能の磁気力プローブ顕微鏡(MFM)の開発に成功した。

 本研究開発成果は、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構【理事長 牧野 力】(以下「NEDO技術開発機構」という)の平成13年から5ヶ年計画で実施されている委託事業、ナノテクノロジープログラム・ナノ機能合成技術プロジェクト【プロジェクトリーダー 産総研 ナノテクノロジー研究部門長 横山 浩】の成果である。

 MFMは、ナノメートルオーダー(1ナノメートルは10億分の1メートル)で加工された先端を持つ磁気的な探針を用いて、試料から漏れる微弱な磁場を検知することにより、主に強磁性体ナノ構造の磁気的特性を可視化する装置である。ナノメートルオーダーで磁性体を評価する各種装置のなかでは、比較的簡便に使用することが出来、かつ装置自体がそれほど高価ではないため、特に磁気記録の研究開発分野で広く用いられている評価装置である。また、近年になって、半導体技術を応用することにより、ナノメートルオーダーで磁性体を加工する技術が進んできたために、いままでには観測できなかったナノスケールでの磁性を明らかにする基礎的な研究も盛んになってきており、このような基礎研究の分野においても欠かせないツールとなっている。

 当共同研究グループは、観察物の微弱な磁気情報を読むために必要な高感度顕微鏡機能の改良を重ねてきており、更に、カーボンナノチューブをとりつけた原子間力プローブ顕微鏡の探針(市販品:大研化学工業株式会社製)に均一に強磁性体薄膜をコーティングするプロセス技術を新しく開発することによって、10ナノメートル程度の磁気的な構造物を観測することに成功した。【写真1】は、新規に作製したMFM探針の先端部分の電子顕微鏡像である。

 当共同研究グループが今回発表したMFM探針は、すでにエスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社より市販されている走査型プローブ顕微鏡にとりつけるだけで、その性能が発揮される。いわば、誰でも容易に10ナノメートルレンジ分解能で極微細な磁性体を観察できるようになったことになり、そのインパクトは大きい。磁気記録の分野のみならず、最近非常にその研究が活発になってきたスピンエレクトロニクス分野全体においても、強力な研究ツールとなることが確実である。

 なお、開発されたMFM等は、2004年3月17~19日まで、東京国際展示場「東京ビッグサイト」(東京都江東区有明)で行われるnano tech 2004国際ナノテクノロジー総合展・技術会議で、NEDO技術開発機構のナノテクノロジープログラム・ナノ機能合成技術プロジェクトブースにて公開される予定である。


新しく開発された磁気力プローブ顕微鏡探針の走査型電子顕微鏡像写真

写真1 新しく開発された磁気力プローブ顕微鏡(MFM)探針の走査型電子顕微鏡像。
写真の1辺が1マイクロメートル( 1マイクロメートルは100万分の1メートル)。
細長い部分が磁性体のコーティングされたカーボンナノチューブ。その直径は約40ナノメートルである。


研究の背景

 近年、磁気ハードディスク(HDD)を用いたテレビ録画などが一般のAV家電として登場し、HDDの記録密度の向上を目指した研究開発が非常に盛んに行われている。HDDは、極微細な磁石の集合体を作りこんだものであるということが出来、その極微細磁石からの漏れ磁場(NS極)の向きで、1と0の情報を記録している。記録密度の向上のためには、この極微細磁石をさらに小さくしていかねばならず、現在の研究開発スピードが続けば、2005年には、25ナノメートル以下の幅を持った微細な磁石を並べていかねばならなくなることが予想されている【写真2参照】。

 HDDの開発と並行して、微細な磁石の状態を評価するための装置の開発も盛んに行われている。しかしながら、現在までのところ、10ナノメートル領域の分解能を持つ評価装置、例えばスピン偏極電子を用いたトンネル顕微鏡走査型電子顕微鏡などでは、多彩な磁気特性を評価できるが、極めて清浄な強磁性体表面でなければその観察が行えない等の理由から、超高真空装置内で試料表面を加工したり、特殊な電気信号の検出装置を用意することが必要であって、磁気記録媒体の研究開発現場で広く利用されることはなかった。

 一方MFMは、試料からの漏れ磁場を検出するために定量的な磁気特性の評価は出来ないが、試料の表面の状態に敏感でないことから、その観測に特殊な環境や試料表面の処理を必要としないという実用上の極めて大きなメリットがある。しかし、MFMは汎用性に優れているものの、市販の装置では一般に50~100ナノメートル程度、また研究用途の装置で20~30ナノメートル程度の分解能しか達成できておらず、前述のように超高記録密度化を目指すHDDや不揮発性磁気メモリなど次世代の磁気記録媒体を評価するためには、高分解能MFMの開発が急務であった。

表1.代表的な微小磁区観察手法の分解能と試料処理に関する難易度(汎用性)の比較

 
分解能
(ナノメートル)
 試料処理等の難易度 
  ~1000   容易
 従来型磁気力顕微鏡
~50   容易
 スピン偏極電子顕微鏡
~5   困難
 スピン偏極トンネル顕微鏡 
<1   困難
 新開発された磁気力顕微鏡
~10   容易

研究の経緯

 NEDO技術開発機構の委託事業「ナノテクノロジープログラム・ナノ機能合成技術プロジェクト」では、超低消費エネルギー性や量子限界に迫る超高感度センシング機能など、物質の極限的な特性を持つ人工材料を実現する技術の構築を目的とした研究を行っている。当プロジェクト、電子・スピン機能材料創製チーム【チームリーダー 産総研 ナノテクノロジー研究部門 先進ナノ構造グループ長 秋永 広幸】では、その具体的な目標として、超高性能磁場センサーや局所磁気計測手法の開発を行っており、現在までに、既存の磁気抵抗材料や素子と比較して最も大きな磁気抵抗効果を示すナノ構造の開発や、理論計算によって設計された完全スピン偏極強磁性体の薄膜作製に成功する等の成果を上げている。

 本研究開発成果は、当研究チームが開発した手法により、産総研においてカーボンナノチューブ付探針への磁性体コーティングが行われ、産総研とエスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社との共同開発装置である磁気力プローブ顕微鏡にその探針を取り付け、富士通株式会社から提供された次世代垂直磁気記録媒体を観察することによってその性能評価を行うという研究体制にてなされたものである。また、今回使用したカーボンナノチューブ付探針は、エスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社、大研化学工業株式会社、大阪府立大学による共同開発品であり、大研化学工業株式会社により製作されているものである。

研究の内容

 当共同研究グループは、現在までに、MFMを用いて観察物の微弱な磁気情報を読むための装置の高感度化や、磁場中でのMFM観察など装置の多機能化等の装置開発を行ってきていた。今回は更に、MFM探針に均一に強磁性体薄膜をコーティングするプロセス技術を新しく開発することによって、MFMの高分解能化に成功した。

 原子間力プローブ顕微鏡を用いたナノ構造の形状観察においては、カーボンナノチューブを探針先端にとりつけることにより、より微細な構造を観察できるようになることが知られている。これは、探針先端がより尖ったものになるだけでなく、ナノチューブの縦長な構造が微細な凹凸を観測するのに適しているからである。当共同研究グループはそこに着目し、カーボンナノチューブ付きの原子間力プローブ顕微鏡探針に磁性体をコーティングし、磁気力プローブ顕微鏡用探針にすることを試みた。

 当初は、その細長い構造が故に磁性体を均一にコーティングすることが出来ず、試料からの微弱磁場を検出することが出来なかった。しかしながら、そのプロセスを改良し更に磁性体材料を選ぶことによって、【写真1】に示したように、カーボンナノチューブ部分に均一に磁性体がコーティングされた探針を得ることが出来るようになった。

 【写真2】は、新しく開発したMFM探針によって観察された、次世代垂直磁気記録媒体の磁気イメージである。1辺は1マイクロメートルである。写真内にて白抜き矢印で示した縦長のコントラストの帯が右斜下から左斜上の方向に並んでいる様子がわかる。この帯の幅は約23ナノメートルであり、分解能はその半分以下(つまり10~12ナノメートル程度)と評価できる。

垂直磁気記録媒体の写真
写真2 新開発された磁気力プローブ顕微鏡探針によって観察した1100kFCI
の磁気情報を書き込んだ垂直磁気記録媒体。左図はカラー像。右図は白黒像。

 【図1】には、このMFM観察を模式的に示した。太い矢印で示したように、垂直方向にNS極の向きを交互に書き込まれた細長い棒状の微細磁石が並んでいるのが垂直磁気記録媒体である。曲がった矢印で示した垂直磁気記録媒体からの微弱な漏れ磁場の向きによって、磁性体コーティングされたカーボンナノチューブが引力を受けたり斥力を受けたりする。この力を検知することによって、記録媒体からの漏れ磁場を可視化したものが【写真2】である。【写真2】では、この細長い棒状の微細磁石が、左右に並べられている。

垂直磁気記録媒体のMFM観察概念図
図1 垂直磁気記録媒体のMFM観察の概念図
図中の白抜き矢印は、写真2の白抜き矢印と対応している

今後の予定

 HDDや不揮発性磁気メモリなど、各種磁気記録デバイスの開発現場において、本MFMは即戦力として、その活躍が期待される。新規開発されたMFM探針のプロセス技術は産総研にあり、速やかに技術移転することを目指している。本探針が市場に投入される日は極めて近い。また、当共同研究グループでは、HDDの超高密度化を目指し、その磁気記録単位が更に微細になっている1200kFCI以上のHDD用磁気記録媒体の評価等も進行中である。

関連情報

・独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)http://www.nedo.go.jp/



用語の説明

◆磁気力(プローブ)顕微鏡、原子間力(プローブ)顕微鏡
プローブと試料間に働く様々な物理量を検出し、微小領域の形状や物性測定をする顕微鏡を走査型プローブ顕微鏡とよぶ。磁気力顕微鏡は、その走査型プローブ顕微鏡のひとつであり、プローブ(探針)と試料(主に強磁性体)の間に働く磁気力を検出する。一方、原子間力顕微鏡では、微小な力学的力を検出する。[参照元へ戻る]
◆強磁性体
磁石に引き寄せられる性質を持った物質のこと。ある大きさを持った強磁性体には、NS極の向きが一方向にそろった磁区と呼ばれる領域が複数存在していることが多い。HDDでは、強磁性体が塗布された円盤にこの小さな磁区構造が書き込まれており、この磁区が情報の記録に用いられているわけである。また、磁区構造から漏れる磁場を磁場センサーで電気信号に変換し、その情報を読み出している。[参照元へ戻る]
◆スピンエレクトロニクス
電子には、プラス・マイナスの電荷の性質だけでなく、電子がコマのように回ることで例えられるスピンと呼ばれる性質がある。右回りに回ったり、左回りに回ったりすることを想像してもよい。電子の電荷の性質を自由に制御することによって成功した半導体エレクトロニクスの分野では、このスピンの性質は現在までに用いられてこなかった。しかしながら、素子の微細化が進むにつれ、量子効果などによってこのスピンの性質が顕著に現れるようになってきた。そこで最近では、逆に、この性質を活かした新しいエレクトロニクス-スピンエレクトロニクス-を創造しようという研究が盛んになりつつある。必然的に微細な構造の磁気的評価を行わなければならないことが多く、MFMの活躍が期待される所以である。[参照元へ戻る]
◆磁気光学カー効果顕微鏡
強磁性体に光を入射すると、その偏光面(光の持っているスピンの性質のようなもの)が回転する場合がある。これが磁気光学カー効果と呼ばれ、強磁性体のNS極の向きに応じて回転角が変化する。この現象を顕微鏡に応用したのが、磁気光学カー効果顕微鏡である。通常は光の絞り込みに波長程度の限界があるため、分解能は1マイクロメートル程度である。最近では、極微細な孔をあけた光ファイバーを探針として用い、分解能を向上させる研究が行われている。[参照元へ戻る]
◆スピン偏極電子
上記の電子の持っているスピンの性質が、どちらか一方に偏っている電子のこと。例えば、電磁気学の類推から右回りの場合に上向きスピン、左回りの場合には下向きスピンと表現することがある。[参照元へ戻る]
◆(スピン偏極)トンネル顕微鏡
スピン偏極電子の量子力学的トンネル現象を用いて、試料の磁気的情報を調べる走査型プローブ電子顕微鏡。例えば、試料最表面の電子状態がスピン上向きに偏極している場合、探針側の電子状態がスピン上向きならばトンネル電流が大きく、そうでない場合には小さいという差を可視化する。原理的には、原子1個1個のスピン状態を調べることが可能である。[参照元へ戻る]
◆(スピン偏極)走査型電子顕微鏡
電子銃から電子ビームを取り出し、それを試料に走査して、電子ビームと試料の相互作用によって生じた信号の変化を輝度変化として映し出す顕微鏡を走査型電子顕微鏡と呼び、その電子の相互作用がスピンの性質に依存したものを用いることによって、試料の磁気的特性を可視化するものを、特にスピン偏極走査型電子顕微鏡と呼んでいる。試料の持つスピンの性質を定量的に評価することに関して特に優れている。[参照元へ戻る]
◆不揮発性磁気メモリ
強磁性体は、そのNS極の向きを、外からのエネルギー供給無しに保つことが可能である。大きな外部磁場をかけたり、高い温度にしなければ、永久磁石はいつまでもその性質を失わない。この性質を情報の記録に応用したものが不揮発性磁気メモリである。不揮発性とは、外部からのエネルギー供給無しに情報を保持できることを表現した言葉である。半導体によって製造される高速メモリは、その情報の保持のために常に電力を供給し続けなければならない揮発性のものが多い。最近では、そのような既存の様々なメモリを置き換えることが期待されている、磁気ランダムアクセスメモリの研究開発が盛んになっている。[参照元へ戻る]
◆垂直磁気記録
現行のHDDは、トラック上に極微細磁石を横方向に並べて記録する面内磁気記録方式を採用しているが、超高密度記録においては熱によってこの磁石のNS極の向きが揺らいでしまうことが問題になっている。これに対し,トラック面に垂直に極微細磁石を配置する垂直磁気記録方式が,この様な問題を解決できる将来の記録方式として研究されている。この極微細磁石が集まったものが、【写真2】や【図1】において垂直方向にNS極が向いている棒磁石である。つまり、【写真2】や【図1】の微細な棒磁石は、更に、数ナノメートルの径を持った極微細な磁石の集合体となっている。垂直磁気記録媒体の性能向上には、この極微細な矩形磁石間の相互作用を制御したり、あるいは規則的に並べたりすることが必要であり、ナノテクノロジーを駆使した研究開発の典型例である。[参照元へ戻る]
◆FCI (Flux change per inch: フラックス・チェンジ・パー・インチ)
1インチの長さあたり、何回、磁区からの漏れ磁場(NS極)の向きが変化したかを示す単位。例えば、1000kFCIでは、1インチ当たり100万回磁場の向きが変化することを示す。[参照元へ戻る]


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